第14話 クッ殺戦士になりたくて 後編


「……え?」


 嵐のようなあむの抵抗がピタリと止む。

 俺は不思議に思ってあむに目をやると……そこには服をはだけさせ、羞恥から顔を真っ赤に染めては潤んだ瞳でこちらを睨みつける、屈服してされるがままの哀れな少女の姿があった。


 あれ……? この状況、マズくね……?


 はだけた服から覗かせるふっくらな胸元、身動きを取れないようにベッドの頭上で拘束している両手、そんな少女にまたがって鼻息を荒くしている俺。

 状況を俯瞰して見てみれば、俺があむを襲っていると言われても差異はなかった。


「あ……えっ、と……」


 何て声を掛けたらいいのか分からない。だからって拘束を解いたら逆に関節技を決められるわけで、俺もあむと同様に身動きを取れずにいた。


「「…………」」


 気まずい沈黙が続く。

 俺は穴があったら入りたい衝動に駆られるが、自分でも信じられないほどにあむから視線を外すことが出来なかった。

 まん丸の双眸の中で輝く赤紫色の瞳に、意識と思考が吸い込まれる。まるで憑りつかれたかのように、夢中になる。

 あむはそんな俺を見据えると、ゴクリと息を呑み、ひっそりと瞳を閉じた。


「⁉」


 俺は瞬時に悟る。あむが、身を委ねたと。


 えぇ~⁉ 襲わないといけないやつ⁉ 襲わないといけないやつなのこれ⁉


 あむのまさかの大胆な行動に、俺は仰天し、混乱する。だがこういう時こそ、兄として冷静に事を対処せねばならない。

 俺は達観したような涼しい顔をして、心を鎮める。


 ま、まぁ落ち着け俺、ここはお兄ちゃんとしてあむに正しい教育を──


「……おにぃ……ん」

「ん?」


 今にも途絶えそうな声で、あむは発した。だがあまりの小さい声量故に全く聞こえず、俺はあむの口元まで右耳を傾ける。

 あむは俺の耳と触れ合う距離まで口を近づけ……不敵な笑みを浮かべた。


「……この、意気地なし」


 ……それは、予想外の言葉であった。



 は……? 意気地なし……? 


 一瞬告げられた言葉の意味が分からなかったが、無駄に冷静だった頭がすぐにそれを理解する。しかし、到底受け入れられる言葉ではなかった。


 俺は今、あむをベッドに押し倒して拘束している。この場の主導権は俺にあるのだ。……だというのに、あむは俺を試すかのように、俺を誘導するかのように、挑発してきた。俗に言う「クッ、殺せ!」状態ではあるものの、そんな生意気な態度など許せるはずがない。

 俺は舐められて頭に血が上る。が、こういう時こそ冷静に、だ。


 フッ……焦るな俺。状況は、圧倒的なまでに優位ッ……!


 そうだ、慌てる必要もなければ、挑発に乗る必要もないのだ。……だってこの場の主導権は今、俺にあるのだから。

 冷静な俺は頭と興奮を冷やし、冷徹になる。


 そうだなぁ……ここは分からせる為にも、くすぐり一時間の刑に処すか。


 俺は愉悦に満ちた表情をしながら、告げた。


「フッ……、どうやらあむには……教育が必要みたいだなぁ‼」

「っ……!」


 俺は一喝し、下卑た笑みであむの服に手を掛ける。


 そう、全てはクッ殺女戦士を分からせる為に!


「今夜は寝かせないぜ! ベイベ──!」

「──じゃじゃーん! ドッキリ大成こ……う?」


 クッ殺女戦士を分からせようとしたその時、ドーン! と扉から大きな音がした。かと思えば、聞き覚えのある声が飛んでくる。

 俺は恐る恐る扉の方を見ると、そこには唖然と立ち尽くす楓と雀があった。


 雀は『ドッキリ大成功‼』と書かれたプラカードを掲げており、楓は両手でクラッカーを構えている。……パンッ‼ と、クラッカーが無情に炸裂した。


「「「「…………」」」」


 皆が硬直し、静寂が続く。

 その間にも楓と雀は目を瞠目させ、見ていた。……そう、あむを押し倒してはその両手を拘束し、馬乗りとなって襲おうとしている、この俺を。

 俺は息を大きく吸い、仰ぎ──


 うん、終わった。死にたい。


 ──そのまま絶望する。

 出口である扉は楓と雀によって塞がっており、この状況に関して言い逃れも出来そうにない。

 結論、どう抗おうともこの状況を打開できる策はなかった。


 俺は仰ぎ、絶望し、そして……全てを悟ったような仏の顔になる。


 即ち、無の境地。


 そんな境地に至った俺は気色悪いぐらいの微笑みを浮かべ、仰いだまま楓と雀の方を見た。


「おや、これはこれは……どうやら子猫ちゃん達が迷い込んできてしまったようですね」

「……いや無理あるよそれ⁉」

「ケー君が気色悪くなっちゃった……」


クッ……仏になったヤバい奴作戦は駄目か……。


俺は正気に戻り、舌打ちをする。


「ッ! 誤解なんだ! お前らだって知ってるだろ⁉ これはドッキリだって!」

「ケン君の、浮気者……」

「やっぱり、男の子なんだね……」

「だぁあああもう! 二人共予想通りで安心するなぁ⁉ ってか! 雀に関しては付き合ってないから! 浮気じゃないから!」

「えっ、付き合ってる事……忘れちゃったの……?」

「忘れたも何も元々付き合ってないから! 勝手に脳内で存在しない記憶を溢れ出させるな!」


 楓と雀のボケ具合に、ツッコみが止まらない。


 ほんっとに、こいつらはマジで……。


 俺は絶句を通り越して呆れ、項垂れる。だがここで諦めるわけにもいかず、妹の力を借りようとあむの方を向く。


「あむ! お前なら分かってくれるだろ⁉ これは誤解だって!」


 拘束を解き、あむの両肩を掴んでは揺さぶって助けを求める。

 あむはそれに頬を赤らめて両手で顔を覆い、やけに芝居ぶった様子で照れた。


「……もう、お兄ちゃんの意地悪ぅ……」

「あむぅうううううう⁉」


 この妹、畜生である。

 あむに頼った結果、火に油を注ぐこととなり、俺は冷や汗が止まらない。恐怖に駆られて横を振り向くと、そこには穏やか過ぎる笑みを浮かべた楓と雀が居た。


「へぇーあむっちには手を出して、彼女であるうち達には手を出さないんだ」

「ヒッ……、だ、だから誤解って……」

「……ケー君の薄情者」

「グサァッ‼」


 為す術なく自称彼女と本当の彼女にジリジリと追い込まれる俺。それを見て嘲笑するあむ。


 クソォ……後で覚えてろよぉ……。


 あむを睨みつけている間にも、穏やか過ぎる笑みを浮かべた二人が詰め寄ってくる。


「……っ」


 やがてベッドの隅まで追い詰められ、逃げ場を失う。

 俺はせめてもの抵抗を見せるが、流石に女子二人に覆い被されてはびくともしない。結局このままこの二人に食べられてしまうのかと諦念して瞼を閉じた──刹那、


『……よく「クッ、殺せ!」と嘆く騎士がいるでござるが、そういったキャラに限って自害の術を持ち合わせていないのは、何故か……』

『真剣な顔でメタい事言うな』


 脳裏でいつかの順平との会話が呼び起こされる。


 そうか! まだその手が残ってるじゃないか!


 順平との会話に感激しつつ、俺は決心して、楓と雀を見上げる。


「……悪いな。どうやらこの勝負、俺の勝ちだ」

「ケン君……」

「ケー君……」

「お兄ちゃん……」


 何故だろう、三人から哀れみの視線を向けられる。

 こちらは真剣だというのに失礼な奴等だなと憤慨しようになるが、まぁいいだろう。俺の勝利は揺るがないのだからっ。


 あの時、順平は言った。クッ殺戦士は自害の術を持ち合わせていないと。そして今、俺はそのクッ殺戦士と化している。であれば、その運命を断ち切らなくては!


「うぉおおおおおおおおおおおおッッッ‼」


 決心した俺は身を委ねる事も、抵抗する事も選択しない。

 俺は──選択しない事を選択する。


 瞬間、ガンッッッ‼ という鈍い音が周囲と俺の頭の中に響き、振動した。

 ぐわんと、視界が回る。意識が、朦朧としだす。俺は頭頂部を激しく壁にぶつけ、それによって生じた激痛によって身体の制御すらままならなくなり、そのままパタリとベッドに倒れ込んだ。


「ハ、ハ……これが、俺の……貞操、観念だ……」


 絶え絶えにそう吐き捨て、俺はニヤリと口角を上げる。


「「「…………」」」


 だというのに依然として哀れみの、いやそれ以上の冷ややかな視線を向ける三人。

 そんな目に見送られながら、ゆっくりと意識を手放し、瞑目──するはずが、パァンッ‼ というあむの平手打ちが俺の頬に炸裂する。


「え……」


 ぐわんと回っていた視界も、朦朧だった意識も、全て思い出したかのように元通りになる。完全に、我を取り戻してしまった。

 俺は真っ赤になった頬を摩りながら、困惑して問う。


「いやあの、ここは気絶させる流れでは?」

「あ、ごめん……馬鹿と家電は叩けば直ると思って……」

「辛辣ぅ⁉」


 妹の辛口過ぎる物言いに瞠目するのも束の間、完全に意識を取り戻してしまった俺に迫りくる悍ましい影が二つ。


「あ」

「ケン君、いい……よね?」

「今夜は寝かせないよ、ケー君」


 おかしい……今度は本当にそういった類の誘惑なのに、ちっとも興奮しない。


 寧ろ俺は恐怖に怯え、溺れる。ガクガクと、身震いを来す。

 喉元までその恐怖は上ってきて、俺は堪らず──絶叫。


「クッ……殺せぇええええええええええええええええええ──‼」


 そのまま俺は二人に呑まれていき、抵抗も虚しくクッ殺戦士らしい結末を迎えた。

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