王妃様、始まります

Side エミリア


白雪姫の原本を読んだとき、私が真っ先に思ったのは――いや、物騒すぎる!!という一言だった。

毒りんごだの、心臓を抉り取れだの、あれはどう考えても子ども向けの物語じゃない。しかも調べれば実母が娘を殺そうとするバージョンまであるとか。もう背筋が凍るレベルのホラーだ。


でも、もし自分が物語の「継母」の役に選ばれたとしたら……私は絶対に毒りんごなんか作らない。むしろ焼きたてのアップルパイを差し出して、「美味しいでしょう?」と王子を誘惑してやる。王子の無防備な笑顔を引き出して「かわいい」と思わせるほうがよほど建設的じゃない?なんて、冗談めかして考えていた。


――まさか、その「継母」の立場に自分が本当に立つなんて、夢にも思わなかったけれど。


「私が……王妃?」


告げられた瞬間、頭が真っ白になった。心臓がばくばくと喉元までせり上がり、視界が揺れる。正直、その場で気絶してしまえたらどんなに楽だっただろう。けれど残念なことに、私の心はそんな繊細にはできていなかった。


昔から、私は前世の記憶を持っていた。いわゆる異世界転生者、というやつだ。最初にそれを自覚したときは嬉しくて仕方なかった。「もしかして、これからチート無双が始まるのでは?」なんて、心躍らせていた時期すらあった。だが、現実は地味で穏やか。私は侯爵家の五人兄弟の三女。上には兄姉がいて、下にはまだ幼い妹が二人。家族に囲まれて育った私は、家の中でも外でもほとんど注目を浴びることのない存在だった。


婚約話だって、いくつか舞い込んでは来たけれど、どれも決定的な話にはならなかった。政略の駒としてそこまで重要な立場でもなかったからだろう。目立たず、騒がず、私は穏やかな日々を過ごしていた。


――あの日、あの使者が来るまでは。


「エミリア、そんな……。」


母の顔に絶望の色が浮かんだ。


告げられた縁談は、亡くなった親友の代わりに王家へ嫁ぐことだった。私の大切な親友――レイラ。彼女はほんの一年前、出産と同時に命を落とした。その手に抱かれていた娘は、「白雪姫」と讃えられるほどの美貌を予感させる赤子。名をエレノアという。


私には忘れられない光景があった。葬儀のあと、王が赤子を抱きしめるその姿。慈しむというより、執着の光を帯びた眼差しだった。実子に向ける視線とは思えない――あれは所有の誓約にも似ていた。親友の忘れ形見を守らねば、と胸の奥で強い決意が生まれた瞬間でもあった。


「キャンベル家の三女、エミリア・マリア・キャンベル。王妃として王を支えることを、謹んでお受けいたします。」


宰相閣下の前で深くカーテシーを披露したとき、空気がぴんと張り詰めた。レイラと並び称されるほど淑女の所作を磨いてきた私の一礼に、宰相閣下は確かに満足の笑みを浮かべた。けれど、その笑みに「逃げ場はない」と告げられた気がして、背筋に冷たいものが走った。


――私は、十八歳と二か月。

――そして、今日から一歳二か月の娘を持つこととなった。


夫となる王は二十八歳。

十歳も年上で、しかも私の親友を奪い、次に私を娶ろうとしている。


ロリコンで、処女厨で、自己中心的なクソ男


けれど私は、その男から親友の忘れ形見――小さな白雪姫を守らなければならない。


それが、私の新たな生の使命。

逃げ場などない。ここから、私の苦悩と闘争の日々が始まるのだ。

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