喧嘩

 サイレンの音とざわつく人々の声で気が立って寝られるものではないと思ったが、「ちょっとでも横になった方がいいよ」と静先輩は俺を布団に入らせた。

 手を繋いだまま先輩と並んで横になると不思議なことに過敏になっていた神経が落ち着き、気づけば俺は眠気に襲われて意識を手放してしまっていた。


「──けるな。お前の探求に他人を巻き込むんじゃねえよ」


 何かに憤る声が聞こえて、俺は重い瞼を持ち上げた。

 隣にいたはずの静先輩はおらず、薄暗い視界の端で菩提寺兄弟が座卓を囲んでいる。


「……僕が何かしたわけじゃない。本当だよ」

「でもお前が首突っ込んだ化け物だろ。予測できることは事前に相談するのが筋だ」

「話したら合宿ごと無しになってたでしょ」

「当たり前だろ」


 声量は抑えられているが、菩提寺の語尾には怒気がある。

 そこまで聞こえて俺はすっかり目が覚めていたが、起き上がれる空気ではなく息を潜めた。


「もう霊にこだわるのやめろ。いつまでも囚われやがって。霊媒師の活動だって、ほとんど自傷だろ」


 いつもの軽い言い合いではない。言い募る菩提寺に、静先輩は何も返さなかった。


(囚われてるって……幽霊に?)


 どういうことだろうと薄目を開けると、先輩が菩提寺の肩越しに俺を見ていた。誤魔化しも効かないほど、視線が絡む。


「お前、これ以上善本を利用するなら──」

「マコトくん、おはよう。起こしちゃった?」


 話を遮るように先輩が俺に手を振り、菩提寺は振り返って口を閉ざした。ある意味先輩の言動は助け舟となり、寝たフリをしていた俺は2人の顔色を窺いながら布団を出る。


「7時に朝ごはんだから、起きるのにちょうどいい時間だね」

「俺だけ寝ちゃっててすみません。……騒ぎ、落ち着いたみたいですね」


 耳を澄ませても廊下に人の気配はない。早朝らしい静けさがあった。


「倒れてた男性は病院に搬送された。途中から旅館の人に任せたから、容態はわからないが。善本は体調平気か」

「うん、今はなんとも。でも、取り憑いてきたやつは……なんていうか、普通じゃなかったな」

「静。ちゃんと善本に説明しろ」


 俺が座卓に近づくと、菩提寺が隣を空けてくれる。向かいに座っている静先輩は、湯飲みにお茶を注いで俺に渡した。


「まずさっきのはなんだったのか、からだけど。特異性からして、悪霊ではなく怨霊だと思う」

「怨霊……。悪霊と何が違うんですか」

「悪霊は無念をこじらせて死んでしまい、人間全般に悪事を働くモノ。一方怨霊は特定の対象を強く恨みながら死んだために『特定の対象のみ』に悪事を働く。怨霊の方が対象が絞られている代わりに能力が高く凶悪になりやすい。それにしたってさっきのやつは普通じゃないけどね」


 意味のわからない殺意で頭がいっぱいになったことが思い返される。


「憑依された時に今までとは違う、強い憎悪と嫌悪を感じました。でも俺、霊に恨まれる覚えはないんですけど……」

「マコトくんはたぶん、“見つかっちゃった”んだ。異常なほどの霊媒体質に気づかれた。やつはマコトくんを依り代に選んで、結局僕に邪魔されて、恨みの対象である佐々木という従業員を襲って去った。ということだと思う。擬態してる時も『佐々木』を名乗っていたと聞いたし」


 あの倒れていた人があそこまで強力な怨霊を生み出したとすれば、相当な悪事を働いていたということなのだろうか。


「俺が怨霊に見つかって狙われてたとして、どうしてさっきまでやって来なかったんですか。先輩がいても来るなら、湖とか風呂とか他にもチャンスはありましたよね」

「それはたぶん、僕が深い眠りに入ったせい。今まで仮説でしかなかったんだけど、僕は眠ってると力が弱まるみたいでね。その隙をつかれて接近されてしまった。危ない目に遭わせてごめん」

「全然、先輩のせいじゃないですし──」

「いやこいつのせいだ」


 先輩の謝罪を流そうとした俺に菩提寺が被せた。咎める声音に、俺が起き上がる前の会話が嫌でもチラつく。


「善本があんな化け物に取り憑かれるかもしれないとわかってたのに、実際にそうなるのか試したくて合宿を開いたんだろ。気になってた事件の検証だかなんだか知らないが、勝手すぎる」

「だからマコトくんを危険に晒す意図はなかったんだって。ここまでのが来るとは思ってなかった。それに今回の件で睡眠による弊害がわかったんだ。今後は対策できるし、怨霊がいるとわかったことが大きい収穫で──」

「だから、そんなことはお前ひとりでやれって言ってんだよ……!」


 菩提寺の語気が荒ぶり、俺は思わず彼の肩を掴んでいた。


「あの、2人とも落ち着いてください。喧嘩してほしくない。俺は今元気だし、除霊に協力するって言ったのは俺だし、ね?」


 交互に顔を見ながらほとんど菩提寺に言い聞かせるように言うと、怒らせていた肩から力が抜ける。


「……善本は優しすぎる」


 菩提寺はそう呟いて立ち上がると、「頭冷やす」と残して部屋を出ていった。


「もうご飯来ちゃうんだけどなぁ」


 先輩は苦笑していたが、その後の食事も言葉少なだった。俺は俺で、盗み聞きした内容を先輩に尋ねることもできなかった。

 兄弟の間には気まずい空気が流れ続け、それは帰宅の新幹線の中まで尾を引いていた。

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