第11話「あなたを想う、この色を」

 解き放たれた魔力は、嵐そのものだった。

 アレクシス様の体から溢れ出した青白い光が、地下の広間を隅々まで照らし出す。それは神々しくも、全てを破壊し尽くさんとする暴力的なまでのエネルギーの奔流だった。


「ぐ……あ……!」


「こ、これが……氷霜の騎士の、真の力……!」


 ローブの男たちは、その圧倒的な魔力の奔流に耐えきれず、次々と膝をつく。騎士団の人たちでさえ、レオン副団長が張った防御魔法の壁の後ろで、顔を青くして耐えているのがやっとだった。

 けれど、当のアレクシス様は、その力の中心で苦しげに喘いでいた。


「……う……ぁああああ!」


 彼は頭を抱え、獣のような雄叫びを上げる。封印から解放された感情と魔力が一度に流れ込んできて、彼の精神が耐えきれずに悲鳴を上げているのだ。

 瞳は紅蓮に染まり、正気はもはやないように見えた。

 暴走。

 彼が、何よりも恐れていた事態。


「は……ははは!素晴らしい!実に素晴らしいぞ、氷霜の騎士!さあ、その力で全てを破壊しろ!お前の敵も、味方も、そして愛しいその女も!」


 リーダーの男が、狂ったように高笑いする。

 アレクシス様の紅い瞳が、ぎろりと私を捉えた。その瞳には、もはや私を認識している理性のかけらも見当たらない。ただ、目の前にいる動くものを破壊しようとする、純粋な破壊衝動だけが渦巻いていた。

 ゆっくりと、一歩、彼が私に向かって足を踏み出す。

 その足元から、絶対零度の冷気が広がり、石畳が凍りついていく。

(……ああ)

 これで、いいのかもしれない。

 どうせ、私のせいで彼はこうなってしまったのだから。

 せめて、彼の手にかかって死ねるのなら……。

 私が諦めかけた、その時だった。

 暴走する彼の魔力の中に、ほんの一瞬、見えたのだ。

 優しくて、温かい、オレンジ色の光が。

 それは、私が作ったスープを飲んだ時に見えた、「美味しい」という感情の色。

 穏やかな、若草色の光。

 私が笑いかけた時に見えた、「安らぎ」の色。

 はにかむような、淡いピンク色。

 私が淹れたお茶を褒めた時に見えた、「喜び」の色。

 そうだ。

 彼の心は、まだ完全には壊れていない。

 凍てついた彼の心の中に、私が灯した温かい色のカケラが、まだ残っている。


「アレクシス様!」


 私は、ありったけの声を振り絞って叫んだ。


「思い出して!あなたが美味しいって言ってくれた、あのポトフの味を!」


 私の声に、彼の足がぴたりと止まる。


「あなたが、綺麗だって言ってくれた、庭の白い花を!」


「あなたが……私の側にいると、心地良いって、言ってくれたでしょう!」


 私の言葉が、彼に届いているのかは分からない。

 でも、もう、私にできることはこれしかなかった。

 私の魂から、全ての想いを込めて、彼に呼びかける。

(お願い、戻ってきて……!)

 私の『癒やしの力』が、声に乗って、彼の心に届くように。

 すると、奇跡が起こった。

 彼の体から吹き荒れていた魔力の嵐が、少しずつ、穏やかになっていく。

 瞳の紅い光が、揺らぎ始める。


「……ミ、オ……?」


 かすれた声。それは、確かに彼のものだった。

 正気を取り戻しかけている。


「そうだ!もっとやれ、娘!そいつを完全に目覚めさせろ!」


 リーダーの男が、私の背中を蹴り飛ばした。鎖に繋がれたままの体が、無防備にアレクシス様の方へと投げ出される。


「アレクシス様!」


 彼の目の前で、私は石畳に叩きつけられた。

 その瞬間、アレクシス様の瞳が、はっきりと私を映した。

 そして、その瞳は、紅蓮から、元の澄んだ蒼い色へと戻っていた。

 彼の周りに、深く、穏やかで、そしてどこまでも優しい、青色の光が灯る。

 それは、今まで見たどんな色よりも、美しく、澄み切った色だった。


「……ミオに、触れるな」


 彼は、静かにそう言った。

 次の瞬間、彼の右手に、凝縮された魔力でできた氷の剣が出現する。

 彼は、暴走していた力を、完全に自らの意志で制御していた。

 私への想いを、その力の核として。


「な……馬鹿な!なぜ、正気を……!」


 リーダーの男が、信じられないものを見る目で彼を見つめる。

 アレクシス様は、もう男の方を見ていなかった。ただ、私を愛おしそうに見つめている。


「もう大丈夫だ、ミオ。俺は、もう迷わない」


 彼はそう言うと、氷の剣を一度振るった。

 それは、暴走の時のような破壊の力ではない。全てを浄化するような、静かで、絶対的な一撃。

 閃光が広間を走り、リーダーの男は、悲鳴を上げる間もなく、氷の彫像と化して砕け散った。

 嵐は、過ぎ去った。

 静寂が戻った広間で、アレクシス様はゆっくりと私に歩み寄り、その腕で、優しく私を抱きしめた。

 彼の周りには、穏やかな青色の光が、オーラのように、ずっと輝いていた。

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