第09話「決戦の夜、二人の誓い」

 バルドル子爵の襲撃は、アキラの予想以上に大規模なものだった。屋敷を取り囲む兵士の数は、百を超える。

 対するアキラの屋敷の兵力は、わずか二十名ほど。まともに戦っては、勝ち目はない。

 アキラはカイを連れて、屋敷で最も防御が固い中央の広間に立てこもった。

 そして、残る魔力のほとんどを注ぎ込み、屋敷全体を覆う巨大な防御結界を展開した。


「【聖域の城砦(ホーリーフォートレス)】!」


 アキラの魔力に呼応し、屋敷が淡い光に包まれる。バルドル軍が放つ炎の矢や破壊魔法が結界に衝突し、激しい光と音を立てて弾け飛んだ。


「くそっ、なんて強力な結界だ……!」


 屋外で、バルドルが忌々しげに舌打ちするのが聞こえる。

 これで、しばらくは時間を稼げるはずだ。だが、それも長くは持たない。これほどの規模の結界を維持するには、アキラの魔力をもってしても限界があった。

 広間の中では、集まった使用人たちが不安そうな顔で寄り添っている。

 そして、カイは、部屋の隅で膝を抱え、青ざめた顔で俯いていた。その体は、未だに小さく震えている。

 自分のせいで、アキラを、この屋敷の人々を、危険な争いに巻き込んでしまった。

 俺がいなければ、こんなことにはならなかった。俺が、アキラの元から去れば、全ては収まるのではないか。

 カイの心は、罪悪感と自己嫌悪で押しつぶされそうになっていた。

 アキラは、結界を維持しながら、必死に今後の対策を練っていた。領内の兵を招集するにも時間がかかる。どこかに、この状況を打開する手はないものか。

 そんなアキラの思考を、か細い声が遮った。


「……アキラ」


 顔を上げると、そこにカイが立っていた。その空色の瞳は、悲しい決意の色に染まっている。


「俺……俺が、行く」

「何を言っているんだ、カイ」

「あの人が欲しいのは、俺だけだ。俺が外に出れば、みんなを攻撃する理由もなくなるはずだ。だから……」


 カイは、一人で投降しようとしていたのだ。自分一人が犠牲になれば、アキラや他の皆が助かる、と。

 そのあまりにも自己犠牲的な考えに、アキラは怒りさえ覚えた。


「ふざけるな!」


 アキラは思わず、声を荒らげた。カイの肩が、びくりと跳ねる。


「君をそんな奴の元へ渡すくらいなら、俺はこの屋敷と運命を共にする! 二度とそんなことを言うな!」


 アキラは、カイの腕を掴み、強く自分の胸に引き寄せた。そして、震える体を、壊れ物を抱きしめるように、きつく、きつく抱きしめた。


「君のいない世界に、意味なんてないんだ」


 アキラは、カイの耳元で、絞り出すように言った。それは、ずっと言えずにいた、彼の本心だった。


「俺は、君のために戦う。領主としてじゃない。アキラ・フォン・ヴァイスという、ただの一人の男として、愛する君のために、戦いたいんだ」


 アキラの告白に、カイの体がこわばった。腕の中で、息をのむ気配がする。


「だから、カイ。君も自分のために、そして、俺と一緒にいる未来のために、戦ってくれ。俺は、君と一緒に生きたい」


 アキラの温もり、真摯な言葉、そして、自分に向けられた深い愛情。

 その全てが、カイの心の奥深くにまで流れ込んでくる。恐怖と罪悪感で凍りついていた心が、ゆっくりと溶けていく。

 気づけば、カイの瞳からは、大粒の涙がとめどなく溢れていた。

 それは、悲しみや恐怖の涙ではない。アキラの想いが、ただただ嬉しくて、温かくて、こぼれ落ちた涙だった。

 カイは、アキラの背中に、そっと腕を回した。


「……うん……っ」


 しゃくりあげながら、カイは何度も、何度も、うなずいた。


「……おれも、アキラと、一緒にいたい……一緒に、戦う……!」


 その言葉を聞いて、アキラは安堵の息を漏らした。

 二人は、どちらからともなく顔を近づけた。もう、ためらいはなかった。

 互いの唇が、自然に重なり合う。それは、決して長くはないが、深く、確かな愛を確かめ合うような、誓いの口づけだった。


 唇が離れた時、二人の瞳には、もう迷いはなかった。


「カイ、君の力を貸してくれ。君のその鋭い感覚で、敵の陣形の弱点を見つけ出すことはできるか?」

「……やってみる」


 カイはうなずくと、目を閉じ、意識を集中させた。

 屋敷の外にいる敵兵一人ひとりの気配、魔力の流れ、指揮官であるバルドルの位置。獣人ならではの鋭敏な感覚が、結界の外の情報を鮮明に描き出していく。


「……いた。敵の陣形、後方に魔力の供給源がある。たぶん、魔道具か何かで、兵士たちの力を増幅させてる。それを壊せば……」

「よし!」


 アキラはカイの情報を元に、作戦を組み立てた。

 アキラが結界を一点に集中させてこじ開け、その隙にカイが驚異的なスピードで飛び出し、魔道具を破壊する。

 そして、領民たちの協力も必要だった。アキラは魔法で領民たちに伝令を飛ばし、屋敷の背後から敵をかく乱するように依頼した。

 決戦の時は、来た。

 アキラとカイは、固く手を取り合った。


「行こう、カイ」

「うん、アキラ」


 二人の心が、完全に一つになる。

 アキラの魔法で結界にわずかな亀裂が開いた瞬間、カイは銀色の矢となって闇夜を駆け抜けた。

 敵兵はカイのあまりの速さに反応できない。混乱の中、カイは敵陣の後方にある魔道具を見つけ出し、容赦なく破壊した。

 その瞬間、兵士たちを覆っていた邪悪な魔力のオーラが消え、彼らの動きが明らかに鈍くなる。

 時を同じくして、屋敷の背後から、アキラの呼びかけに応じた領民たちが、農具や松明を手に鬨の声をあげて現れた。

 彼らはアキラとカイを救うため、命がけで駆けつけてくれたのだ。

 敵は完全に混乱に陥った。


「これで、終わりだ!」


 アキラは屋敷の屋上から、浄化の魔法をバルドル軍全体に放つ。

 聖なる光が降り注ぎ、戦意を失った兵士たちは次々と武器を捨てて降伏した。

 残るは、呆然と立ち尽くすバルドル子爵ただ一人。


「馬鹿な……この俺が……こんな小僧と獣一匹に……!」


 そこに、カイが静かに歩み寄った。その瞳には、もう恐怖の色はない。


「お前の負けだ。もう、二度と俺たちの前に現れるな」


 カイの静かだが、揺るぎない言葉に、バルドルは逆上し、最後の力を振り絞ってカイに襲いかかった。

 だが、その凶刃がカイに届くことはなかった。

 バルドルの背後から、アキラが放った拘束魔法が、その全身を寸分の狂いもなく縛り上げていた。


「カイに指一本触れさせるものか」


 アキラが、カイの隣に静かに立つ。

 決戦は、終わった。

 二人は、手を取り合い、領民たちの協力も得て、見事に勝利を収めたのだった。

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