第六十四話(第二章エピローグ)
佐渡山浩二は空港の駐車場に車を泊め、シートを限界までリクライニングさせた状態で車窓越しの夜空を眺めていた。
わずかに開けた窓の隙間に紫煙が吸い込まれていくのと、頼りない星々の瞬きが同じ視界に入っているのが、なんだかひどく間抜けに思えた。
「やーれやれ。誰も連絡入れて来ないんだもんなぁ……」
フィルターぎりぎりまで灰の迫った煙草を親指と人差し指で押し潰し、いいかげん帰ろうかな、とシートのリクライニングを元に戻す。バックミラーに映る冴えない顔は、昨日と今日でさしたる違いはない。
おそらく四週間前と比べても、あまり変わっていないはずだ。
大きな変化を辿るのであれば、十年の時間が必要になる。
蝋の翼で翔んだイカロスは太陽に近づきすぎて翼が溶け落ちたというが、自分たちも似たようなものだったのだろう。何処までも飛べると思っていた。思っていただけだった。限界を越えたら、あとは落ちるだけ。
どうにか不時着できた――あるいは、今もまだ落ちているのか。
「菜々美ちゃんの空は高そうだったからなぁ」
きっと今もまだ墜落中である後輩のことを考えて少し憂鬱になったが、その後輩が全然連絡してこないのを思い出して殊勝な気分は霧散した。
スーツの内ポケットから携帯端末を取り出せば、時刻はもう午後八時過ぎ。
超過勤務もいいところだ。さすがに帰ろうとエンジンスタートボタンに触れようとしたところで、手の中の携帯端末が震え出す。通話の着信だ。
「はいはい。佐渡山です」
〈相馬だ。早坂透の連絡先を教えてくれ〉
低く固い声音が端末から響く。
あまりに端的な物言いに、佐渡山はうっかり苦笑してしまった。
「それは構いませんが……いや、構うのかな? 相馬さん、早坂くんと会ってるはずでしょう? 本人に連絡先、訊いてないんですか?」
〈あれこれ立て込んでいてな。後でおまえに聞いておけばいいかと本人に確認した。ああ、そういえば佐渡山は空港で巾木のクソとS級探索者クランを待っているとかいう話だったか。空港にいるのか?〉
迷宮庁のお偉いさんを指してクソ呼ばわりだ。相馬賢吾の功労を考えれば、そのくらいの罵倒を口にする権利はありそうなのが同情すべきポイントかも知れない。もちろん、相馬に対する同情だ。
「ええ、空港の駐車場にいますよ。のんびり昼寝してました。誰も来やしないし、誰も連絡ひとつ寄越さないんでね」
〈巾木のクソは、早めの便で到着して、既にアンセムと合流している。S級探索者クランは三日ほど遅れるそうだ〉
「ああ……そうですか。菜々美ちゃんも連絡くらいしてくれりゃいいのに」
〈浜松菜々美なら二度死にかけて精神的に追い込まれているようだから、しばらくは使いものにならんぞ〉
「はぁ?」
死にかけた――元B級探索者が?
頭の中で様々な可能性が巡り、繁盛している居酒屋みたいに騒がしくなったが、佐渡山は可能性の全てを無視することにした。
蚊帳の外だ。
自分で外に出たのだ。
〈詳しくは本人に訊け。奇跡的に携帯端末は壊れていなかったようだからな。あの小娘のフォローは仕事のうちじゃない〉
「いや、俺の仕事でもないんですが……」
〈仕事ではないが私事にはなるだろう。見捨てるつもりなら十年遅い〉
突き放すような言葉は、しかし通話を始めたときと変わらない調子だった。熱くはないし、かといって触れるのを躊躇うほどに冷えてもいない。それなりに冷たいが、病院や学校の廊下の床、くらいの冷え方だ。
そして――言葉の内容については、反論の余地もなかった。
ぐうの音も出ない、というやつだ。
「……相馬さんの方は、早坂くんと会えたんでしょう? こうして無事に通話できてるってことは、殺し合いにはならなかったわけですか」
〈俺が早坂を殺したとは考えないのか?〉
「死んだ相手の連絡先なんか要らんでしょ。それに、あんたが月にクレーターを増やせるってんなら、あるいはと考えたかも知れませんが――聖剣使いも傍にいるし、いくら『
さしたる根拠はない、ただの勘だ。
元探索者としての佐渡山は、それをないがしろにはしない。
〈おまえの言うとおり、やつはそれなりにまともな頭の持ち主だった。ある面においてはぶっ飛んでいるが、探索者であればそれは大抵がそうだ〉
「けど、社会に不利益を撒き散らすタイプじゃない。でしょ?」
〈ああ、そうだな。悪いがそろそろ早坂と連絡を取りたい。通話を切るから、発信元に早坂の連絡先をメッセージで送ってくれ。それではな〉
言うだけ言って、通話が切られた。
なんだか宙ぶらりんのまま放り出されたような気になったが、だからといって相馬に通話をかけて文句を言う気にもならない。仕方ないので携帯端末を操作し、相馬の携帯端末に早坂透の連絡先をメッセージで送ってやる。
「『狩人』の相馬賢吾、か……」
佐渡山が届かなかったS級探索者であり、現在は迷宮庁からの依頼を受けて犯罪探索者を処理する『狩人』でもあるという。
かつては凄腕の探索者として有名だった。それがいつの間にか迷宮探索を控えるようになり、探索者殺しの『狩人』として活動している。人殺しを楽しむタイプには見えないので、彼には彼なりのなにかがあるのだろう。
手の中の携帯端末をしばらく眺め、それをスーツの内ポケットに放り込むべきかを少しだけ悩んだ。すぐに決断できず、新たな煙草を咥えて火をつける。
吐き出した紫煙が車内を漂い、わずかに開けた窓の隙間から逃げていく。
「あぁ……もう……嫌になっちゃうねぇ」
河合咲穂は、早坂透と無事に話ができたのだろうか。
スガイダンジョンの前で『
彼女が優秀な部下であったとは思わないが、しかしとびっきりの無能かといえば別にそんなことはない。能力を発揮する環境にはそもそもいなかったし、あんな場所で腐るなと言えるほど佐渡山は立派な人間じゃない。
人には人それぞれの後悔がある。
ある種の後悔は、当人の未来を決定づけてしまう……のかも知れない。ならば悔いることのない者だけが真に自由ということになるが、佐渡山個人としては、なにひとつ悔いていない者を尊敬できるかは微妙なところだ。
すごいな、と、たぶん思うだろう。
しかし最大限の敬意を払えるかといえば、無理だ。
「菜々美ちゃんさぁ……あの頃は大変だったってのは判るよ。たぶん菜々美ちゃんより判ってるよ。近くで見てたから、よぉーく知ってる。うん。十六歳の女の子には、ちょいとハード過ぎる展開だったのは俺だってそう思うさ。あのとき、菜々美ちゃんを放って置けなかったのは、本音だぜ?」
何処にも繋がっていない携帯端末を眺め、佐渡山は苦笑を洩らしながら独りごちる。この場所でなければ、きっとこんな独り言は洩らさなかっただろう。
夜の空港の駐車場。
独りで、待っていても誰も来やしない。
なんて相応しい場所だろう。
「……俺だって、友達を亡くして辛かったんだぜ? 知らないだろうけどさ」
紫煙と一緒に溜息を吐き出す。
それから、佐渡山は携帯端末を操作して、通話発信ボタンに触れた。
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