見えない来訪者

レッドハーブ

見えない来訪者

「オレはもう、ヤツが出なくなったよ」


職場の先輩は、持病を克服したようにケラケラと笑って言った。そのかわいた笑い声が、ずっと耳に残っている。


ヤツが来る日は決まっている。

日曜か、あるいは休日の夜……。

連休は最終日に来ることが多い。人が休んでいるときに狙って来るのだからたちが悪い。夜とは言ったが、早い時は夕方から気配を感じることもあるらしい。人によって時間帯がちがうようだ。


(もう夕方か……)


現れる時間帯が分かっているなら、いくらでも対処法がありそうに思えるかもしれないが、事はそう容易よういではない。


(早めに戸締まりをしておこう……)


戸締まりをするが…ムダなことだ。

困ったことにヤツには実体がない。壁を抜け、ドアをすり抜け、まるで幽霊だ。 つまり物理的な手段では倒しようがない。ひとたび現れたが最後、ヤツは人の精神を確実にむしばんでゆく。


(もう少しで……ヤツが来る!)


命までとられるわけではない。残酷にじわりじわりと苦しめ、朝方には煙のように消えてしまう。毎回この繰り返しだ。人の苦しむさまを見て、楽しんでいるのだろう。


テレビでは、サンタクロースが子どもにプレゼントを渡すシーンをうつしていた。


(世間はクリスマスか……はぁ)


サンタクロースは、プレゼントを渡して人々を幸せにするが、ヤツは絶望をプレゼントして人を不幸にする真逆の存在だ。


【来週もまた見てくださいね!ジャン!ケン……】


ピッ……


テレビの電源を切る。

画面が真っ暗な虚無に沈む。

『来週も』……か。

その時まで、正常まともでいられるだろうか…?


それからほどなくして――


(……来たか!)


姿はない。音もない。だが、いるのはわかる。空気が変わるからだ。言いようのない重圧が部屋を満たす。


(うっ、くっ…苦しい……!)


体が鉛のように重たくなり、ソファから立ち上がることすら億劫おっくうになる。特効薬はない。暴風雨が過ぎ去るのを待つように、布団に入り体を丸くするしかないのだ。


【大丈夫、すぐになくなるわ!】

【オレも昔なったけど克服したよ!】


これまでに出会った人々の、優しい言葉が脳内で再生される。


重い体を引きずり、布団の中に逃げ込んだ。目を閉じ、外界を遮断する。しかし、ムダだ。暗闇の中でも、ヤツは容赦なく私の精神を削っていく。ヤスミアケという名の怪物が、すぐそこまで来ていた。


そして……

私は深い眠りに落ちていった……。

……あれからどれくらい経っただろうか?


(…ん……もう、朝か…)


やがて、冷たいアラームの音が鳴り響く。


「おはよう……月曜日」


私は目覚まし時計にあいさつする。

ヤツは…もうどこにもいない……!

昨日までの絶望がウソのようだ。


(危機は…去った……!!)


しぶしぶと体を起こし、機械的な動作で出社の準備を整える。洗面所の鏡に映るのは、昨日より少し生気を失った自分の顔だ。さっと、準備をすませ駅へ向かう。


ガタン、ゴトン……ガタン、ゴトン…


満員電車の中でわたしは、自分と似た表情の人をチラホラ見かける。あの人達の家にも現れたのだろう……。ゆりかごの中にいるような心地で私は思う。


(慣れてくるのね……自分でもわかるわ)


それは克服なのか?精神の崩壊なのか?

いつか私にもヤツが来なくなる日が来るのだろうか?それとも一生ヤツに怯えて暮らすのか?


そんなことを考えているうちに、電車が目的の駅に着いてしまった。


(はぁ…今週も仕事をがんばるか!)


自分をふるい立たせ、職場へと足を踏み出したのだった。

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