第十帖 灰廉「妃はもういらない」

妃達を伴い、直ちに表に向かいました。

漆黒に金箔で桜と運河があしらわれた豪奢な牛車から現れたのは、気怠そうな表情に高い鼻、厚めの唇をした、ひどく細身の女人でした。

黒地に鮮やかな朱色の曼珠沙華まんじゅしゃげがあしらわれた装束が、ただならぬ妖気を漂わせています。


彼女が実家からの多くの使用人にかしずかれている様子を見て、父上は顔面蒼白になられました。

「た、頼む灰廉

 ……直ちに正式な結婚はせずともよい。

 まずは黒曜君とじっくりお話しになられてはどうか。

 もしかしたら馬が合うかもしれぬではないか」

「むむ……たしかに、表情を見るに、黒曜君とて御両親に言いくるめられ、無理矢理連れてこられたかもしれませんね。

 それを、はなから追い返しますのも、いらぬ恥をかかせるだけでお気の毒にございますね。

 馬が合わないのなら致し方ないで済む話ですし、話し合いで穏便に解決するといたしましょう」

仮に向こうが婚姻に乗り気でも、わたくしが御断りするか、向こうが御断りしたくなるように持ってゆけば良い話です。



灰廉様が黒曜君を自室に招き入れる後姿を、瑠璃君は苦々しげに見送られました。

珊瑚君は翡翠君の時と同様、悠然としておられます。

翡翠君も同じく、悠然と……否、何故か優越感に満ちた表情を浮かべておられます。

残されたわたくしたちは、時間に余裕がありますので、書物庫で学をつけることにいたしました。

わたくし、紅玉の表情にはよほどありありと不安の色が浮かんでいたのでしょう、翡翠君にお声を掛けられました。

「大丈夫にございますよ。

 仮に周囲の圧で、黒曜君が妃に加わりましても、あのような方は灰廉様のお好みではなく、御渡りになっても夜伽など行われませぬわ」

「そ、そうでございましょうか?!

 灰廉様は、わたくしですら嬉々としてお抱きになられるのですよ?!」

「わたくしですら、などと、珊瑚君は自身の評価が不当に低すぎますわよ。

 よいですか、線の細き女人の方がお美しいなどというのは、女人の価値観にございますよ。

 わたくしたちは皆、少なからず身体の丸みや柔らかさという、殿方に訴えかける女人ならではの魅力をたたえているではございませんか。

 それにひきかえ、あの方は、特に胸のお山が皆無にございますよ、皆無!」


「ちょ、翡翠君、女官もおられるのにそのような御話は恥ずかしゅうございますよ!」

わたくしが嗜めるも、時すでに遅し。

後宮復活に伴う登用試験の筆記試験で、齢十六にして最も優秀な成績を出し、書物の管理と記録を行う文司ふみのつかさとして登用された背の高い女官・檸檬れもんは、生真面目な文学少女らしく、このような話を耳に挟み、頬を赤らめておりました。


「まあ、しかし、灰廉様のお好みではない、という御意見には、わたくしも賛同いたします」

瑠璃君が御耳におぐしを掛けながら申されました。

「灰廉様は、歳下の妃に、お慕い申し上げております! と、見上げられるように振る舞われるとお喜びになるのは、妃の選び方や、これまでのご反応から明らかですもの。

 灰廉様より二つ、翡翠君と比べれば六つも年配、そのうえ愛想すら振り撒かぬ妃になど、いまさら見向きもなさらないでしょう」

さように……ございましょうか……

珊瑚君や翡翠君の時には覚えなかった、不吉な胸騒ぎがいたしますわ……



視線がかち合ったその時、呉服店の娘らしく細工の細やかな扇子の向こうから、黒曜君に意味ありげな流し目を送られ

……今までの妃にはなかった手合いの妖艶さを覚え

……一瞬、くらり、となりかけて、灰廉は慌てて気を引き締め直しました。

あれだけ啖呵たんかを切っておきながら、またも色香に流されては、いよいよ父上にも妃達にも示しがつかぬではありませんか。


「ええと、あなたさまも

 ……御両親に言い含められて、渋々こちらにいらしたのですよね?」

「いえ、わたくし、このように愛想や、感情の温度に欠ける人間ですから、よくそのような誤解を受けるのですが

 ……灰廉様のことは、ご評判の高さから、以前から好ましく思っておりましたし

 ……実際にこうして対峙いたしまして、端正なお顔立ちに御立派な体躯、落ち着きのあるお声に、優雅な身のこなし、そして毅然とした態度

 ……心からお慕い申し上げたくなりました」

黒曜君は後ろから抱きついてこられ、わたくしの背中に御顔をゆっくりと、その存在を刻み込むかのように擦りつけてこられました

……か細い腕と、漂ってくる香の薫りに見合った、ゆったりとやや粘着味のある甘ったるい御声

……なんでしょう。

……紅玉君に思いを打ち明けられた際に覚えた愛おしさとは違う、

絡め取られてしまいそうな感覚

……同じ『お慕い申し上げております』という御言葉でも、発言する者によってこうも色合いの違うものなのでしょうか。


「あっ、ありがたき御言葉にございます!

 で、ですがしかし、初対面なわけですから、まだそのようなことは!

 黒曜君も慣れない所にいらしてお疲れになられたでしょう、今晩はじっくりとお話をし、お互いを知るに留めましょう!」

うっかりそのまま呑み込まれてしまう前に、慌てて振り向き、黒曜君の肩を軽く抱きました

……実にか細いお方だ。



なるほど、まあたしかに、初日でいきなり夜伽というのも、優雅を重んじるであろう皇族にとっては、余裕のない軽率な行いとなるのかもしれないと、わたくし黒曜は考えました。

最初はどうなることかと思いましたが、たまたま運悪く、勝手に妃を押し付けてくる父親への憤りが頂点に達した時分に当たっただけ。

こうして隣で眠ってくださる以上は、完全に拒絶されていたり、全く好みではないと思われたり、などではないようです。

安心しました

……にべもなく追い返されてしまっては、

そこまではいかずとも、全く近くに寄せつけたくないと思われてしまっては



……長年お父様と共に練ってきた、皇太子暗殺計画が、あえなく水泡に帰すところでした。

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