ポーション作成チートで始めるのんびり異世界ライフ

松田裕介

第1話 隕石に当たれとは言ってない

 季節は真夏。アスファルトが陽炎を立てる午後。

 俺は、スーツの襟元を緩めながら、ビルの谷間を歩いていた。体感温度は四十度を超えているだろう。背中はとっくにびしょ濡れで、ワイシャツが肌に張り付いて不快極まりない。


「なんで俺が……歩いて行かなきゃならないんだ……」


 独り言が漏れる。取引先まで電車で三駅。普通なら会社の経費でタクシーを使うところだが、上司の山田部長は違った。


『君も知っての通り、我が社は経費削減中だ。たかが三駅くらい、歩いていけるだろう? 若いんだから』


 朝の会議でそう言い放った部長は、自分は涼しい部屋でコーヒーを飲んでいるに違いない。俺が持たされた重い資料カバンが、肩に食い込む。中身は契約書の山。本来なら部長が持って行くべきものだ。


「ブラック企業め……」


 入社して五年。最初は「大手商社の子会社」という肩書きに惹かれたものだった。しかし蓋を開けてみれば、サービス残業は当たり前、有給は取れない、ボーナスは雀の涙。おまけに最近では「経費削減」の名の下に、交通費まで渋るようになった。

 信号待ちで立ち止まると、目眩がした。水分補給をしたいが、財布には千円札が一枚だけ。給料日まであと一週間。この千円で過ごさなければならない。


「はぁ……」


 大きくため息をついた時、視界の端に派手な看板が映った。


『サマージャンボ宝くじ 一等七億円!』


 宝くじ売り場だった。冷房の効いた小さな売り場で、おばちゃんが暇そうに団扇を仰いでいる。

 俺の足が、吸い寄せられるように売り場へ向かった。


「いらっしゃいませ〜」

「あの……サマージャンボ、三枚ください」

「はい、九百円になります」


 千円札を差し出す。これで残金は百円。今日の夕飯はカップ麺すら買えない。それでも構わなかった。

 ──どうせ、何も変わらない人生だ。

 宝くじを握りしめて売り場を出る。炎天下の中、三枚の紙切れを見つめた。この中に、七億円の可能性が眠っている。


「七億あったら……会社なんか即辞めてやる」


 妄想が始まる。まず部長の前で辞表を叩きつける。『お世話になりました』なんて言わない。『クソ会社辞めます』とはっきり言ってやる。それから高級マンションを買って、毎日好きなだけ寝て、美味いものを食べて──。


「あれ?」


 空が急に暗くなった。雲一つない快晴だったはずなのに。見上げると、太陽の光を遮るように、何か黒い物体が落ちてくる。


「え、なに……?」


 それは見る見るうちに大きくなった。最初は鳥かと思った。次に飛行機の部品かと。しかし、その物体は明らかに自然のものではなかった。表面がゴツゴツとしていて、ところどころ赤く光っている。


「まさか……隕石?」


 そう認識した瞬間、世界が真っ白になった。



*****



 暗闇。

 完全な暗闇の中で、俺は意識を取り戻した。


「ここは……?」


 声を出そうとしたが、音が出ない。いや、そもそも口があるのかさえ分からない。手足の感覚もない。ただ、意識だけが暗闇の中に浮かんでいる感じだった。


『おお、気がついたか』


 突然、頭の中に声が響いた。


「誰だ!?」

『私は、君たちが神と呼ぶ存在だ』

「神……?」


 俺は混乱した。神? そんなものが本当にいるのか? いや、それよりも──。


「俺、死んだのか?」

『ああ、死んだよ。隕石の直撃でね。即死だったから、苦しみはなかったはずだ』

「隕石って……マジで隕石だったのか、あれ」

『正確に言うと、私の管轄する別次元から迷い込んだ物体なんだが……まあ、隕石みたいなものだ』


 神と名乗る存在の声に、どこか申し訳なさそうな響きがあった。


「ちょっと待てよ。俺の体はどうなった?」

『ああ、それは……その……粉々になって消えた』

「は?」

『直撃の衝撃で肉片になって、その後の熱で蒸発した。警察も原因不明の事故として処理するだろう。君の痕跡は、この世界には何も残っていない』


 俺は言葉を失った。肉片になって蒸発。なんという最期だろう。せめてもう少しマシな死に方はなかったのか。


『実はね……』


 神が咳払いをするような音を立てた。


『あの隕石、私のミスで君の世界に落としてしまったんだ』

「……は?」

『いやー、別次元の整理をしていてね。要らないものを処分していたら、手が滑って君の世界に落としてしまった。まさか直撃するとは思わなかったんだが……』

「ふざけんな!」


 俺は叫んだ。神のミス? 手が滑った? そんな理由で死んだというのか。


『本当に申し訳ない。だから、お詫びとして君に新しい人生を与えようと思う』

「新しい人生?」

『異世界転生だ。君たちの世界でも、最近流行っているだろう?』


 確かに、俺も暇な時によく異世界転生系の小説やマンガを読んでいた。まさか自分がその当事者になるとは思わなかったが。


「で、どんな世界に転生するんだ?」

『剣と魔法のファンタジー世界だ。モンスターもいるし、冒険者ギルドもある。君たちが想像する、典型的な異世界と思ってもらって構わない』


 俺は少し考えた。異世界転生。悪くない。むしろ、あのブラック企業から解放されると思えば、願ったり叶ったりかもしれない。


「転生特典みたいなのはあるのか?」

『もちろんだ。私のミスで死なせてしまったからね。特別に強力なスキルを与えよう。無双できるような戦闘スキルはどうだ? 一撃で魔王も倒せるような』

「いや、それはいらない」

『え?』


 神が驚いたような声を出した。


「戦闘で無双とか、面倒くさそうじゃん。モンスターと戦うとか、冒険とか、正直しんどい。俺は楽に生きたいんだ」

『楽に……?』

「そう。生産系とか、料理系とか、そういう稼げるスキルが欲しい。戦わなくても金が稼げて、のんびり暮らせるような」


 神は少し沈黙した後、笑い声を上げた。


『面白い。大抵の者は最強の力を求めるものだが、君は違うんだな』

「だって俺、もう疲れたんだよ。前の世界でさんざん働かされて、ストレスまみれで。次の人生くらい、楽に生きたい」

『分かった。では、君が望む万能スキルを与えよう』

「神様、太っ腹!」

『これくらいは当然だ。私のミスだからね。では、準備はいいか?』

「ああ、いつでも」

『では、良い人生を』


 神の声と共に、俺の意識は白い光に包まれた。

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