第10話

Aは、ずぶ濡れになりながらも、広い空き地を駆け抜けていた。

目指すのは、ぽつんと見えた、あの建物。


——だけど。


近づいた瞬間、目に飛び込んできたのは、ぐるりと張り巡らされた太いロープ。

どこか物々しい雰囲気で、その建物を拒むように囲っていた。


「……あ」


Aの頭に、ある記憶がよみがえった。


以前、学校で先生から配られた注意喚起の紙。

そこには「👎」のマークと一緒に、この建物の写真が載っていて、

“絶対に近づかないように”と何度も言われていた。


——入っちゃダメ。


その言葉が、Aの胸の奥で響く。

でも、今は……この土砂降りの中、ほかに逃げ込める場所なんてなかった。


Aは小さく息をのむと、まわりに誰もいないかをそっと確認した。

先生も、クラスの子たちも——いない。


なら……。


Aはロープをまたぎ、濡れたスニーカーで、ぬかるんだ地面を走り出した。


近づくほどに、建物は無機質で、どこか研究所のような雰囲気をしていた。

でも、無表情なその外観が、今は不思議と心強く思えた。


雨風をしのげそうな場所を探していると、正面に扉のような出っ張りが見えてくる。

「あそこ……!」


Aは残っていた力を振り絞って、最後のダッシュをかけた。


その扉の下、わずかに張り出した屋根の下に飛び込むと、

そこには、雨も風も届かない、小さな空間が広がっていた。


「ふぅ……」


Aはようやく鞄を下ろし、中からくしゃっとなったタオルを取り出す。

濡れた髪をやさしくぬぐって、額、頬、首すじへとゆっくりと滑らせていく。


しずくのついたシャツのすそを、ほんの少しまくって、お腹まわりの水もぬぐう。

タオルはあっという間にびしょびしょになり、端をぎゅっと絞ると——


ポタ、ポタ……


しずくが、地面に静かに落ちていった。


Aの中で、何かが静かに、でも確かに変わりはじめていた。

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