割れそうな君

にこぴ

割れそうな君

 梅雨が終わりに近づき、セミの声とともに息苦しい暑さまでになる日が増えてきた。一学期の期末試験も全教科が終わり、帰りのホームルームが行われていた。


 「今日から名前順に5人ずつ進路について面談するから。今配った進路希望調査票を忘れずに持って来いよ」


 エアコンのいた涼しい教室の中に、担任である志村しむら亮一りょういちの声が響いた。テストの疲れとまだ高校2年生ということで、真剣に話を聞いている生徒はあまりいない。


 「じゃあ今日はここまで。気を付けて帰るように」


 その声でさっきまで教室の中にあった統率感は一気になくなり、教室から出ていく者や友達の席に行き話し始める者など、各々おのおのの判断で行動し始める。


 「なあとおる、何でまだ2年の夏なのに進路について考えなきゃいけないんだろ」


 折野おりの理人りひと伏見ふしみとおるの前の席に後ろを向いて座り文句を垂れる。


 「3年になってからとは言わないけどさ、せめて二学期の終わりとかでよくない?」


 「それでも遅いでしょ。早い人は1年の時から勉強してるんだから、今のうちにある程度決めとかないと間に合わないよ」


 透に真っまっとうなことを言われてしまい、理人は返す言葉もなくむくれた顔をしている。


 「ていうか名前順で5番目だから、今日の面談が面倒なだけでしょ」


 「それはそうだけどさあ。俺の面談が終わるまで待っててくれたりは、、、」


 「ないね」


 理人の質問に透は食い気味に答える。その手元はすでに帰る準備を終えて立とうとしている。


 「だよね、知ってましたよ」


 ねた子どものような口調で言い放ち、背もたれに思い切り寄りかかる。


 「そんなに体重かけると転ぶよ」


 「お前はお母さんか、じゃあね」


 「じゃあね」


 透は会話の間終始冷たく突き放しているようにも聞こえる物言いをしていたが、2人はいつもこんな感じで会話している。はたから見ると2人が仲いいと思わない人もいるだろう。



 「はあ、時間かかりすぎだろ」


 ようやく面談が終わり教室へと廊下を歩いている。ホームルームは昼頃に終わったのに、もう時間は3時半を回るところだ。せっかく早く帰れると思っていたのに、損をした気分になる。


 教室に入り自分の机で荷物をまとめる。いつ呼ばれるか分からなかったので、リュックに常備している漫画を、何冊か出して読んでいたのをそのままにしていた。


 「まだ人いたんだ」


 突然背中側からガラスのような、いや、ガラスよりも繊細せんさいで触れたら割れてしまいそうな薄く伸ばしたのような声がした。


 俺はこの声の主を知っている。今まで話したことがなく、声を気にすることもなかったから、この声の繊細さに気づかなかった。


 振り向くと立っていたのは、クラスメイトの遊佐ゆさいつきだ。彼女は少し驚いた表情でこちらを見ている。


 「面談してたから。そっちこそ何でこんな時間に?」


 「面談ってこんな時間までかかるんだ。私は委員会の仕事があったの」


 いつきは自分の席に向かって歩きながら答えた。俺は彼女の声が耳から離れず、さっきよりもゆっくりとした手つきで漫画をリュックに入れていく。


 「そんなに漫画持ってきてるの?」


 耳に残る彼女の声に集中して油断したタイミングで声をかけられ、勢いよく顔を上げてしまった。彼女は荷物を持ってこちらを見ていて、俺が顔を上げた勢いに顔を少し後ろに下げた。


 「暇つぶし用にいつもリュックに入れてるんだよね」


 「そうなんだ。テスト期間にも入れてるって相当好きなんだね。面白いの?」


 いつきは興味がありそうに聞いてくる。


 「面白いよ、読んでみる?」


 彼女の期待に応えるように聞いてみる。


 「読みたい!」


 いつきののような声と顔がぐっと近づいたため、俺は一歩後ずさりをした。


 「あ、ごめん。テンション上がっちゃった」


 「大丈夫、少し驚いただけだから。漫画なんだけど、今は1巻持ってないから月曜日に持ってくるのでいい?」


 彼女は体を戻して、首を横に振った。


 「折野君が良ければなんだけど、この後家まで取りに行ってもいいかな?」


 名前を憶えられていたことと、彼女の突拍子とっぴょうしもない提案に言葉が出なくなってしまった。


 「ごめん、急にこんなこと言っちゃって。やっぱりだめだよね」


 いつきは顔の前で手を合わせて謝っている。


 「いやいや、うちに来るの俺は全然大丈夫なんだけど、むしろ遊佐さんが大丈夫なの?」


 いつきはぱっと明るい顔になり、がからんとはねた。


 「いいの?やったー!私は大丈夫。家ってどこら辺にあるの?」


 「歩いて15分ぐらいのところにあるよ」


 「え、私もそれぐらいだよ!」


 「ほんと?結構近いかもね」


 「ね!」


 思いのほか話が弾み、いつきと一緒に教室から出た。



 「ねえ、ちょっと寄り道してもいい?」


 話しながら俺の家に向かって歩いていると、いつきが茂みの中にある細い道を指さして言った。俺はこの道の前を毎日通っているが、行ったことがなかった。


 「いいよ」


 いつきは跳ねるような足取りで茂みの道を進んで行く。


 「折野君ってこの先に何があるか知ってる?」


 明るい色のがかろころと転がる。


 「ううん、行ったことない」


 「この先はね、いいものがあるよ」


 何もヒントがない、抽象的なことしか教えてくれなかった。


 茂みを歩いて4、5分でひらけた場所に出た。そこは小さな東屋あずまやと、ベンチが一つあるだけの公園と展望台の中間のような空間だった。


 「ここ小さいころにお父さんとお母さんと3人で来て、とっても好きな場所なの」


 ベンチに腰掛けていつきは言った。そのこえはどこか遠いものを見るようなわびしさがあった。


 「遊佐さんにとって大事な場所なんだね」


 「うん」


 いつきの声にさっきまであった明るさがなくなり、どこか影を感じる。


 「実はね私、、、」


 そこまで言うと、いつきは言葉を詰まらせてうつむいた。


 ちょっと間を開けて言葉を繋げる。


 「私、転校するんだよね」


 笑顔を作り切れない寂しさと悔しさが混ざったような表情に、重く暗いが転がった。


 俺は突然聞かされた事実に愕然がくぜんとしてしまい、少しの間だが何も言うことができなかった。


 「え、いつ?」


 ようやく絞り出して出た言葉はそれだけだった。


 「今年度いっぱい。学年が変わる節目までは待つって」


 「そっか」


 今日まで一度も話したこともなく、まともに声を聞いたことのないただのクラスメイトだが、少しでも彼女のことを知った今では、転校することを寂しいと思っている。


 「理由は聞かないんだね」


 いつきはさっきと同じ表情で続けた。


 「あんまり聞かない方がいいかなと思ったから」


 「折野君は優しいね。でも気にしなくていいよ」


 「何で転校するの?」


 おずおずといつきに理由を聞いた。


 「お父さんとお母さんが離婚することにになって、今の家は売って私はお母さんと一緒に引っ越すの」


 がさっきよりもいっそう重く暗くなった。いつきの表情はもう笑顔を作ることも難しそうだった。


 他人の俺には何も言えないことが悔やまれる。


 「ほんとは転校年てしたくないんだけど、仕方ないよね。高校生はまだ子どもだから、親に付いていくしかないもんね」


 「転校することって友達はみんな知ってるの?」


 「ううん、まだ折野君にしか言ってない。まだ7月だから転校までは時間があるし、今言って悲しい空気にしたくないから」


 そこにはいつきなりの優しさがあるが、その優しさでいつき自身を苦しめているようにも見えた。


 俺はかける言葉もわからずただ真剣にいつきの転がすに耳を傾けるしかできなかった。


 「そんな顔しないでよ。私転校するって聞いてから今日まで誰にも言えなくてちょっとメンタルへこんじゃってたんだよね。でも折野君に言えてちょっとすっきりした。ありがとね、こんな話無理やり聞かせちゃって」


 いつきはなんとか笑顔を作って立ち上がった。


 「気にしないでよ。でも何で今日初めて話した俺に言ったの?」


 「う~ん、特に理由はないんだけどね、むしろ初めて喋ったからかな」


 俺がよくわからないという表情で首をかしげると、いつきはまた続ける。


 「初めて喋ったからこそ、悲しい空気にならないと思ったの」


 「ごめん、悲しい空気にしちゃった」


 「気にしすぎ。みんなでなるより折野君1人だけだったら大丈夫だよ」


 「そういうもんなの?」


 「そういうもんなの」


 いつきはまた晴れやかな表情に戻り、明るい色のが音を立てる。


 「でもそんなに気になるっていうなら、私と一つだけ約束してくれる?」


 「漫画ならいくらでも貸すよ」


 「漫画じゃないよ。転校するまでの間私がやりたいことに付き合って」


 いつきはくるりとこちらを向いて、にこっと無邪気むじゃきに笑った。そのは今日で一番軽やかな音を立てていた。


 「いいよ、何がしたいの?」


 俺も立ち上がりズボンを手ではたく。


 「まだ決めてない!夏休みまでに考えとく」


 「やりたいこと何でも付き合うよ!」


 軽やかなにつられて、俺もいつもより弾んだ喋り方になった。


 「ねえ、これから一緒に遊びに行くならさ、折野君と遊佐さんって呼ぶのやめない?」


 「折野と遊佐って呼ぶ?」


 「そういうことじゃなくて」


 いつきをからかうといい音がするから、つい意地悪をしたくなる。


 「いつきって呼んで、私も理人君って呼ぶから」


 「わかった、いつきね」


 「そうそう。理人君っていい名前だと思うんだけど、何か意味とかあるの?」


 「理知的な人になるようにってことらしいけど」


 「ふ~ん、やっぱりいい名前だね」


 「でも俺は理知的になったとは思わないけどなあ」


 「まあ、名前は意味が全てじゃないよ」


 いつきは親指を立てて、得意げな顔をする。


 「それって褒めてないよね」


 俺が指摘するといつきは目をそらしてごまかした。


 「いつきはどんな意味があるの?」


 今度は俺から聞いてみる。


 「何だろう、聞いたことないんだよね。帰ったら聞いてみようかな」


 さっき離婚の話を聞いたばかりでは、いつきの両親に関する話に身構えてしまうが、いつきはそれを望まないだろうから悟られないように顔には出さないようにする。


 「きっといい意味だよ」


 「そうかな?そうだといいな」


 「うん、俺ならそうする」


 いつきは少し満足そうな表情をしていたようだが、俺が見たタイミングで顔をそらしたのではっきりとは見えなかった。



 あの日から2週間が経ち今日は一学期の最終日だが、メッセージで日常会話のやり取りはしているが、いつきのやりたいことはまだ何も聞いていない。


 あの後はいつきに漫画を渡して、連絡先を交換して別れた。


 「みんなに転校のことは言ってないから、私と理人君の関係も秘密ね」


 そう言っていつきは軽い足取りで帰って行った。俺といつきの関係まで秘密にする必要はあるのかと思ったが、いつきがそう望むならそうすることにした。


 「毎日暑すぎ、やっと夏休みだよ」


 液体のようになって透の机に体を預ける。


 「ねえ、邪魔なんだけど」


 さっき来たばかりの透が荷物を持ったまま机の前に立っている。俺は体を起こして立ち上がる。


 「俺さあ、夏休みってあと1ヶ月ぐらい長くてもいいと思うんだよね」


 「でもそれだと宿題も増えるんじゃない?」


 荷物を置いて席に座った透が答える。


 「うげ、それは嫌だな」


 「それに休みが長すぎると、やった内容忘れて受験の時に苦労するよ」


 「進路のことは言うなよ~」


 「面談したんでしょ?」


 「したけどさあ~、まだ何にも決まってないよ~」


 透に痛いところを突かれ、また力が抜けたように床にしゃがみ込む。


 「少しは考え始めた方がいいよ。希望調査も夏休み明けには提出だし」


 「そうなんだよなあ~、やっぱ高2の夏にそこまでやる必要ある?」


 「あるんでしょ。推薦で神学するなら3年の年末には決まるし」


 「うわ~、受験かあ」


 現実を突きつけられ頭を抱えるしかない。


 「ホームルーム始めるぞー」


 志村が声を合図にばらばらと立ち歩いていた生徒たちが、自分の席に戻る。ちらりといつきを見てみるが、特に変わった様子はなくいつも通りだ。


 全員が席に着いたのを確認して志村が話し始める。


 「明日から夏休みが始まるけど、あんま羽目を外さないように。進路のことも考えておけよ、大学受験するなら今から始めた方があとあと苦労せずにすむからな」


 じゃあ今日はここまで、という志村の言葉でまとまっていた教室がばらばらとほどけていった。


 「やっと終わった~。校長の話が長すぎて2時間ぐらいしか経ってないのに、体感だと5時間ぐらいに感じるよ」


 透の前の席に座り、ぶつぶつと意味もなく愚痴を吐く。


 「帰んないの?」


 荷物を持たずに透の前の席に座った俺は、帰るつもりはないように見えるだろう。まあ実際透とだらだら話してから帰ろうと思っていたのでその通りなのだが。


 「透は俺と話すのは嫌なの?」


 ぶりっこのように上目遣いで透のことを見上げる。


 「お腹空いたんだけど」


 いつも通り冷たい反応だが、荷物を置いて座りなおす辺り、話し方とは裏腹に優しい奴だと思う。


 「で、何話すの?」


 「ん?何も考えてないけど?」


 「はあ、だと思った。だったら帰るけど」


 置いた荷物に手をかけるのをまあまあとなだめて抑える。


 「透は夏休み予定とかないの?」


 「特に何も」


 「じゃあ、暇なとき呼び出してもいいてことね」


 「こっちの都合も考えてほしいんだけど」


 「予定ないんだからいいでしょ?」


 「気が向いたらね」


 はあとため息をついて言ったが、呼んだら結局来てくれるのだろう。いい奴だなあ。


 「ほかに話すことある?」


 「う~ん」


 「じゃあ帰るね。羽目外さないように気を付けなよ」


 腕を組んで話すことを考えていると、そう言って透はさっさと教室から出て行ってしまった。別に何か学校に残る理由もないので、俺も帰ることにしよう。



 夏の夜は蒸し暑くシャワーを浴びた意味がなくなるくらいに汗をかいてしまう。部屋のエアコンをつけ、快適にベッドに寝転ぶ。まだ寝るつもりはないが、このまま横になっていて気づいたら眠ってしまいそうだ。


 いつきから夏休みにやりたいことはまだ何も言われていない。夏休みまでにと言っていたから、今日言われると思って連絡を待っていたが、気が付いたら明日の方が近くなっている。


 プルルル


 今日はもう連絡はないかと思っていたら、携帯から着信音が部屋の中に鳴り響いた。画面には“いつき”と表示されている。体を起こして電話を取った。


 「もしもし?急にかけてごめんね、いま大丈夫だった?」


 耳に当てたスピーカーから2週間ぶりにちゃんと聞く、あのの音がした。


 「うん大丈夫、むしろ暇してたからありがたいぐらい」


 「よかった~」


 電話の向こうのいつきが安堵あんどしたのがわかる。


 「あのね、やりたいことを考えてたらいっぱい浮かんできて、話すのが遅くなっちゃった」


 からんころんとがいくつか跳ね回っている。


 「それでね、まずは水族館に行きたいんだけど、明後日とかって空いてる?」


 いつきはためらいながら聞いてきた。


 「うん、空いてるよ」


 「じゃあ明後日水族館ね!集合時間は何時ぐらいがいいかな?」


 「9時に駅でいいんじゃない?」


 「おっけー、じゃあ明後日の9時に駅集合で!」


 たちがたわむれるように跳ねている。


 「ごめんね直前になっちゃって。本当はもっと早く言おうと思ってたんだけど、考えてるうちにたのしくなっちゃって何からしようか迷ってたら遅くなっちゃった」


 「全然大丈夫だよ。予定はいつでも合わせられるから、いつでも言っていいよ」


 「ありがとう、わがまま言ったのに付き合ってくれて」


 「俺も出かけるの好きだから嬉しいよ。むしろ夏休みに楽しみなことができてありがとう!」


 「そうなんだ、優しいね」


 俺は本心からの言葉を言ったが、いつきは俺の本心を受け取ったのか、それとも気を遣われたと思ったのか、声だけでは判断できなかった。


 「そろそろ寝ないと。明後日の9時に駅集合ね、忘れないように。おやすみ!」


 「おやすみ」


 一瞬生まれた沈黙を突き破るように、電話の向こうからが飛んできて、ぷつっという音で電話が切れた。


 正直俺はいつきと出かけることをかなり楽しみにしていた。この2週間一切その話が出ることがなかったときは、やっぱり俺と出かけるのはやめたのかと思い不安になって落ち込むこともあったが、今日電話があったことで不安はあ吹き飛び安心したのと同時に、これまで以上の楽しみが胸に溢れた。



 「ごめん、待った?」


 俺を見つけいつきが小走りでやってきた。の転がるスピードも速い。


 「ううん、さっき着いたばっか」


 正直遅れないようにと思って早めに家を出たら、歩調が速くなり想定よりも早く着いてしまったことは秘密だ。


 「忘れ物してない?」


 「大丈夫、ちゃんと確認してきた」


 「それじゃあしゅっぱーつ!」


 いつきが右手を高く上げて駅の中へと入っていく。水族館までは電車で一時間ほどだ、少し遠いが移動の時間も出かける時の醍醐味だいごみだと思っている。



 水族館に着いてからいつきはずっと興奮してはしゃでいる。こっちの水槽からあっちの水槽へと次々に移動して、もころころと転がって移動していく。


 いつきの準備は念入りで、イルカショーを見るためにレインコートを2人分持参してきていた。相当楽しみにしていたのだろう、見たいものに目星をつけていて非常にスムーズに見て周って行った。


 「すごい、きれいだね」


 青や紫にライトアップされ、薄暗い空間に浮かび上がるクラゲの水槽を見ながらいつきが言った。


 「うん、きれい」


 幻想的な空間に感動して自然と2人の口数は少なくなっている。


 「私、水族館って初めて来たけど、こんなにきれいならもっと早く来とけばよかったなあ」


 「俺も小さい頃に一回来ただったから、今日来れてよかった。誘ってくれてありがとう」


 少しの静寂が流れた後いつきの方を見やると、いつきもこちらを見ていて目が合った。目が合って何も言わないのも変だと思って何か話そうとしたら、いつきが不安そうな顔をしながら先に話し始めた。


 「迷惑じゃなかった?」


 全く想像もしないようなことを聞かれて一瞬言葉に詰まってしまった。


 「全然迷惑じゃないよ!何でそんなこと聞くの?」


 「この前私が転校することを話した時に、私のやりたいことに無理やり付き合わせるかたちで誘ったから、気を遣ってくれてるんじゃないかって思っちゃって」


 さっきまで跳ね回っていたが、今は力なく足元に転がっている。


 「それは絶対にないよ。いつきの事情は気の毒だとは思うけど、それとこれとは別だよ。今日もこれからもいつきと一緒に出かけるのは、俺がそうしたいからだよ」


 「ありがとう。水槽を見てる時は楽しくて気にならなかったんだけど、こうやって静かなところにいたらどんどん暗くなっちゃった。ごめんね、変なこと聞いて」


 元気を取り戻したいつきが立ち上がった。


 「そろそろ行こっか」


 いつきが出口の方に歩いて行き、その後ろをついていく。あんなことを考えていたとは。はたから見たら明るく元気に見えても、いつきの精神はかなり疲弊しているのだろう。どうにかしたいと思うが、俺にどうにかできる問題ではないと思うと悔しくなる。



 夏休みが始まって3週間経ち、残り半分を切った。あれからいつきとは週に1,2回のペースで一緒に出かけている。今日もプラネタリウムに行ってきた。


 「普段空を見てもほとんど見えないのに、真っ暗な空の向こうには無数の星があるって考えたら、私達ってすごくちっぽけな存在なんだなって思ったなあ」


 「しかも地球から肉眼で見える星って全部太陽みたいな恒星こうせいだから、見えないほかの星もあるってすごい数だよね」


 帰りの電車の中でプラネタリウムの感想を言い合う。あれからいつきは暗くなることはなく、ずっと明るいいつきだ。


 「色んな星の話を聞いたけど、ちゃんと覚えてるのは自分の星座だけだ」


 おどけた調子でが跳ねた。


 「俺も自分の星座の話が一番印象に残ってるなあ」


 「理人君って何座なの?」


 「俺は牡牛座おうしざだよ」


 「牡牛座ってことは春生まれ?」


 「うん、4月生まれ」


 「じゃあもう17歳なんだね。私は11月生まれの蠍座さそりざだからまだ16歳」


 「じゃあ俺の方が年上だ」


 「理人先輩って呼んだ方がいい?」


 いつきを少しからかってみると、軽やかにが弾んだ。



 「今日もありがとう、また連絡するね?」


 駅で手を振っていつきと別れ、家に帰った。風呂まで済ませてベッドに寝転び、今日のことを振り返る。プラネタリウムには初めて行ったが、欲しに興味がなかった俺でもかなり楽しめた。暗い空間で仰向けに近い姿勢でしばらくいると、眠りそうになったが何とか持ちこたえた。


 部屋の中に携帯の着信音が鳴り響き、半分眠っていた俺の頭が現実に戻ってきた。画面には“透”と表示されている。俺から電話を掛けることはあるが、透が掛けてくるのは珍しい。何か大切な用件でもあるのかと思いながら電話を取った。


 「もしもし、珍しいじゃん透から掛けてくるなんて」


 「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」


 透の声は真剣で、いつもの軽いノリで話していた俺の気を引き締めた。


 「理人って遊佐さんと仲いいの?」


 「え、何で?」


 思いもしなかった質問に眠気が一気に消え去った。これではいつきとの関係を認めているようなものだ。


 「今日駅の前を通ったら2人が一緒にいるのを見たんだけど、遊佐さんと理人が話してるとことか見たことなかったから気になった」


 透はいつもと変わらず冷めた話し方だが、いつもよりも真剣なのが俺にはわかる。


 「実は期末テストの後に話すことがあって、一緒に遊び行ったりしてるんだよね」


 嘘はついていない。だがいつきの事情を俺から勝手に話すわけにはいかないので、今透に言えるのはこれだけだ。


 「それだけ?」


 「うん、友達だよ」


 「わかった、おやすみ」


 「おやすみ」


 電話が切れた。透は納得してなさそうだったが、何か事情があると察してくれたのだろう。深く言及されなかったことに感謝だ。


 しかし、2人で居るところを見られてしまった。俺といつきの関係は秘密にしておくという約束だったが、見られてしまったならもう隠せない。学校からも近い駅で一緒にいたら、知り合いに見られてもおかしくない。見られたのがたまたま透だっただけで、こうなるのは時間の問題だったのかもしれない。


 いつきに、透に関係がばれたことをメッセージで報告した。この先俺たちの関係を秘密にし続けるかどうか、一度相談しておく必要があるだろう。


 すると、すぐに着信が鳴った。


 「伏見君にばれたって、何で?」


 電話に出るなり、初めて聞く勢いでが飛んできた。

 「駅に2人でいるところ見たって」


 「そっか、そうだよね。最寄り駅に集合したら知り合いがいてもおかしくないよね」


 「うん、どうする?透にばれたのは仕方ないとして、夏休み終わってからも関係は秘密にする?」


 少し考えてからいつきは話した。


 「いや、隠さない」


 「わかった」


  俺が頷くと、いつきは付け足して訂正した。


 「あ、でも待って。隠さないって言っても、ばれちゃった伏見君と、瑞葵みずきだけね。あ、瑞葵っていうのは、」


 「知ってるよ、雪村さんだよね」


 雪村ゆきむら瑞葵みずきはクラスメイトで、いつきと仲が良く一緒にいるところをよく見る。


 「近いうちに2人に私が転校することを話そうと思う」


 「え、転校のことも?」


 「うん。それも言わないと納得してくれないだろうから」


 「確かに、そっか」


 力強いの音が鳴り、いつきはすでに決意を固めたようだ。


 「透には俺から言っておくから、いつか決まったら教えて」


 「ありがとう、また連絡するね」


 そこでいつきとの電話は終わった。なぜか俺が今から緊張してきた。



 あの電話をしてから思ったより早く話が進み、2日後に4人で集まった。瑞葵は何で俺と透がいるんだ、と言わんばかりにこちらをにらんでいる。透はそんなこと気にならないといった様子で、いつも通りの無表情のままだ。


 4人の間に流れていた重たい空気を、まるで気にしないが切り裂いた。


 「今日は話したいことがあって読んだの」


 「待って、この2人は何でいるの?」


 瑞葵はオブラートに包むことなく、思うままを言葉にした。


 「2人にもいてもらう必要があるからだよ」


 興奮気味になっている瑞葵をなだめるように、いつきは落ち着いた口調で言った。


 「それで話っていうのはね、」


 そこで一度言葉が止まった。やはり勇気がいるようだ。


 「私、転校することになったの」


 「え、何で?いつ?」


 ぐっと絞り出した言葉に瑞葵が当然の疑問を畳みかける。対照的に透は変わらず無表情のままだ。


 「両親が離婚することになって、お母さんと一緒に引っ越すの。学年の途中で転校するのは大変だろうからっていうので、今年度はまだ転校しないよ」


 「どうにかならないの?今年度ならまだ時間はあるでしょ?」


 「もう決まったことだから」


 いつきは力なく首を振った。瑞葵は諦めたように一度うつむいてから、今度は俺と透のことを指さして言った。


 「それで、あの2人はなんの関係があるの?」


 「実はね、理人君は私が転校することは知ってて、一緒に遊びに行ってもらってるの」


 「何であいつなの?私じゃだめなの?」


 瑞葵は納得がいかないようで、すごい剣幕でまくし立てた。当然だ、いつきと仲がいい瑞葵からしてみれば、よくわからない俺ではなく自分がいつきと一緒に遊びに行きたいと思うだろう。


 「瑞葵には仲いいから言えなかったの。私が転校するって言ったら、瑞葵は悲しんでくれるでしょ?だから、話したことがない理人君なら話しても暗い空気にならないかと思ったの」


 「あいつじゃなきゃだめだったの?」


 瑞葵の苛立いらだちはまだ収まらない。


 「正直誰にも話す気はなかったし、話すとしても瑞葵だと思ってた。でもたまたま理人君と話したあの日に、自分でも理由はわからないけど話してみたくなったんだよね」


 それでも瑞葵は納得がいってないのが表情に出ているが、いつきの気持ちを思ってかそれ以上何も言わなかった。


 「今日は来てくれてありがとう、転校するまであと半年ぐらいだけどよろしくね!」


 いつきは明るく言って締めたが、流れる空気は明るくならない。ぎすぎすと気まずい空気のまま今日のところは解散となった。


 帰りながら考えることはもちろんいつきのことだ。あと半年、長いようであっという間に過ぎてしまいそうで怖い。いつきと話すようになってから、仲良くなってからまだ短い時間ではあるが、確実に俺の中で大きな存在になっている。いつきに転校してほしくないと思う一方で、そんなわがままに嫌気がさす自分もいる。



 「キリンかわいかったな~、ずっとまぬけな顔してて守りたくなっちゃう」


 「俺はレッサーパンダが好きだなあ」


 「すごいかわいいチョイスだね」


 今は動物園に行った帰りの電車の中だ。夏休みの動物園は子どもが多く、非常に混雑していた。だが小学校ぶりに行く動物園は、この年では物足りないかと思っていたが、俺の予想に反していつきと一緒にかなり盛り上がった。


 「さすがに外は暑かったね」


 「でも動物園って夏が似合う感じしない?」


 「やっぱりそうだよね!そう思って動物園にしたんだよね~」


 からころと元気なが飛び跳ね、いつきは得意げに胸を張っている。そんな幼さのあるいつきの言動に、俺はよく元気をもらっている。


 「じゃあまた連絡するね」


 駅に着きいつきは手を振って家の方に歩き出そうとしている。


 「ねえ」


 無意識にいつきを呼び止めてしまった。この先のことは何も考えていなかったが、呼び止めたなら何か言わないと。


 「転校ってどうにかならないの」


 そう思って出た言葉は、いつきのことを苦しめる言葉だった。


 「この前言ったでしょ?もう決まったことだから」


 いつきは少し困った顔をして言った。そこで謝っていればよかったのに、俺はさらにいつきを苦しめる選択をしてしまった。


 「まだ時間はあるでしょ?親には転校したくないこと伝えたの?」


 「それは理人君がうちがどんな感じか知らないから言えるんでしょ?」


 いつきが怒鳴るような声で言った。そのは聞いたことない大きさの音だったが、今までで一番割れそうだった。


 「うちの中ではずっとお父さんとお母さんがピリピリしてて、刺激しないようにn私はずっと存在感を消してるの。そんな中で転校したくないなんて言ったら、絶対喧嘩するから、喧嘩してるところなんて見たくないから言えないの!」


 いつきは呼吸が荒くなり肩で息をしている。気持ちを考えずに傷つけてしまった自分に腹が立つが、いつきが本音を言ってくれたようで嬉しいとも思った。


 「ごめん大きい声出しちゃって。帰ろっか」


 俺の返事を待たずにいつきは歩き出した。俺は謝ろうとしたが、手を伸ばすだけで声が出なかった。


 小さくなったいつきの背中を眺めながら俺はしばらく立ち尽くしていたが、往来の足音と改札の機械音が聞こえてきて俺も家へと歩き出した。



 2学期の始業式が終わり、ホームルーム前の教室の中はいつも通り落ち着きがない。あの後メッセージでいつきに謝罪をしたが返信はなかった。いつきと合わなくなってからの夏休みは、どこか心に穴が開いたようでつまらないものだった。


 ちらりといつきの方を見ると、いつも通りの明るい様子で瑞葵と話している。


 このままいつきとの関係は戻ることなく転校してしまうのだろうか。


 それだけは絶対に嫌だ。そんなことをしてしまったら、あの1ヶ月がなかったことになってしまいそうで怖い。俺はそんなことは絶対にしたくないし、それはいつきも望まないだろう。


 ならば行動するしかない。今日俺はいつきに直接謝る。メッセージでは恐らく無視されてしまうから、ホームルームが終わったら話しかける。俺といつきの関係は秘密にするという約束だが、関係が切れてしまうならその約束も意味がない。



 「話したいことがあるんだけど、この後時間ある?」


 ホームルーム後の人が少なくなった教室で、いつきに話しかけた。それまで笑っていたいつきの顔が、俺が話しかけた途端に感情が消え去り、目を合わせないようにしている。


 「ごめん、今日は用事があるから」


 「じゃあいつなら空いてる?」


 断られても引き下がるわけにはいかない。瑞葵に睨まれているが、俺は話さないといけないから。


 「わかった、一緒に帰ろ」


 しばらく黙った後、俺の視線に耐えかねたのかいつきは時間を俺にくれた。そして立ち上がりドアの方へ歩いて行く。俺も追いかけるように教室を出ていく。



 俺はいつきと話すために、初めて話した日に行ったあの公園に向かった。歩いてる間どちらも喋ることなく、暗い空気が俺たちを包んでいた。


 「いつき?」


 突然知らない男の声がいつきの名前を呼び、2人とも足を止めた。前から聞こえた声の主は、半袖のワイシャツにスラックスを身にまとったサラリーマン風の40代の男だった。


 「お父さん」


 いつきは驚いた様子でつぶやいた。そのつぶやきに俺も驚いた。


 「友達か?」


 いつきの父親が俺の方を見て聞いた。


 「初めまして、折野理人です」


 挨拶をしてお辞儀をする。いつきの父親もそれに応えて挨拶をした。


 「いつきの父です、今年度いっぱいで転校するけど仲良くしてね」


 いつきの父親は人当たりが良く、いつきはこの人に似たのだとよくわかる。


 俺は今言うべきなのかもしれない。本当はいつきに言おうと思っていたが、こんなチャンスは二度とやってこないだろうから逃すわけにはいかない。


 「転校のことどうにかなりませんか?」


 俺の本心だ。これを言うことで2人を困らせることになるのはわかってる、それでも俺は希望を持ちたかった。


 「理人君!だから無理なんだって!」


 俺の言葉を聞いてが俺のことを叩く。いつきの父親も困った顔をしてこちらを見ている。


 「転校するまでまだ半年ありますよね?今ならまだ間に合いませんか?今年度待てるなら、あと一年待てませんか?」


 いつきの父親はしばらく考え込むように下を向いてからいつきのことを真っ直ぐ見て言った。


 「いつきはどうしたいんだ?」


 静かに、しかし威厳のある声でいつきに聞いた。いつきはじっと父親の目を見て答えた。


 「私は、、、転校したくない。みんなと一緒に卒業したい」


 いつきの言葉を聞いて父親はまた考え込んだ。そして答える。


 「今日帰ったらお母さんも一緒に3人で話そう」


 その言葉は俺が望んだものだった。よかった、可能性を諦めなくて。いつきは父親からその言葉が出るとは思ってもなかったようで、口が開いたまま父親のことを見つめて固まっている。


 「ごめんな、今までいつきのことを考えずに全部決めちゃって」


 「ううん、私ももっと早く言えばよかったね。理人君もありがとう、理人君が言ってくれなかったらずっともやもやしたまま転校することになってた。ごめんね怒鳴っちゃって」


 「ううん、俺もいつきの気持ちを考えずに言っちゃったから」


 俺といつきのことを包んでいた暗い空気が流れ去り、前のような関係に戻れたと思う。まだ転校がなくなったと決まったわけではないが、一縷いちるの望みが掴めるほどにはなった。それだけで十分だ。あとは家族で話し合った結果を、いつきからの報告を待とう。



 あの日から1週間が経ち、俺と瑞葵、透の3人はいつきに呼び出されて集まっている。相変わらず瑞葵は俺と透のことを睨んでいるが、いつきはそんなことも意に介さずといった様子でにこにことしている。


 「あのね、みんなに言いたいことがあるの!」


 いつきの様子だけで何を話すのかわかった。


 「転校しなくていいことになりました~!」


 いつきが喜ぶこと一緒に、も走り回っている。


 「ほんと⁉」


 瑞葵はそれまで睨んでいたのが嘘かのように、顔がぱっと明るくなりいつきの肩を揺らした。


 「うん。始業式の日の帰りにお父さんに会ったんだけどね、その時に理人君が転校のことどうにかならないかって言ってくれたおかげで家族でもう一度話し合ったの。それで卒業するまでもう一年待ってもらえることになったの!」


 今にも飛び跳ねそうにいつきが言った。それを聞いて瑞葵が俺の方を向いた。しかし今度は睨んでいなかった。


 「私あんたのこと勘違いしてた。きつく当たっちゃってごめん」


 「ううん、大丈夫」


 しゅんとなって謝罪したが、仲のいい友達が突然知らない男と2人で遊びに行ってたら警戒するのは当然だろう。


 「でも、これから遊びに行くときは私も一緒に行くからね」


 やはり瑞葵はそこを気にしているようだった。俺たち4人を囲んでいた暗く重い空気はなくなり、明るく朗らかなものへと変わった。心なしかいつも無表情を貫いている透の口元も、少しだけ緩んでいるように見えた。

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割れそうな君 にこぴ @Kan10

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