初めての除霊②
先輩が差し出したお札を受け取る。
お札を持った指先から悪寒が駆け巡り、足元の悪霊が奇声を上げて脚を締め上げた。
周囲を漂う靄たちが今度こそ俺を一斉に見る。何百個という目玉が大きく開き、数十個の口がガチガチと歯を叩き合わせ始めた。
「はい、じゃスタート」
その言葉を合図に先輩が2歩ほど俺から離れた。俺との間合いを見ていた目玉が弧を描き、歯ぎしりしていた口が耳障りな金切り声を上げ、次の瞬間には俺めがけて飛び込んできていた。
「うっ……!」
大量の砂利が全身に当たったような痛みに襲われ、思わず呻きが漏れた。その一撃で終わることはなく、次から次へと砂利が体に当たる。数え切れないほどの悪霊が、俺の中に入ってきているのだ。
少しでも悪霊を避けようと腕で顔を庇ってどうにか立っていたが、突然激しく胃酸が込み上げた。プールサイドに膝をつき咳き込むと、血走った目玉が口から吐き出され、アスファルトにベチャッと音を立てた。
気持ち悪い。
もう立ち上がれなかった。
全身が重い。俺は鉛の塊になってしまったのか。
(これ、このまま、死ぬんじゃ……)
頭の中が死ぬことでいっぱいになっていく。死ぬ、死ぬ。もう無理だ。やめよう。お手上げだ。辛い。きつい。痛い。怖い。死ぬ。死にたい、死にたい。
お札を手放したいのに、俺の手は動かない。
菩提寺が「おい、早く祓え!」と先輩を急かす声が聞こえた。でもそれも遠くの方で僅かに聞こえただけで、先輩の返事はわからなかった。
(あっ……水、水がほしい、みず……があれば……)
急にひらめいた。
なんで水が欲しいのかはわからない。
固く閉じていた目を開くと、俺の目の前に靄がいた。いや、前じゃない。俺の中から靄が出ていた。
靄は俺を飲み込むような大きさの手を形作り、こちらを手招く。手招かれるたびに不快感が消え、不思議と体が動いていた。1歩、また1歩と追い求める。
手に追いついたところで、地面が消えて体が浮いていた。
「がはっ……! う、っ……!」
救いの手を追いかけていたはずの俺は、気付けば水の中でもがいていた。水面に出ようとする俺を、靄から伸びた無数の手が水底へと引きずり下ろしていく。
息ができない、息が。
息。
苦しい。
くるしい……。
意識が遠のいて抵抗できなくなった時、上から腕を強く引かれた。強風が全身を巡り、体が急浮上する。
水面に到達し、酸素に触れた俺はまず大量の水を吐いた。続いて肩で息をしながら滲む視界に目を凝らすと、俺の腕を掴んでいるのは俺と同じようにずぶ濡れになった静先輩だった。
「ハァッ、ハァッ……! し、静先輩……!?」
「お、正気に戻ったね」
絶対何十メートルも水中に引きずり下ろされていたはずなのに、俺がいるのは足のつくプールだった。
制服のまま、俺と静先輩はプールに立っていた。
「善本! 大丈夫か! 今タオル取ってくる、待ってろ!」
菩提寺が水泳部の部室へ走っていく。俺はまだ息が整わず、お礼も言えずに手を上げて無事だけをアピールした。
「いや~、着替えないや。どうしよ」
あまり困ってなさそうに笑った静先輩がプールサイドに上がり、俺の手を引いてくれる。
重力と水の重さでアスファルトに倒れるようにして這い上がった俺は、酸素を大きく吸いながらプールと校舎を見渡した。
プールにも校舎にもあれだけいた靄が跡形もなく消え去っている。
「っ、すごい、全部消えてる……」
「すごいのはマコトくんの体。さっきは耐性のある類でさえ気分悪くなってたよ。それだけの量を吸収できるなんて本当にすごい」
口先だけではなく、静先輩は感嘆した声をしていた。自分の体質が嫌いなことに変わりないが、褒められると悪い気はしなかった。
「ま、でも霊に主導権を握られると希死念慮が捏造されて死に直行しちゃうみたいだね。危ないから、やっぱり普段は憑依されないよう対策した方がいいよ」
「それ……キス以外でも対策できますか?」
「そんなに嫌がられるとちょっと悲しい……。でもキス以外の方法もあるよ。効果弱くなっちゃうけどね」
先輩はびしょ濡れのシャツを脱いで、雑巾のように絞っている。
下も脱ぎ始めたら止めようと思って見やると、胸元から腹部にかけて目立つ傷跡があった。古い傷のようだが、赤みがしっかりと残っている。
「今日はもう疲れてるだろうし、対策方法についてはまた今度。改めてオカ研もとい除霊活動、よろしくね」
先輩に手を取られ握手をされる。
その後すぐにタオルを持った菩提寺が戻ってきて、傷跡については見て見ぬふりとなってしまった。
菩提寺は俺だけに予備の運動着を貸してくれて、くしゃみをしている先輩のことは濡れたまま帰宅させていた。
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