05 妄想とのギャップよ

 なんやかんや食べ物を買いまくってしまったせいで、僕らは神社の石段で休憩することにした。

 花火が近いからだろう、人影はほとんどない。

 その分、ざわめきがやけに遠くに感じる。

 主張するのはせいぜい虫の音、木々の葉のこすれる音。

 さっきまでいた祭りとはちがう世界みたいだ。

 声や音に酔いそうだった僕にはありがたいけど……夏祭りに誘ってくれた白川さんにとっては面白くないんじゃ……。


「響野くん。この唐揚げ、冷めてもめちゃくちゃ美味しいです……!」


 花より団子、花火より唐揚げだった。


「ハッ……私ばかりはしゃいでしまってすみません」

「いや、そんなことはないよ。僕も楽しんでる」

「本当ですか? 気分転換になりました?」

「うん。とても」

「良かった」


 ふわりと微笑んだその顔は、まるで綿飴みたいに甘そうで。

 僕はなぜか直視できず、目をそらす。


「レポート、大変そうですね」

「うん……白川さんの方は?」

「もうだいぶ終盤ですよ。この調子なら問題なさそうです。出来はさておき、ですけど」

「優秀だなぁ」


 感心すると、とんでもないです、と白川さんははにかんだ。


「来年は教育実習にも行かないとですね。まだ早いんですけど、もう緊張してしまって」


 そう言う白川さんの声音には、ネガティブな色は見られない。

 だけど僕の心はじわりと重みを感じ緩やかに沈んでいく。

 教育実習かぁ……。


『響野くんの先生姿、素敵なんだろうなぁ』


 あ、妄想が始まった。


『はっ……! 生徒に迫られたりして!?』


 天地がひっくり返ってもないだろうよ。


『“先生、私に大人の授業、シて……”とか言われちゃったりして!?』


 白川さん?


『でも響野くん、きっと真面目だから……』


 その評価は悪くないけれど。


『“生徒と先生がこんなことしちゃいけないだろ?”』


 いいぞ、立派な大人としての態度だ。


『“だから今から先生と呼ぶの、禁止な。――名前で呼べよ”……って!?』


「呼ばなきゃセーフ」なわけないだろ。脱法するにも杜撰ずさんすぎるわ。捕まるわ。あと何でちょいちょい妄想の中の僕は俺様気質なんだ? 名前呼びは白川さんのヘキなのか?


『いや女教師から迫られるパターンかも!? “未熟な先生を私が立派な教師にシてア・ゲ・ル”ってか!?』


 女教師への偏見が過ぎる。


「……白川さんは、教師になりたいの?」

「はひぇ!? あ、は、はい!」


 声をかけると、妄想の世界から帰ってきた白川さんが目を白黒させた。

 どこまで没入してたんだこの人。


「そうですね。……私、昔、学校が好きじゃなかったんですよ」

「え……意外だ」

「ふふ、そうですか? けど高校の頃に、いわゆる恩師……というんでしょうか。素敵な先生に出会って。それで学校でも自分なりに過ごしやすくなったんです。それから、私もそういう先生になれたらな……と憧れまして」


 白川さんの恩師……どんなにか人徳のある人だったんだろう。妄想はともかく、白川さんの人気を見ているとそう思わずにはいられない。

 白川さんがここまで憧れる人……。

 モヤリとした何かが胸の縁をなぞる。

 ……何だろう、今の感覚は。


「響野くんはどんな先生になりたいですか?」

「……僕は、教師になるつもりはないよ」

「そうなんですか?」


 白川さんが目を丸くする。

 まあ、じゃあ何で教育学部に入学したんだと思われるのは仕方ない。僕も時々そう思う。そしてだからこそレポートもやる気が出ずに進まないのだ。


「……僕の両親はどちらも教師でね」

「どちらも? すごいですね」

「そうなのかな。……そうなると、何となく両親や周りも期待するだろ? この子も教師になるのかな、って」

「子供自身、身近に手本があると、そうなりやすいとは聞きますしね」

「うん。……で、まあ、僕、空気を読むのは上手い方でさ」


 正確には心の声を聞いてるわけだけど。


「子供心ながら、期待には応えたいと思って振る舞ってきたんだよね。だから教育学部に入ったし、実際両親も喜んでくれたよ。でも……それだけなんだ」


 期待には応えたかった。

 僕にあるのはそれだけで、白川さんみたいな理想があるわけでも、立派な志があるわけでもない。

 それに大学に入ってから薄々感じ始めていたことだけど、思春期まっただ中の子供たちの声を聞き続けるなんて僕には無理だ。こちらが参ってしまう。


「そんなハンパすぎる状態で、生徒の一生を左右するかもしれない職につくなんて……僕には荷が重すぎると思ってさ」


 そう分かっているのに、今まで期待に応え続けてきた僕は、どこでそれをやめればいいか分からない。どうやってやめたらいいか分からない。やめてガッカリされるのも――どうしようもなく怖かった。どこを向いても行き止まりなのだった。


「……響野くんは、優しいんですね」

「話飛んだね?」

「飛んでませんよ。ご両親や周りの期待に応えたくて頑張ったんでしょう? 優しいし、すごいじゃないですか」


 僕は口をつぐむ。

 そんな大層なものじゃない。期待に応えようとしているのだって、心の声が聞こえるというズルありきのようなものだし――。


「それに、子供と真摯に向き合っているからこその考えでしょう?」


 ドン、と遠くで音が聞こえる。

 花火が打ち上がったらしい。

 それなのに白川さんは、そちらに顔を向けるでもなく、僕の目をひたむきに見つめている。


『いいこ、いいこ……なんて言ったら失礼だよねっ』


『でも、やっぱり優しいと思うな……』


『私は自分がこうなりたいっていう自分本位な考えで教師を目指したけど、響野くんは相手のことを考えて教師にならない選択肢も視野に入れてるんだ……』


 彼女の温かさが僕の胸の内をじわりと温める。

 その温かさが込み上げツンと鼻が痛くなった。


「……そんないいヤツじゃないよ」

「え?」

「白川さんは僕を買いかぶりすぎだよ」


 僕の声が小さかったのと、花火が遠くで打ち上がっているのとで、聞き取りにくかったらしい。白川さんが耳を寄せてきた。

 改めて言えば、白川さんは目を丸くして――その目を緩やかに細める。


「だったら、響野くんは買いかぶらせ上手ですね」

「……なんだそれ」


 吐息を感じる距離の近さに、目眩がして。

 言葉に詰まった僕は、ぶっきらぼうにそんなつまらないことしか言えなかった。

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