0時のノック
橘夏影
誘い
軽快なノックの音が意識をさらう。
叩き方で誰かは分かった。
書きかけのレポートを保存して、玄関に向かう。
ドアを開ける。
「海行こうぜ」
時計はちょうど、0時を回った頃。
当時、ほとんどの学生が大学周辺で一人暮らしをしていた。
そんな終電とは無縁の陸の孤島。
日付が変わってから飲み会が始まるのは、ありふれた事だった。
でも、このパターンは知らない。
「……いいけど」
セルフレームの眼鏡をかけて、落研部員の伝統(?)らしく、ちょっと人様に言えない感じの高座名を名乗っていた。
そんな彼のダイハツ軽に乗り込んで、いざ出発。
軽快なバックからの切り替えし。
僕は彼の運転が好きだった。
自分の手足のようにくるくると肩の力の抜けたハンドリングは、乗っていて心地が良かった。
「踵は常にブレーキの前。アクセルには斜めに足を置くんだよ」
自動車関係の仕事をする祖父から教わったのだと、彼は教えてくれた。
僕はいまでも、その教えを守っている。
窓を開け、九月の夜の気だるげな風を受けながら、一路、大洗へ。
彼は噺家だったが、ふたりでいる時の口数は、決して多くなかった。
BGMはスネオヘアー、くるり、ミスチル、etc.
〝誰かの優しさも 皮肉に聞こえてしまうんだ〟
「そうなんだよー、皮肉に聞こえるんだよー」
ミスチルの〝くるみ〟を聴きながら、おどけた調子で友人が言った。
なにかあったのか、ただの気まぐれか。
特に尋ねるでもなく、「くるみって誰だろう」
そんなことを思いながら、点滅する赤信号や、流れていく自販機を眺めた。
一時間弱、砂浜に着く。
他には誰もいなかった。
想像以上に、暗い。
星が見えたかは覚えてない。
でもたぶん、月は出ていなかった気がする。
闇の奥で、青墨みたいな波が、寄せては返す。
巨大生物の内蔵みたいだった。
「夜の海って、吸い込まれそうになるんだよねー」
確かに、そこには引力があった。
潮鳴りと潮の香り、タバコの匂いが混ざって、どこか遠くへ行きたくなった。
彼が〝わかば〟を三本吸うのを待って、僕らは家路につく。
帰り際、来た時には気づかなかった黒のワンボックスカーが視界の隅に引っかかった。
なんだか揺れていたが、見なかったことにした。
家に着き、彼の部屋でビールを飲んだ。
「はい」
去り際、彼は食べかけの裂きイカの袋を僕に渡しながら、二度、肩を叩いた。
……あぁ、そういうことか。
0時のノック 橘夏影 @KAEi_Tachibana
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