ハズレスキル
俺の人生が始まるはずの日だった。
前世の記憶――それが呪いか祝福かは分からないが、俺はこの世界が、かつて画面の向こうで遊び尽くしたゲーム『アークス・クロニクル』の世界だと知っていた。だからこそ、今日この日を、十五の歳を迎えるこの日を、どれほど待ち望んだことか。最強のハイクラスジョブをその手にし、誰よりも効率的に、誰よりも鮮やかに、この世界の英雄となる。そのための設計図は、とうに頭の中に完成していた。
荘厳な神殿に、同い年の子供たちが緊張の面持ちで並ぶ。俺だけが、胸の高鳴りを隠して冷静にその時を待っていた。やがて俺の番が来た。ひやりと冷たい水晶玉に手を置くと、まばゆい光が迸る。光が収まった先に響いた神官の厳かな声が、俺の描いた未来を無慈悲に打ち砕いた。
「神より賜りしジョブは――『調停者』」
頭が真っ白になった。『調停者』。戦闘力は中の下。支援に回らなければ器用貧乏。単独での活動は困難を極める、あのジョブか。俺の知識が、俺の記憶が、警鐘のように脳内で鳴り響く。違う。俺が欲しかったのはこんなものではない。もっと、こう、世界を揺るがすような、絶対的な力が――。
「なんだ……ハズレか」
その言葉は、俺の意思とは無関係に乾いた唇から滑り落ちていた。
瞬間、神殿の空気が凍った。人々の息を呑む音、神官たちの青ざめた顔、そして壇上に座す領主の燃えるような怒りの瞳。俺はまだ、自分が何をしでかしたのかを正確に理解できずにいた。ゲームの世界の評価軸で、ただ事実を口にした。それだけのはずだった。
だがこの世界の住人にとって、それは神そのものへの冒涜に他ならなかった。神の恩寵を「ハズレ」と断じた大罪人。弁明の機会など与えられるはずもなく、俺は全ての身分と未来を剥奪され、一枚の布きれのように王都から追放された。
◇
荒野は俺の知るゲームのマップなどではなかった。夜になれば骨身に染みる風が吹き荒れ、飢えと渇きが容赦なく生命を削っていく。『調停者』のスキルリストを何度確認しても、この荒野で一人、腹を満たし、暖を取るための力は見当たらない。傲慢さは飢えに食い尽くされ、残ったのは後悔だけだった。ああ、何が「ハズレ」だ。神に与えられた奇跡を自らドブに捨てたのは、この俺自身ではないか。
そんな絶望のさなか、唐突にやってくる死の恐怖。闇から現れた巨大な狼型の魔物がその鉤爪を突き立てる。今まさに俺の喉笛が掻き切られる寸前、世界は光によって塗り潰された。
光が収まった時、そこに立っていたのは俺とさして年の変わらない一人の少年だった。その手に握られた聖剣は月光を弾き返し、神々しいまでの輝きを放っている。神託で得られるハイクラスジョブの中でも最高の攻撃力と防御力を持つ、『聖剣士』。俺が、あれほどまでに焦がれた存在。
「……大丈夫か?」
介抱され、寂しさと後悔から思わず前世のことを語ってしまった。しかし話をしてみれば彼もまた、俺と同じ転生者だった。だが、彼の瞳に宿る光はその聖剣の輝きとは裏腹に、深く、昏く、沈んでいた。
憧れのジョブを得た彼を羨望の眼差しで見つめる俺に、彼は力なく笑った。
「呪いだよ、この力は。生まれた時から英雄であることを運命づけられ、王家と教会の駒として、血を流すためだけに生かされている。戦いたくなくても戦わされ、誰かの野心のために死んでいく。それが俺の運命だよ」
彼の言葉は、俺の価値観を根底から揺さぶった。
「誰からも期待されず、忘れ去られ、どこへでも行ける君が……心の底から、羨ましい」
押し黙る二人の空気を切り裂き、遠くから彼を呼ぶ声がした。次の戦場が待っているのだ。彼は一瞬苦痛に顔を歪めると、俺に背を向けて闇へと去っていった。最強クラスのジョブを持っているはずの背中は、ひどく小さく、孤独に見えた。
本当の「当たり」とは、一体何だったのだろう。その問いだけが、楔のように俺の胸に突き刺さっていた。
◇
そこから数カ月後、遂に俺は行き倒れた。死を覚悟したが、意識が途切れる寸前にぬくもりを感じ、誰かに抱え上げられたことだけは理解できた。おお、神はまだ俺を生かしてくれるらしい。
次に目覚めたのは粗末だが清潔な寝台の上。助けてくれたのは深い皺の刻まれた顔で穏やかに微笑む一人の老人だった。彼が暮らすのは様々な事情を抱え、社会からはじき出された者たちが寄り集まって生きる、小さな開拓村だった。
身の上を話すうち、俺は愕然とした。彼もまた、かつて『調停者』のジョブを授かった人物だという。俺は、堰を切ったようにすべてを告白した。自分の傲慢さ、浅はかさ、そして、神の恩寵を「ハズレ」と断じた罪を。
老人は、黙って俺の話を聞き終えると、咎めることなく静かに言った。
「お前の言う通りかもしれん。この力は、魔物を屠り、世界を救うような派手な力ではない。……だが」
老人は俺を村外れへと連れ出した。そこには、村人たちが懸命に耕しても、作物が根付かずに枯れてしまう痩せた土地が広がっていた。老人はその地に膝をつき、そっと両手を土にかざす。すると、彼の掌から柔らかな光が溢れ、乾いた大地へと染み込んでいく。それは魔法とは違う、慈愛に満ちた、世界の律動を整えるような力だった。
「我々の力は、世界と調和するための力だ」
彼は言う。人と人との諍いを収める対話の力。傷つき、ささくれた心を穏やかにする癒やしの力。そして、死んだ大地に再び生命を呼び覚ます、この調律の力。
「世界を征服する力ではない。世界と調和し、ささやかな幸せの種を蒔くための力なのだ」
その光景を前に、俺は言葉を失った。強さという一面的な物差しでしかジョブを測れなかった自分が、愚かで、どうしようもなく恥ずかしかった。俺の頬を、熱い雫が止めどなく伝っていった。
◇
俺はその村に留まって老人に学び、畑に出ては大地を調律し、村人たちの小さな諍いに耳を傾け、その心を解きほぐした。誰に褒められるわけでも、歴史に名が残るわけでもない。だが、俺の働きで畑の実りが増えるたび、村人たちの笑顔が少しだけ増えるたび、胸の奥に温かい何かが満ちていくのを感じた。
何十年経っただろうか。ある日の夕暮れ、村の子供が俺の服の袖を引っ張り、無邪気に尋ねてきた。
「おじいちゃんの力は、『聖剣士』様みたいに、悪い魔物をやっつけられるの?」
その問いに俺はかつて出会った、聖剣を背負う孤独な少年の姿を思い浮かべた。そして穏やかに微笑んで、目の前の子供の頭を撫でた。
「いや、魔物は倒せないさ。でも、君が明日も笑って、温かいパンを食べられるように、この力を使うことはできる」
俺は自分の両手を見つめる。畑仕事でボロボロになった、しかし誇りに満ちた手。
「俺にとっては、これこそが最高の”当たり”だったんだな……」
夕日に照らされた村はどこにでもある、名もなき風景。だが俺には世界中のどんな財宝よりも、どんな栄誉よりも、その景色が尊く思えたのだった。
<完>
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます