第18話

戦闘は、激しさを増す一方だった。

騎士団は勇敢に戦っているが、魔物の数はあまりにも多い。

次から次へと、森の奥から新たな魔物が現れる。

このままでは、騎士団の力が尽きるのが先だろう。

歌声も、人々の疲れと共に、少しずつ弱々しくなっていく。

黒い太陽が、再びその不気味な力を取り戻し始めていた。


私は、壇上で唇を強く噛み締めた。

何か、何か手はないのだろうか。

この状況を、一気に変えるような、決定的な一手がきっとあるはずだ。

私の視線は、自然とトムの姿を追っていた。

彼は、広場の隅にある、いくつかの大きな岩の周りをうろついている。

その岩は、祭りの飾り付けをするために、元々そこにあったものだ。


彼は、その岩に耳を澄ませたり、手でそっと触れたりして、何かを確かめているようだった。

一体、何をしているのだろうか。

その時、トムが、はっとしたように顔を上げた。

彼は、私の方をまっすぐに見つめると、恐怖を振り払うように、こちらへ駆け寄ってくる。

激しい戦いの混乱を、小さな体で必死に駆け抜けてくるのだ。


「リリアーナ様」

壇の下にたどり着いたトムは、息を切らしながら私を見上げた。

その瞳は、真剣そのものだった。

「トム、どうしたの。ここは危ないわ」

「あの石だ、あの石がとてもおかしいんだ」

彼は、言葉を区切りながらも、必死に伝えようとしていた。


「変な音がするんだ、耳にキーンって響く、すごく嫌な音が」

「あの音が鳴り始めると、胸が苦しくなるんだ」

「あの絵にも、描いてあったんだ。祭壇の周りに、同じような石がいくつか」

彼は、しわくちゃになった絵を広げて見せた。

確かに、絵に描かれた祭壇の周りには、いくつかの岩のようなものが描かれている。

今まで、私はそれに全く気づかなかった。


私は、彼の言葉の意味を、瞬時に理解した。

黒いローブの魔術師たちは、黒い太陽の波動だけでなく、特殊な音を使って人々の不安を大きくしているのだ。

それは、普通の大人には聞こえない、ごくわずかな周波数の音なのかもしれない。

子供であるトムの、鋭い聴覚だけが、それを捉えたのだ。

あの岩は、ただの岩ではなかった。

敵が、儀式の効果を高めるために置いた、呪いの装置の一部なのだ。


「よく気づいてくれたわ、トム。あなたは、皆を救う勇者よ」

私は、彼の頭を優しく撫でた。

彼の瞳に、誇らしげな光が宿る。

私は、すぐにアシュトン様の元へと駆け寄った。

彼は、自ら一番危ない前線に立ち、巨大なオークと斬り結んでいる。


「アシュトン様、聞いてください」

私は、戦いの合間を縫って、トムから聞いた情報を急いで伝えた。

彼は、私の言葉を聞くと、驚いたようにトムの姿を見た。

そして、一瞬だけ考え込んだ後、すぐに決断を下す。

彼の仲間への信頼は、もう揺らぐことはないのだ。


「ダリウス、ギデオン」

彼は、近くで戦っていた二人の騎士の名を呼んだ。

「はっ、何でございましょう」

「あの岩を、全て破壊しろ。今すぐにだ」

「リリアーナ様を、そしてあの子の言葉を信じる」

彼の命令に、二人は一瞬戸惑いの表情を見せた。

だが、すぐに力強く頷く。


「承知いたしました」

「やってやりましょう」

ダリウスさんが、巨大な戦斧を担ぎ直した。

ギデオンさんは、残った兵士たちに素早く指示を飛ばす。

「レオ、お前たちは辺境伯様をお守りしろ」

「残りの者は、俺とダリウスさんに続け。岩を全て破壊するぞ」

騎士団の動きは、驚くほど素早かった。


アシュトン様を中心に、民衆を守るための防御の陣形を保ちつつ、ダリウスさんとギデオンさん率いる少数精鋭の部隊が、岩へと向かって突撃する。

その動きを、敵が見逃すはずがなかった。

岩の周りにいた魔物たちが、一斉に破壊部隊へと襲いかかる。

だが、ダリウスさんの前では、並の魔物など敵ではなかった。


「どけ、この雑魚どもが」

彼の戦斧が、嵐のように唸りを上げる。

なぎ払われたゴブリンたちが、まるで木の葉のように宙を舞った。

ギデオンさんは、片腕ながらも、巧みな剣さばきで的確に敵の急所を突いていく。

彼の経験豊富な指揮が、部隊の被害を最小限に食い止めていた。

そして、ついにダリウスさんの戦斧が、最初の一つの岩へと叩きつけられた。


ゴオォン、という鈍い音と共に、岩が砕け散る。

その瞬間、黒い太陽から発せられていた不快な波動が、明らかに弱まったのが分かった。

トムが言っていた、耳鳴りのような嫌な音も、ぴたりと止んだ。

「効いているぞ」

「続け、残りの岩も全て砕け」

騎士たちの士気が、爆発的に上がる。

彼らは、次々と呪いの岩を破壊していった。

五つの岩が、全て破壊された時、空の黒い太陽は、まるで熱い空気のように揺らぎ始めた。

儀式の中心が、大きく揺らいだのだ。


森の奥の祭壇で、魔術師たちが苦しそうな声を上げる。

「馬鹿な、増幅装置が、全て破壊されただと」

「なぜだ、なぜ我々の仕掛けが気づかれた」

「このままでは、儀式が失敗してしまう」

リーダー格の男が、ついに最後の決断を下した。


「もはや、これまでか。だが、ただでは終わらせんぞ」

「我が身を捧げ、奴らに、真の絶望を与えてくれよう」

彼は、祭壇の上に立つと、自らの胸に呪いの短剣を突き立てた。

彼の体から、おびただしい量の黒い魔力が噴き出す。

その魔力は、祭壇に吸い込まれると、一つの巨大な生命体を作り出した。


広場の大地が、激しく揺れる。

地面を突き破り、おぞましい何かが姿を現した。

それは、様々な魔物の体を無理やり繋ぎ合わせたような、巨大な合成魔獣だった。

獅子の頭に、ドラゴンの翼、そして蛇の尾を持つ、悪夢の化身だ。

その巨体から放たれる魔力は、今までの魔物たちとは比べられないほど強大だった。


「リリアーナ様、あれを」

エマが、恐怖に引きつった声で叫ぶ。

合成魔獣は、けたたましい咆哮を上げると、手当たり次第に暴れ始めた。

その一撃は、大地を割り、建物を紙くずのように吹き飛ばす。

騎士団の攻撃など、まるで気にしていないようだった。

絶望が、再び広場を支配しようとしていた。


だが、アシュトン様は、一歩も引かなかった。

彼は、巨大な魔獣をまっすぐに見据え、静かに剣を構える。

「リリアーナ」

彼は、私の方を振り返った。

その瞳には、揺るぎない覚悟が宿っている。

「最後の戦いだ。君と、民の力を、もう一度俺に貸してくれ」

「はい」

私は、力強く頷いた。


私は、再び壇上の中央に立つ。

そして、ありったけの想いを込めて、歌い始めた。

それは、もはや私一人の歌ではなかった。

エマが、トムが、そして広場にいる全ての民が、私の歌声に、自分の声を重ねていく。

恐怖を乗り越えた彼らの歌声は、今までで最も力強く、温かい希望の光となっていた。

その歌声は、アシュトン様の体へと注ぎ込まれていく。

彼の剣が、まばゆいほどの光を放ち始めた。


「うおおおおおっ」

ダリウスさんやレオさんたちも、最後の力を振り絞り、魔獣の足元に猛攻撃を仕掛ける。

ボルツさんは、負傷した腕で、若い騎士たちに的確な指示を飛ばしていた。

ハンスさんは、調合した薬草を投げつけ、魔獣の動きをわずかに鈍らせる。

誰もが、自分の役割を果たしていた。

この土地に生きる、全ての者が、共に戦っていたのだ。


アシュトン様は、希望の光を一身に受け、大地を蹴った。

彼の体は、まるで流星のように、巨大な魔獣の懐へと飛び込んでいく。

そして、全ての想いを乗せた剣を、大きく振りかぶった。

その一撃が、この戦いの未来を決める。

私は、その瞬間を、固唾を飲んで見守っていた。

彼の剣先が、黄金の軌跡を描きながら、魔獣の心臓部へと吸い込まれていった。


---

第19話(修正版)


アシュトン様の剣が、黄金の光を放ちながら合成魔獣の心臓へと迫る。

広場の誰もが、息を止めてその光景を見守っていた。

私達の希望の全てが、その一振りに込められている。

希望を願う歌声は、最高潮に達していた。


だが、合成魔獣は最後の抵抗を見せる。

その巨大な獅子の口が開き、凝縮された闇の息吹が放たれた。

黄金の光と漆黒の闇が、両者の間で激しく衝突する。

すさまじい衝撃波が広場を襲い、人々は思わず地面に伏せた。

爆風と土煙が晴れた時、私達の目に信じられない光景が飛び込んできた。

アシュトン様の剣は、確かに魔獣の胸を貫いている。

しかし、魔獣の闇の息吹もまた、アシュトン様の体を捉えていたのだ。


彼の着ていた鎧は砕け散り、その体は力なく後方へと吹き飛ばされる。

「アシュトン様」

私の悲鳴に近い叫びが、広場に響いた。

民衆の歌声が、驚きと絶望で途切れてしまう。

アシュトン様は地面に叩きつけられ、一度、二度と激しく転がった。

そして、ぴくりとも動かなくなった。


合成魔獣も、胸に深い傷を負いながらもまだ生きていた。

その濁った瞳が、憎しみを込めて倒れたアシュトン様を睨みつける。

そして、とどめを刺そうと、その巨大な鉤爪を振り上げた。

誰もが、もう終わりだと思った。

希望の光が、完全に消え去ろうとしていた。


その時だった。

「諦めないでください」

壇上で、私は力の限り叫んでいた。

「顔を上げてください、歌うことをやめないで」

「アシュトン様は、まだ生きています」

「私達が、彼を信じなくてどうするのですか」

私の言葉は、絶望に沈む人々の心に、かろうじて届いたようだった。

弱々しいながらも、再び歌声が広場のあちこちから上がり始める。


その歌声に応えるように、一人の男が魔獣の前に立ちはだかった。

ダリウスさんだった。

彼は、傷だらけの体で、巨大な戦斧を構える。

「行かせるかよ、この化け物が」

「俺たちの主君の首は、てめえなんぞには絶対に渡さねえ」

彼の背後には、レオさんが、そして動ける全ての騎士たちが集結していた。

彼らは、アシュトン様を守るための最後の壁となる覚悟を決めたのだ。

彼らの無謀とも言える抵抗が、ほんのわずかな時間を作った。


その間に、私は壇上から駆け下り、アシュトン様の元へと走った。

彼のそばに駆け寄ると、鉄と血の匂いが鼻をつく。

彼の呼吸は浅く、意識はないようだった。

だが、その手は、まだ固く剣を握りしめている。


「アシュトン様、しっかりしてください」

私は、彼の体を揺すぶりながら、必死に呼びかける。

私の涙が、彼の頬にぽたぽたと落ちた。

その涙が、奇跡を起こしたのかもしれない。

彼が身につけていた、古いお守りの石が、淡い光を放ち始めたのだ。

それは、辺境伯の家に代々伝わるという特別な石だった。

その光は、私の涙と、そして民衆の歌声に反応するように、次第に強くなっていく。

光は、アシュトン様の傷を優しく包み込んでいった。


すると、彼の指が、ぴくりと動いた。

そして、うっすらと、その灰色の瞳が開かれる。

「リリアーナか」

「アシュトン様」

「すまない、しくじったようだな」

「いいえ、あなたは最後まで戦い抜きました」

「後は、私達に任せてください」

私は、彼の体を抱き起こした。

彼の傷は、まだ完全には癒えていない。


だが、その瞳には、再び戦うための意志の炎が宿っていた。

「ああ、まだだ。まだ、終わりじゃない」

彼は、私の肩を借りて、ゆっくりと立ち上がる。

その姿を見た民衆から、歓喜の声が上がった。

「辺境伯様が」

「生きているぞ」

その声は、再び力強い大合唱へと変わっていく。

希望の歌声が、先ほどとは比べ物にならないほどの力で、広場を満たした。

アシュトン様は、私の体を支えにしながら、再び魔獣と向き合う。

彼の剣は、お守りの石の光を吸収し、白銀の輝きを放っていた。

それは、民の希望と、先祖代々の祈りが込められた、聖なる光だった。


「もう一度だ、リリアーナ」

「はい」

私達は、二人で一つだった。

私が希望を歌い、彼がその希望を力に変える。

それこそが、私達だけの戦い方なのだ。

アシュトン様が、再び大地を蹴った。

ダリウスさんたちが、決死の覚悟で魔獣の動きを封じ込めている。

そのわずかな隙を突き、アシュトン様の白銀の剣が、再び魔獣の心臓へと突き立てられた。

今度こそ、魔獣は避けることができなかった。

聖なる光が、その邪悪な体を内側から焼き尽くしていく。


断末魔の叫びが、空に響き渡った。

合成魔獣の巨大な体が、光の粒となって消えていく。

それと同時に、空を覆っていた黒い太陽もまた、ガラスが砕けるように音を立てて消滅した。

鉛色の雲が晴れ、久しぶりに太陽の光が、大地へと降り注ぐ。

戦いは、終わったのだ。


静けさが、広場を支配した。

誰もが、目の前で起きた奇跡を、信じられないというように見つめている。

やがて、誰からともなく、小さな拍手が始まった。

その拍手は、すぐに熱狂的な歓声と、割れんばかりの喝采へと変わっていく。

人々は、泣きながら、笑いながら、互いの勝利を喜び合った。

騎士も、民も、男も、女も、全ての者が、ただ一つの仲間として、その感動を分かち合っていた。


私は、アシュトン様に支えられながら、その光景をただ黙って見つめていた。

勝ったのだ。

私達は、この絶望的な戦いに、ついに勝利したのだ。

その時、トムが、私の元へ駆け寄ってきた。

その手には、彼が描いた絵はない。

代わりに、森で摘んできたのだろう、一輪の小さな白い花が握られていた。

彼は、その花を、私に差し出した。


「ありがとう、お姫様」

彼の口から、はっきりと、感謝の言葉が紡がれる。

その瞳には、もう恐怖の色はなかった。

ただ、子供らしい、純粋な輝きだけがそこにあった。

私は、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、最高の笑顔でその花を受け取った。


アシュトン様は、そんな私達の様子を、優しい目で見守っていた。

だが、勝利の喜びも束の間、張り詰めていた糸が切れたように彼の体がぐらりと傾く。

「アシュトン様」

私は慌てて、その体を支えた。

彼の体は火のように熱く、呼吸もひどく乱れている。

闇の息吹によって負わされた傷と、限界を超えて力を使った影響が、彼の体を蝕んでいた。

広場の歓声が、次第に心配の声へと変わっていく。

私は、彼の熱い額に手を当てながら、必死に周りへと声を張り上げた。

「誰か、救護班を呼んでください。早く、アシュトン様の手当てを」

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