第七十二話
“おいおいおいおい! ヤバすぎる!”
“コメント反応しないならなんで配信するんだよって思ったけど、これは草”
“草超えて森”
“大森林不可避”
“なんで未踏破ダンジョンを突っ走ろうって話になるんだよw”
“もう十四階か”
“階層のモンスターはA級になってる”
“ダッシュのついでみたいにほとんど一撃で倒してるの、意味不明すぎるwww”
“うおおお! ティアたん最強! ティアたん最強!”
“必死こいて魔核拾ってるトールニキも頑張ってるぞ”
“お嬢、たまにカメラに映ったらにっこにこで笑う”
流れていくコメントを目で追いながら、河合咲穂は小さく息を吐いた。自分でも由来不明の吐息だ。溜息なのか、嘆息なのか、別のなにか……ちょっと判然としないが、呼吸を忘れるほどの緊張感はなくなってきた、といったところか。
早坂透の自宅、である。
結局昨日は早坂の奢りで焼肉を食べて、それから一旦咲穂の自宅に寄ってもらって着替えやらなにやらを取ってから、園山家に泊めてもらった。昨日に引き続き、ミカと九条礼子は早坂家に泊まり、追加メンバーの舞阪理沙はシェンナの提案で園山家に泊まることになった。就寝前にはあれこれイベントがあったが――さておき。
現在、咲穂は持ち込んだノート端末と早坂の端末を交互に眺めながら、携帯端末を使って配信のコメントを確認していた。
「これ、ティア、すごくスゴイ?」
配信が映っているモニタを覗き込み、ミカがぽかんと首を傾げた。
「ええ、とても。すごく凄いですよ」
それ以外に言いようもなかったのでそう言って、咲穂は自分のノート端末に入力していた『トール一行の進路図』を確認する。とにかく高速で走り続けるので、MPSと配信用カメラからの映像で地図をざっと作成するしかなかったが、専用のアプリがなければさすがに不可能だった。
未踏破迷宮を探索する際に上位探索者がバックアップとの連携に用いるマッピングアプリだ。探索支援系のアプリケーションは公共の福祉に有益なので、有用性が認められれば国から金銭が支払われ、国民へは無料で配布されることが多い。
“とんでもねぇぞマジで!”
“こないだの配信とは別の意味で『なにを見させられてるんだ』って感じだ”
“S級探索者でもやらないだろ、こんなダッシュ探索”
“未踏破迷宮はRTAするもんじゃねーよw”
“ここまで危うい場面一切ナシ”
“トールニキとお嬢も余裕でついて行ってるっぽいな”
“カメラマンもよくやるわ。執事なら余裕か”
“とかなんとか言ってる間に、もう十七層まで来た”
“そんで全然スピード落とさねぇwww”
配信のコメントは、配信者が一切コメントを返していないというのに大盛況だ。考えてみればスポーツのライブ配信などもコメントに対するリアクションはないので、こういうものと考えれば、割り切って楽しめるのかも知れない。
配信画面はずっと動き続けており、ティアが手に持っている『
「いやぁ……それにしても、マジですげーのね」
やや呆れたふうにシェンナが言って、はぁ、と息を吐いた。自分と同じ様な吐息なのだろうな、と咲穂は小さく笑ってしまう。
「本当に、信じられませんよね。あんなに可愛らしい女の子が、たぶん地球上のほとんどの探索者より強いですよ」
「S級探索者よりも?」
「たぶん――」
と咲穂は頷き、配信のコメントを目で追った。
「――ほら、コメントでも言われてますけど、S級以上はないですから、S級の下位と上位ではかなり実力に差があるらしいんです。私もそこまで詳しく知りませんけど、三年前の『
スガイダンジョンから吐き出されて生まれた『
そしてカミオカダンジョンから現れたヒドラの方は、早坂透が『妖刀』の一振りで斬り殺した。
「正真正銘の腕っこきってワケね。『聖剣』と『妖刀』か……なんであんなもんが、D級ダンジョンに転がってて、あいつが拾うことになったんだろうねぇ?」
あまり納得できない、というふうにシェンナは首を傾げる。母親の真似をしてからミカも同じように首を傾げたが、特に意味はなさそうだ。
いや『かわいい』という巨大な意味はあったが。
「さぁ……? 迷宮のことを、人類はまだ十分に知らない状態ですから。どうして最奥の
「考えても仕方がない?」
「仕方がないかどうかは、判りません」
きっと今こうしている瞬間にも、何処かの誰かは必死で考えているはずだ。ひょっとしたら、なにかしらの見当さえつけているかも知れない。
ただ――それが判ったところで、早坂透が『聖剣』と『妖刀』の持ち主であることは、たぶん変わらないだろう。
なんて、そんな遣り取りをしている間にも配信画面は動いている。
十九階層。この階は上階までとは毛色が違うようで、分かれ道のない一本道。途中途中で広い空間に出て、S級の魔物が待ち構えていた。
「中ボスって感じだね。ってことは、奥に大ボスがいるか」
「トール、大丈夫かな?」
「ティアがいるんだから大丈夫でしょ。今回こいつ、走って魔核拾う以外のことしてないじゃん。いや、ついて行けるだけでもスゴイけどさ」
「途中で飲み物あげてたよ?」
「んー。それも大事なことだわね」
この母子の遣り取りを見ると、咲穂は遠く懐かしい匂いを嗅いだような気分になる。まだずっと幼い頃、祖父母の家に行って、退屈に身を任せて畳の上に寝転がっているときに嗅いだ、あの匂いだ。
窓の向こうで虫が鳴いていて、十年前から飾りっぱなしの風鈴が古い音を響かせている――そんな光景。いつからか祖父母の家には行かなくなって、気づいたときには片方ずつ死んでしまって……葬式で泣くことすらしなかった。
こうして早坂透を手伝ってみても――もしかすると、性根なんて変わらないのかも知れない。自分は結局クズのまま、イイコトをした気になって、そんな勘違いを大事に抱えて、またいつか自分に失望するのだろうか。
判らない。判らないけれど、今はこうしている。こうしたいと思っている。だって、安直に答えをくれる誰かは責任を取ってくれない。
後悔して死ぬときが来るのだとしたら、自分のせいだと思いたい。
「うわっ、マジで瞬殺じゃん。このレベルでも関係ねーんだ」
“S級をワンパン!?”
“この階層ヤバスギィと思ったらティアたんの方がヤベェ!”
“いや実際この階層もヤバい”
“つーかこのダンジョンがヤバい。上層と下層でここまで魔物の階級が変わるダンジョン、相当珍しいぞ”
またティアが魔物をあっさり倒し、余韻もなくそのまま通路を進む。
そうして――大きな、本当に広大な空間に出た。
“ペロ……これは大物の予感”
〈こういうボス部屋は、大物と相場が決まっていますわ〉
コメントを肯定するようなタイミングで、九条礼子がそんなことを言う。
そしてその言葉の真偽は、カメラが動くことですぐに判明した。天井も向こう端も見えないほど巨大な空間の、おそらくは中心あたりに座していたのは、巨大な黒い竜だ。迷宮の薄暗さが迷彩になっており、臨戦態勢をとって身体全体が魔力によって発光するまで輪郭すらあやふやだったのが――威風堂々たる姿を主張する。
“黒龍!”
“S級なのは間違いないが、竜種は強さがまちまちだぞ”
“上位のさらに上澄みってこともありえる?”
“このダンジョンならあるいは、って感じだが”
“ぱっと見、こないだ『アンセム』を追い詰めた竜より強そう”
“ヤバくね?”
“五層前くらいからずーーーっとヤバヤバのヤバ谷園なんだっつの!”
迷宮配信を見慣れていて『一般的な探索者』に馴染みがある視聴者と、あまり詳しくない視聴者の間でかなり認識に違いがあるようだ。
つまり、普段は迷宮配信をあまり見ないような人たちまで、『
〈じゃあ、行ってくるね〉
なんの気負いも見せず、カメラに向かって微笑みかけてから一歩踏み出す勇者の背中に、早坂が「おい」と声をかけた。
振り返ってきょとんと首を傾げるティア。
早坂は、少し迷うようにしてから、言った。
〈あー……今は、好きにやりゃいい。せいぜい楽しめ〉
◇◇◇
「これこれ。こういうとこあんだよ、こいつ。やらしーの」
にまにまと頬をゆるめながらシェンナが言う。科白自体は文句なのに、まるで好みのアーティストのお気に入りのイントロが始まったようなテンションだ。
もしかすると、シェンナ自身も早坂透に欲しい言葉をもらったことがあるのだろうか。ちょうど咲穂が「許すわけじゃない」と言われたみたいに。
簡単に許されなくて――本当にありがたいと思ったのだ。
ふと、咲穂は自分の頬がわずかにゆるんでいるのを自覚し、なんとなくミカへ視線を向けてみれば、どうしてかドヤ顔で胸を張っている。
まったく、本当に判り難い人だ。
いや――本当は判りやすい人なのかも知れない。単に咲穂がきちんと向き合っていなかっただけだ。昨日だって一昨日だって、真っ直ぐ向き合えばきちんと言葉や気持ちを返してくれた。ちょっと皮肉っぽいのは、性格なので仕方ない。
なんてことを考えているうちに、配信画面ではティアが聖剣に魔力を込め、蒼白に輝く巨大な魔力刃が形作られた。翼を広げて構えていた黒竜が息を呑むように、なんというべきか――ぎょっとしたのが判る。
“あっ”
“黒竜オワタ”
三度、剣撃が奔った。
迷宮の薄闇を切り裂くかのように、蒼白に輝く魔力刃が瞬間的に三十メートルくらい伸びて――黒竜を斬ったのだ。
S級の魔物が身にまとっている魔力防御など、ほとんど意味を成さなかった。新品のカッターナイフで風船を割るみたいに、ぱぁん、と魔力防御が突破され、黒竜の巨体が、蒼白の魔力刃によってスライスされた。
〈ゴバアァアァアアァアア――!!〉
それでも、黒竜は獰猛な顎を開き、魔力を集中させて光線か光弾を吐き出そうとした。起死回生というよりは、死なば諸共といったヤケクソみたいな攻撃に見えた。
その、大口を開けた黒竜の頭に――流星が叩き込まれる。
実際に画面が眩しくなるくらいの光量の、魔力衝撃の塊。
あの『大蛇』を二撃で消滅させた聖剣使いの剣撃。
撃ち込まれた流星に――黒竜の頭部だった場所が、ぽっかりとなくなっていた。
〈あ……結構、弱かったね〉
たははー、とカメラに振り返って苦笑するティア。
二秒遅れて黒竜の巨体が傾いで、三秒後に轟音と共に倒れ、そして魔物の死を意味する消滅が起きて……黒竜がいたはずの場所に、たぶん魔核かレアドロップが落ちた。遠くて見えないが、黒竜が消滅したことだけは間違いない。
“…………”
“…………”
“いや、弱いわけあるかーい”
視聴者たちがあまりの光景に絶句して、コメントの流れが止まるほどだった。かろうじてツッコミを入れていた視聴者はすごいな、と感心してしまう。
〈あー……まあ、倒したならいいや。なんか落としてたよな。拾いに行こうぜ〉
〈ト、トールニキ様は……あまり、驚かないのですね……〉
普通の調子を崩さない早坂と、驚愕に目を見開いたままの九条礼子が対照的だったけれど、それは仕方がないだろうと咲穂ですら思う。
あんなの、デタラメすぎる。
そしてそのデタラメを、早坂透はとっくに体験している……のだけど、それにしてもリアクションが薄いよなぁ、とは思う。そもそもそういう性格なのか、あるいはティアに対する信頼なのかは、まだ咲穂には判らない。
ともあれ、黒竜が消滅した場所まで近づいてみれば、魔核ではなくレアドロップがあった。九条礼子によれば『竜爪』とのこと。武器や防具の素材として、竜鱗と並んで有名かつ有用な素材だそうだ。他にも『竜牙』なんかがあるらしいが、どれも一般流通はしておらず、加工からなにから全て特注になるらしい。
〈ふぅん……。そんじゃあ、まあ、買い取りお願いします〉
手に取った竜爪をあまり興味なさそうに眺めてから、ぽんっ、と九条礼子に渡してしまう早坂である。そういえば、レアドロップに関しては九条で買い取るという投資契約を結んでいたのだったか。
当の九条礼子が黒竜討伐に浮かれてテンションが上がっていたらしく、すっかりそのことを忘れていたのは、ご愛敬というべきだろう。冷静でいろという方が、いろいろと無理のある話だ。
“最初からヤベーと思ってたけど、こうして目の当たりにすると、言葉も出ねぇわ。こいつらマジで何処まで行くんだろうな”
そんなコメントが流れて、これに同調したり反発したり冗談で混ぜっ返すようなコメントが次々に流れていく。
でも、確かに……おそらくS級になっているスガイダンジョンを突っ走って乱暴に踏破してしまえるような人たちが、これからなにを成すのか。咲穂には想像もつかなかったし、たぶん早坂透本人だって特に想像していないだろう。
今回の配信で、また改めて世界中の注目を浴びたことは間違いない。
〈あー……とりあえず、今日の探索はこのくらいにしておくか。配信はここで終わりにするわ。一応、ちらっと下の階を覗いてから戻る。今回はマジでコメントとか反応できなかったけど、まあ、気になったらまた見てくれりゃいい。なんかやるときは、SNSで告知すると思う〉
〈ボクも、コメントのみんなと話をするの好きだから、また来てくれたら嬉しいな。今回のボクの活躍とか、褒めてよね〉
〈おほほほ! 九条礼子でございますわ! 今回は――今回は、おそらく視聴者の皆様と同様の驚きを、私も感じていましてよ! 皆様、私の友達はこんなにも凄くて素晴らしいのですわ! 今は全く勝てる気がしませんけれど、私も今後の研鑽に、より一層の熱を込めることになるでしょう! 配信をご覧になっている探索者の方も多くいらっしゃると確信しておりますが、今回のようなダンジョンアタックは例外中の例外ですので、決して真似をしないように! 以上ですわ!〉
相変わらずダルそうな早坂、人懐っこく笑う竜殺しの女剣士ティア、そして主張は激しいが配慮は欠かさない九条礼子の挨拶が終わり、画面が暗転する。
そこで咲穂は端末を操作し、別れの挨拶コメントが流れまくる余韻を残さず、配信を終了させた。
「さて――」
と、シェンナが呟いた、次の瞬間。
窓の外が暗くなったような――。
「――やっぱ、来たみたいね」
苦笑を見せ、ミカを抱き寄せる母猫。咲穂は早坂の端末を改めて見直し、配信が終了していることを確認してから電源を落とした。それから携帯端末で早坂にメッセージを送り、もうできることがなくなったので、暗くなった窓の外に視線をやった。
ただし、窓には近づかない。
観察するだけ。
窓の外が暗い……というより、厳密にはフィルターがかけられているような違和感だ。サングラスをしたら視界が暗くなる、けれど世界の明るさは変わっていない……そういう違和感があった。
さらに次の瞬間、
――――ガバンッ!
という、とんでもない音がして、窓の外が見えなくなった。
さらに数瞬の間があってから、ナニカとナニカが激しくぶつかる、破壊音。
「……ふぅ」
息を吸って、吐く。
もはや外界と遮断された窓を睨みつけるシェンナと、彼女に抱きしめられているミカをちらりと一瞥し、いざとなったら盾になろう、と咲穂は思った。
本当に、ごく自然と、そう思ったのだ。
自分なんかよりも、彼女たちが生きていた方が、ずっといい――と。
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