スレイブ・アポカリプス・オンライン

 時は2040年。

 人類はついに、意識そのものを仮想空間へと送り込むフルダイブ型VRシステムを完成させた。

 その基幹技術の名は『NEETテクノロジー』──Neuronal Experience Emulation Technology(神経体験模倣技術)である。人々が夢見た、まさに剣と魔法の世界が現実になろうとしていた。


 かねてよりアニメや小説の物語に憧れていた人々は、その技術の結晶であるVRMMORPGに殺到した。しかし、現実は甘くなかった。

 先人のいない、まったく新しい感覚を必要とするゲーム開発は困難を極めた。ゲーム難易度や対人バランスの調整は言うに及ばず、どこまでプレイヤーの身体能力をゲーム内に反映させるべきか、その乖離がどれだけの手触りを失わせ、逆にどれだけの不公平感を生むのか。360度を見渡すことによる膨大なメモリ読み込み、サーバー負荷、etc, etc……。

 初期にリリースされたゲームの評判は軒並み散々なもので、人々が長年抱き続けたVRMMORPGへの幻想は急速に冷めていった。


 そんな中、一つのゲームが発表される。

『Seraphic Arcadia Oratorio (セラフィック・アルカディア・オラトリオ)』。

「熾天使の理想郷の聖譚曲」という、あまりにも大仰なそのタイトル。

 制作会社は「一般社団法人 電脳義体研究機構」。熱心なゲーマーですら、誰もその名を聞いたことがなかった。

 それもそのはず、彼らは本来、身体障害者向けにフルダイブ技術を応用した義体制御などを研究していた、いわば医療系の研究機関だったのである。


 その出自は、逆に人々の期待を煽った。営利目的のゲーム会社ではない、真摯な研究機関が作るVR世界。さらに公開されたPVは、人々の心を揺さぶるには十分すぎた。古竜の咆哮が大地を割り、天を突く魔法が七色の光を放つ。その圧倒的な映像美と壮大な世界観に、冷めかけていたVRへの情熱を再燃させた人々は、最後の望みをこのゲームに賭けた。


 そして──全世界から選ばれた1万人のテスターが参加し、『SAO』のβテストが始まった。

 優美なBGMと共に光に包まれ、誰もが美しい幻想世界に降り立った、その直後に事件は起こる。


 すべてのプレイヤーの視界に、深紅のローブを纏った不気味なアバターが出現した。システム管理者権限を示すアイコンが、その頭上で禍々しく輝いている。

『──我が名は神崎。この世界の唯一神である』

 響き渡った声の主は、このゲームのメインプログラマーその人だった。

『βテストのログアウト機能は削除した。この世界から脱出する方法はただ一つ。世界のどこかにあるダンジョンの最深部にいる最終ボスを倒すことだ。そして、諸君らの現実世界での仲間が、不用意にVR-HMD──NEETデバイスを外そうとすれば、その瞬間に高出力マイクロ波が脳を焼き、諸君らは死ぬ』


 デスゲーム宣言。

 ありふれたフィクションが、最悪の形で現実になった瞬間だった。戦慄するテスターたちと、モニター越しにそれを見守る全世界。


 宣言を終えた神崎は満足げに頷くと、おもむろに手元の空中パネルを操作してテレポートで去ろうと──しなかった。いや、できなかった。

『……あれ? おかしいな?』

 静まり返った草原に、唯一神の間抜けな独り言がマイクに乗って響き渡る。

 その明らかな異変と隙を、一人のテスターが見逃さなかった。好機! 彼は神崎の元へ拘束スキルを放とうと駆け出した──その瞬間、彼の体はふっと掻き消えた。強制ログアウト。どうやら移動フラグの処理が異常終了を引き起こしたらしい。


 それを皮切りに、秩序は崩壊。神崎が作り上げたはずの世界は、阿鼻叫喚のバグ報告会と化した。

 草原のど真ん中に目に見えない謎の壁(コリジョン)が存在し、多くのプレイヤーが激突。かと思えば、少し離れた場所では地面の当たり判定が抜け落ちており、数人が悲鳴と共に地面を突き抜けて奈落へと消えていった。

 ステータス画面でパラメータを最大値まで割り振った者は数値がオーバーフローを起こしてマイナスに転じ、生まれたての赤子より非力になった。また別の者は、物理演算のバグでアバターが天高く射出され、遥か彼方の空の星となった。


 もはや、神崎にテスターを支配する威厳など微塵も残っていなかった。

 最終的に彼を捕らえたのは、警察でも軍隊でもない。この日のために有給を申請し、あらゆる理不尽なゲームを攻略してきた歴戦のガチゲーマーたちだった。

 彼らは、この地獄のような環境を「いつものこと」とばかりに即座に適応。総当たりでバグを検証し、壁抜け、オブジェクトのすり抜け、当たり判定の消失といった現象を意図的に引き起こす方法を次々と発見。バグを巧みに利用したゲーマーたちの執念によって、唯一神・神崎は身動き一つ取れぬまま捕縛されたのである。


 ちなみに脱出条件とされていた最終ボスは、プレイヤーたちがその存在に気づくよりもずっと前に無関係なダンジョンの奥深くで床を抜けて落下死していたらしい。


 逮捕された神崎は取り調べに対し、涙ながらにその動機を語った。

 二徹三徹は当たり前──72時間連続勤務もザラだったこと。陳情してもまったく補充されない人員。心を病み、鬱々とオフィスを去っていく同僚たち。

 ある日、3Dモデルの制作を委託していたアセット発注会社から戻ってきたデータは、そのすべてがレギュレーション違反の代物だった。原因を調べれば、自社の担当者が間違えて半年前の古いレギュレーション表を渡してしまっていたという、信じがたいミス。

 アセットを全て作り直させる手間とコスト、そして既存のプログラムを修正するコストを天秤にかけた経営陣は、こともなげにこう言った。「神崎くん、あとはよろしく」。その一言で、修正作業の全てが彼に一任された。

 それ以外にも出るわ出るわ。技術者であれば涙なしには聞いていられない所業の数々が、彼の口から堰を切ったように溢れ出した。


 もちろん、だからといって1万人の命を人質に取った行為が許されるわけではないが。

 挙げ句、会社の経営悪化を理由に給与の遅配まで始まった。

 そんな地獄のデスマーチを乗り越え、心身を削り、神崎がなんとか辿り着いたβテストの開始日。そこで彼は、出資者たちから残酷な事実を告げられる。


「こんなバグだらけの状態では、とてもじゃないが製品としてリリースはできない。βテストは予定通り敢行して、NEETテクノロジーの有用性を示すサンプルデータだけは取る。だが、プロジェクトはペンディングとする」


 その言葉を聞いた瞬間、神崎の中で何かがぷつりと切れた。




 一年後。

 様々な捜査と公判を経て、ようやく神崎の判決が下される日が来た。

 後にゲームの頭三文字からパロって『スレイブ・アポカリプス・オンライン事件』と呼ばれることになるこの一件は、彼の語った地獄のような労働環境が社会問題として広く認知されたことで、世論の多くが神崎に同情的だった。結果的に一人の負傷者を出すこともなく、むしろ彼の起こした騒動がきっかけでVR技術のセキュリティホールが多数発見されたという事実も考慮された。


 判決は、懲役3年、執行猶予1年。事実上の社会復帰を意味する温情判決だった。


「──被告人、最後に何か言いたいことはありますか」


 裁判長に促され、痩せた神崎は静かに立ち上がった。だが、彼が見据えたのは裁判官でも検察官でもない。法廷の隅で、無機質な赤い光を灯す生中継用のカメラだった。

 レンズの向こう側にいる、まだ見ぬ何百万人もの人々へ語りかけるように、彼ははっきりとした口調で言った。


「私を裁くのは簡単です。ですが、忘れないでください。私のような人間を、この法廷に立つまでに追い詰めたあの劣悪な環境を放置すれば、必ず第二、第三の事件が起こります。次の神崎は、もうすぐあなたの隣に──」


 その警告が電波に乗って世界中へ届けられる中、大勢の人々が頭に新しい流線形のヘッドギアを装着していた。


『──お待たせいたしました! 全世界待望の新作VRMMO、『Genesis Frontier Online (ジェネシス・フロンティア・オンライン)』、ただいまよりクローズドβテストを開始します! さあ、NEETギアを装着して、新たな創世の物語へダイブしよう!』


 神崎の悲痛な叫びを映すモニターの光を浴びながら、人々は歓声を上げ、少しの躊躇もなく、再び夢の世界へとその意識を投じた。

 神崎の言葉は、誰の耳にも届いていなかった。





 <完>

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