第33話

金曜日の放課を告げるチャイムが、教室全体を一瞬で慌ただしさに包んだ。私は今晩のコンビニのシフトについて頭の中で計算しながら、のろのろと教科書をカバンに詰めていると、目の前に覚えのある影が落ちた。


神宮寺が私の机の前に立ち、口元に笑みを浮かべている。何も言わず、二枚の切符を「パシッ」と私の教科書の上に置いた。


私はぽかんとして彼女を見上げた。


彼女は身をかがめ、私の耳元でこっそりとささやいた。「褒美よ…毎晩、私の心も体も満たしてくれる葵にはね。温泉旅館に連れて行ってあげる」


「旅行?」私は反射的にその二枚の切符を手に取り、日付と時刻を目で追った。


「待って…出発日が今日?それに発車時刻まで、あと3時間もないじゃない!」私は驚いて彼女を見た。


神宮寺は当然のようにうなずいた。「そうよ。だからぐずぐずしてないで。家に寄って服も持たなきゃでしょ」


「だ、だって今日はバイトがあるんだよ!」私は慌ててカバンのファスナーを閉め、立ち上がった。職業意識(と店長への申し訳なさ)がそう言わせた。


手首を彼女に握られ、教室の外へと引っ張られていく。「もう店長には休むって伝えてあるから」


「また休み?」店長の困ったような顔が目に浮かんだ。「店長に失礼じゃないかな?怒らないかな…」


神宮寺は足を止め、振り返って私を一瞥した。その美しい目には、悪戯が成功したような輝きが宿っている。「平気よ」彼女は無邪気な口調を真似て、「店長にはね…これは私たちの大事な『新婚旅行』なんだって言っておいたの。店長、すごく喜んで、ゆっくり楽しんで来いってよ」


し、し、新婚旅行?!


電話の向こうの店長が、「我が子もついに…」というような、慈愛と好奇心に満ちた笑顔を浮かべていることが、百パーセント確信できた。


「さ、行きましょ」綾は私の手のひらを強く握りしめた。「あなたの洗面道具と基礎化粧品は、もう簡単にスーツケースに入れておいたから。あとは着ていく服を選ぶだけでいいわ」


---


家に着き、綾が既に整理してくれていたスーツケースを開け、衣類を詰め始めた。下着を収めた引き出しに手を伸ばした時、動作が自然と躊躇した。綿の可愛いイチゴ模様のものと、レースのあしらわれたシルキーなもの、二つのスタイルの異なる下着を手に取る。


私は思わず振り返り、自分のスーツケースの前で忙しくしている神宮寺を見た。「綾、私…どんなスタイルの下着を持って行けばいいと思う?可愛い系の方がいい?それとも…」


口にした瞬間、自分の舌を噛み切りたいほど後悔した。こんな質問、まるで選択権を彼女に委ね、自分を“しつけ”てくれと誘っているようなものだ。


神宮寺は手を止め、こちらの方を向いた。彼女は私を上から下まで見下ろすと、口元に遊び心のある笑みを浮かべ、一歩一歩近づいてきた。


「あら?」彼女は手を伸ばし、冷たい指先でそっと私の頬を撫でた。微かな戦慄が走る。「進んで伺いを立てるようになったの?ずいぶん成長したわね」


「でも今回は試練をあげる。自分で探してみなさい…私を喜ばせられる服を」


「ご褒美はあげるから」


彼女の視線はフックのように私をがっちりと捉え、彼女の一言で私は混乱している様子を愉しんでいるようだった。


「もちろん」彼女は付け加え、意味ありげに自分のスーツケースへ目をやった。「私も…葵が興奮するような服は持っていくわ」


---


温泉地へ向かう電車は、乗客まばらだった。綾と私は窓側の席に並んで座り、手をしっかりと握り合っていた。


よそ目には、休日の旅を楽しむ仲の良い姉妹のように映ったかもしれない。


しかし、その表面的な平穏はすぐに破られた。


「葵」綾が突然近づいてきた。「私たちが乗車してから今までで、この車両の中の少なくとも三人の女性が、あなたを見つめる視線を3秒以上止めたわ」


私は内心驚き、思わず確認しようと顔を上げたが、彼女にさらに強く手を握りしめられた。


「動かないで」彼女は命令した。声はか細かったが、疑いを許さない力強さを帯びている。


次の瞬間、彼女は身を寄せ、片手で私の頬を包み込み、深くて絡み合うようなキスで私の唇を封じた。


これは普段の戯れのような浅いキスではなく、占有欲に満ちた、所有権を主張するキスで、私の息と思考を霸道に奪い、周囲の漠然とした視線を間違いなく惹きつけた。


私はキスされ、体がぐったりし、顔を赤らめ、脳は酸欠状態で真っ白になった。


久しぶりに、彼女はゆっくりと離れ、指先で優しく私の唇の端を撫でながら、私の赤らんだ頬とぼんやりした目を満足気に眺めた。


「マーキングよ」彼女は軽く笑い、自身の所有物に烙印を押すように宣言した。


私は顔を赤らめてうつむいたが、心臓は彼女のあからさまな行動のために激しく鼓動を打っていた。


電車が大きな駅に途中停車した時、私は少し喉が渇いたのを感じた。


「綾、あっちで飲み物買ってくる」私はそう言い、習慣的に立ち上がり、車両連結部にある小さな売店に向かおうとした。


手首が突然強く引かれ、抵抗できない力で私は引き戻され、重心を失って座席に座り込んだ。


綾の腕は柔軟な蔓のように、瞬く間に私の腰をしっかりと締め付け、声には危険な冷たさが滲んでいた。「どこへ行こうとしてるの?」


「私…ただ飲み物を買いに…」私は彼女の反応に驚き、小声で言い訳した。


「飲み物?」彼女は目を細め、私の顔をスキャナーでなぞるような視線を向けた。「どうやら、まだ完全には慣れていないようね、葵」彼女の指が私の腰のあたりをかすめるように触れ、かすかな痒みをもたらした。「あなたのその身体は」彼女は意図的に声を潜めたが、言葉は鮮明だった。「通りすがりの車掌さんでさえ思わず二度見してしまう『やっかいもの』なんだから。大人しくここにいて、必要なものは私が買ってくる」


「やっかいもの」…その言葉は細い針のように、私の心を軽く刺した。


私はぼんやりと、売店へ向かって歩いていく彼女の背中を見つめた。


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