第10話「氷解の決意」

 後から聞いた話では、アレクシス様は王都中を駆け回り、あらゆる情報を繋ぎ合わせ、私たちが囚われているアジトを突き止めたそうだ。その間、そう時間はかからなかったという。

 夜が最も深くなる頃、古い地下水道の入り口を、アレクシス様率いる精鋭の騎士たちが包囲していた。


「団長、突入準備、整いました」


 レオン副団長が、緊張した面持ちで報告する。

 アレクシス様は静かにうなずくと、剣の柄に手をかけた。彼の周りには、抑えきれないほどの激しい怒りを示す、どす黒い赤のオーラが渦巻いている。

 その力は、周囲の騎士たちが思わず後ずさるほどの威圧感を放っていた。胸の『静寂の心石』が、彼の激情に呼応するかのように、不気味な光を明滅させている。


「突入する。ミオの安全確保を最優先とせよ。敵は殺しても構わん」


 氷のように冷たい声で命令を下し、アレクシス様は自ら先陣を切って、アジトの扉を蹴破った。


 その頃、私は地下牢の奥、広間のような場所で、鎖に繋がれて壁に張り付けにされていた。

 目の前には、ローブの男たちのリーダー格らしき人物が立っている。


「さあ、氷霜の騎士がやってくるぞ。お前には、特等席で見せてやろう。あの男が、お前のために心を乱し、封印を解き、そして化け物へと成り果てる様を」


 男は愉悦に満ちた声で言った。

 やめて。そんなことのために、私の力を使わないで。

 心の中で叫んでも、声にはならない。悪意の色の奔流に当てられ続けて、もう意識を保っているのがやっとだった。

 やがて、アジトの入り口の方から、戦闘の音が聞こえ始めた。剣戟の音、悲鳴、そして地響きのような魔力の衝突音。

 アレクシス様が、来てくれたんだ。

 その事実に安堵すると同時に、胸が張り裂けそうなほどの不安に襲われる。

 どうか、無事でいて。私のために、無理をしないで。

 しばらくして、広間の巨大な扉が、内側から吹き飛んだ。

 爆風と粉塵の中から現れたのは、返り血を浴び、髪を乱したアレクシス様の姿だった。彼の後ろには、レオン副団長たちも続いている。


「アレクシス様……!」


 かすれた声で、彼の名前を呼ぶ。


「ミオ!」


 アレクシス様は私の姿を認めると、一瞬、安堵の表情を浮かべた。しかし、すぐにその顔は凍てつくような怒りに染まる。


「よく来たな、氷霜の騎士。その娘を返してほしければ、その胸にある石を外し、我々に服従を誓え」


 リーダーの男が、私の首に冷たいナイフを突きつけながら言った。


「……っ!」


 アレクシス様の動きが、ぴたりと止まる。彼の周りのどす黒いオーラが、さらに濃く、激しく渦巻いた。


「要求を呑めば、娘の命は保証してやろう。だが、断れば……」


 男は、私の頬をナイフの刃で、わざとゆっくりとなぞった。冷たい感触に、全身の鳥肌が立つ。ぴり、とした痛みと共に、一筋の血が頬を伝った。

 その瞬間。

 アレクシス様の周りの空気が、爆発的に膨れ上がった。


「……貴様だけは」


 彼の口から漏れたのは、地獄の底から響くような、押し殺した声だった。


「絶対に、許さん」


 彼の蒼い瞳が、燃えるような紅蓮の色に変わる。


「団長、いけません!封印を解放すれば、あなたが……!」


 レオン副団長の悲鳴のような制止も、もはや彼には届いていなかった。

 アレクシス様は、ゆっくりと自らの胸元に手を伸ばした。

 そして、『静寂の心石』を、その手で強く握りしめた。


「ミオを傷つける奴を、俺は許さない。たとえ、この身がどうなろうとも」


 彼は、私だけを見つめて、そう言った。

 その瞳に宿るのは、絶望でも、諦めでもない。

 ただ、私を救うという、揺るぎない決意。

(ダメ……!)

 やめて、アレクシス様。あなたの心を、あなた自身を、壊さないで。

 私は必死に首を振った。涙が、頬の傷に沁みて痛い。

 けれど、彼は、私の制止を振り払うかのように、静かに、そして力強く、うなずいた。


「さらばだ、俺の静寂」


 その言葉と共に、彼は『静寂の心石』を、その首から引きちぎった。

 パリン、と。

 青い石が砕け散り、甲高い音が響き渡った。

 次の瞬間、アレクシス様の体から、世界そのものを揺るがすような、途方もない魔力が解き放たれた。

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