第二章 勇者なんて柄じゃない
勇者様、ようこそおいでくださいました!」
石造りの大広間に、王の声が荘厳に響いた。
その瞬間、俺の頭はさらに混乱を極めた。
――勇者?
俺が?
いや、ありえないだろ。
だって俺は、つい昨日まで部室の隅で存在感ゼロだった「空気トロンボーン吹き」だぞ。
確かに目の前には王様らしき男がいて、重々しい鎧に身を包んだ騎士たちが取り囲んでいる。けれど、俺が本当に勇者だなんて、そんなわけがない。
それに、手の中に握りしめたトロンボーンがどうにも異様だった。
俺の古びた銀メッキのやつが、まるで新品同様に輝いている。いや、新品どころか、金色のオーラをまとっているように見える。ベルの内側から淡い光が脈打ち、まるで心臓みたいに鼓動している。
なんだこれ。
……いや、俺の知ってるトロンボーンじゃない。
「勇者様、その楽器こそ《聖具・トロンボーン・オブ・アーク》。魔を祓い、世界を救うために神が鍛えし神器でございます」
王の言葉が耳に入ってくるが、俺の頭は真っ白だ。
トロンボーン・オブ・アーク? 聖具? 神が鍛えた?
俺の知るトロンボーンは、スライドが錆びついて合奏中にギギギ……と変な音を立てるような、そんなやつだぞ。
「いやいやいや、待ってください! 俺、ただの学生なんですけど!」
叫んでみるが、誰も信じる気配はない。むしろ、周囲の騎士たちは「おお……謙虚なお方だ」と感動している。
勘弁してくれ。
脳裏に浮かぶのは、昨日の合奏の光景だ。
課題曲。冒頭のファンファーレ。トランペットの高らかな音に隠れ、俺の音は誰にも届かなかった。
先輩からは「もっと腹から鳴らせ!」と叱られ、同級生からは「相沢ってさ、いなくてもいいよな」なんて笑われた。
それでも俺は、必死に吹いてきた。
全国大会の舞台に立ちたい、その一心で。
だが結局、俺は補欠のまま終わるだろうと薄々わかっていた。
その俺が、なぜ「世界を救う勇者」になれるんだ?
「勇者様、お願いです! 魔王軍は日に日に勢力を増し、我らの王都もいつ落ちるかわかりませぬ!」
王が膝から立ち上がり、俺に向かって必死に懇願する。
その瞳には涙さえ浮かんでいた。
――俺なんかに、そんな期待をかけるなよ。
そう叫びたかった。だが、王の姿を見ていると、胸の奥が締めつけられた。
部活では誰からも必要とされなかった俺に、今、この世界では「必要だ」と言ってくれる人がいる。
その事実が、どうしようもなく心を揺さぶった。
「……わかりました」
気づけば、口が勝手に動いていた。
勇者なんて柄じゃない。吹奏楽でだって冴えないやつだ。
でも――ここで逃げたら、俺は一生「空気」のままだ。
「俺にできるかわかりません。でも……やれるだけやってみます」
王の顔がパッと明るくなり、大広間に歓声が沸き起こった。
だがその直後、俺はふと思い出す。
この世界には、指揮者も合奏仲間もいない。
俺は、ひとりきりの「トロンボーン勇者」だ。
――吹奏楽の合奏が恋しい。
そんな想いを胸に秘めながら、俺の異世界での第一歩が始まった。
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