07 ……え?

 狭い1LDKだから、台所で歌う白川さんの鼻歌もまるっと聞こえてくる。

 少しだけ調子外れの、でも可愛らしい歌声だ。

 それからネギをトントンと刻む音。お粥をコトコト煮込む音。

 朝から不快だった雨音も気にならないくらい、それは穏やかな音たちで、僕の心をゆるやかに解いていった。ベッドに横になったまま、僕はそっと目を閉じる。


『ええっと、ここで調味料……あれ、もう弱火で良かったよね?』


『しばらく煮たら卵、卵……。うう、なんか緊張する……っ』


『殻入りませんように! 大して上手くないくせに料理しようとする出しゃばり女になりませんように!』


『そい! ……あっ、怯んだせいで全然ヒビ入らなかった……』


『怯むな芽衣! 勢いが大事よ! ひっひっふー! おらぁ! いっけぇー!』


『そぉい!』


『っしゃあ!』


 ……お粥一つ作るだけでもめまぐるしくて、おかしい。

 僕の中で「笑ってはいけないお粥作り」が開催されてしまっている。

 でも、どうしてだろう。

 こんなにやかましいのに、やっぱりどこか安心してしまうのは……。


『これで早く元気になぁれ』


 ……ずるいんだよな。本当に。



* * *



「できました。響野くん!」

「ありがとう。台所、使いにくくなかった?」

「はい! さ、体起こせますか?」

「大丈夫だよ。本当にもう随分と良くなったから」

「……確かに顔色も良くなってますね」


 僕の顔を覗き込んだ白川さんが安心したように笑う。

 それが照れくさくて、僕はお粥に視線を落とした。

 卵が入ったそれは優しい黄色で、なんだか白川さんそのものみたいだった。

 器を受け取ろうとしたら――白川さんに取り上げられる。


「白川さん?」

「食べさせてあげますね」

「え――」


 白川さんの形のいい唇が、お粥をすくったスプーンに寄せられる。

 ふぅー、ふぅー、と。

 彼女は優しく息を吹きかけ始めた。


「あ、あの、や、白川さ、」

「はい。響野くん。あーん」


 ずい、と口元に突きつけられたお粥は、随分と甘そうに見えて。


「……えっと、その」

「味見はしたので大丈夫だと思いますっ」

「そうじゃなくて……」

「あーん」

「……あ、あー……ん」


 思えば、これで二回目じゃないか。今さら恥ずかしがることもない。もう二度目ともなればいつもの習慣とカウントしたって――いいはずないよな。恥ずかしいに決まってる。そもそも一回目だってバグみたいなものだったんだ。二度目だってバグだこんなん。


 口に含んだお粥がほろりと舌の上で崩れ、優しい甘みが広がっていく。

 どこまでも優しく溶けて全身にしみわたりそうなほど。


「美味しいですか?」

「…………うん」


 嘘だ。緊張して味なんてわからない。

 僕のこの心の声が、彼女には聞こえていないといい、なんて都合のいいことを考えてしまう。

 僕はいつだって彼女の心の内を容赦なく聞いてしまっているくせに。


 そうだ。

 本当は、ずっと不公平で、不平等だったのだ。

 白川さんはこんなにも真っ直ぐ優しく接してくれているというのに。


 とたんに申し訳なさに息が詰まった。

 その細まった気道を、おかゆが優しく押し込んで開いてくれる。

 気づけば僕は口を開いていた。


「……もしも、なんだけど」

「はい」

「すごく唐突で何言ってるんだって感じなんだけど」

「? はい」

「もし……、もし、僕が人の心の声を聞こえるって言ったら……白川さんは、どうする?」

「困ります」


 あまりに即答だった。

 僕はまた息ができなくなる。


 ……分かってはいた。いたじゃないか。それなのにどうして今日は間違えてしまったんだろう。ああ、体が弱ると心も弱って本当にダメだ。


「だって、そうだったら、私が響野くんのことが好きなの、バレてしまいます。だから困ります」

「そうだよな……、え?」

「え?」

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