第二十話 英雄たちの厄介な日常(後編)
アイリスとギルが訓練場で大騒動を巻き起こしていた、ちょうどその頃。
王城の第二会議室では、もう一つの、静かだが、同じくらい厄介な戦いが繰り広げられていた。
「―――以上が、我が『王宮美化計画』の全容だ。諸君、この計画の芸術性、理解できたかね?」
光輝魔術師ジーロスは、腕を組み、ふんぞり返って、目の前に座る王国の大臣たちを見渡していた。
彼の前には、光の魔法で作られた、壮麗な王城のホログラムが浮かび上がっている。
玉座の間の天井は、
それを見せられた大臣たち――いずれも、現実的な政治と財政を司る、生真面目な老人たち――は、完全に思考が停止していた。
「…ええと、ジーロス卿」
財務大臣が、恐る恐る口を開いた。
「大変、夢のある計画であることは、理解いたしました。…して、この計画の、ご予算は?」
「予算?」
ジーロスは、心底、心外だという顔で、扇子をパチリと鳴らした。
「ノン! 君は、美を金で測るのかね? この計画は、値段がつけられないほど価値があるのだよ」
「いや、しかし、城の改築には現実的な費用が…」
「野暮だね! アートとは、情熱だ! パッションなのだよ!」
「ですが、その…城壁に巨大なクリスタルを埋め込むとなると、防衛上の問題が…」
「問題ない! 僕の光魔法で、敵の目も眩ませてやろう! 美は、最強の防衛なのだ!」
話が、全く噛み合わない。
ジーロスの芸術論は、現実的な官僚たちを相手に、華麗な空振りを続けていた。
会議室は、シュールな沈黙に包まれる。
時を同じくして、城下町の、とある高級宿屋の一室。
不徳の神官テオは、口八丁手八丁で集めた豪商たちを相手に、新たなビジネスのプレゼンテーションを行っていた。
「―――というわけでしてね、旦那方。この『聖女アイリス様ファンクラブ』は、ただの道楽じゃございやせん。これは、来世への、もっと言やあ、現世でのご利益にも繋がる、『信仰への投資』なんでさ!」
テオは、自分が描いた棒人間のようなアイリスの似顔絵を、「これは、聖女様の内なる神々しさを、あえて抽象的に表現した、高尚なアートでして…」などと、もっともらしい嘘で飾り立てていく。
彼は、懐から、ただの水が入った小瓶を取り出した。
「そして、こちらが、会員様限定で販売いたします、『奇跡の井戸の聖水』! 一瓶、銀貨五十枚! 安いもんでしょう!」
「…ほう。して、その聖水の、ご利益というのは?」
肥え太った商人の一人が、探るような目で尋ねる。
「決まってまさあ! 商売繁盛、家内安全、夜の強壮にまで効く、万能薬! …まあ、効果には個人差がありますがね」
テオは、ギャンブルで鍛え上げたポーカーフェイスと、よどみない口上で、商人たちを煙に巻いていく。
「聖女様は、今や、国王陛下も一目置くお方。このファンクラブの初期会員になるということは、その『奇跡』の、最も近くにいるということ。この意味、賢明な旦那方なら、お分かりでしょう?」
その言葉に、商人たちの目の色が変わった。
彼らが投資したいのは、「奇跡」ではない。
「聖女」というブランドが持つ、王宮に繋がる「コネ」と「影響力」だ。
テオは、その欲望を、正確に見抜いていた。
「ひひひ…。さあ、この歴史的な事業に、一枚噛む勇気のあるお方は、どなたかね…?」
彼の不純なビジネスは、
そして、その頃。
シルフィは、ついに、長い、長い、下り階段の、最下層にたどり着いていた。
ひんやりと、湿った空気。
壁からは、水滴が滴り落ちる音がする。
彼女の目の前には、頑丈な鉄格子がはめられた、いくつかの部屋が並んでいた。
(まあ、少し薄暗くて、カビ臭いけれど…ここが、団長様の執務室なのね! きっと、質素倹約を旨とする、素晴らしい方に違いないわ!)
彼女は、感動に打ち震えながら、一番奥の鉄格子の前まで進み出た。
その中には、白髪と、長い髭をたくわえた老人が一人、鎖に繋がれて座っている。
「…ごめんくださいませ」
シルフィは、鉄格子を、コンコン、と、上品にノックした。
老人が、ゆっくりと、顔を上げる。
その眼光は、長年の牢獄生活でも衰えぬ、鋭い光を放っていた。
「…なんだ、小娘。看守にしては、随分と可愛らしいな」
「あの、あなたが、騎士団長のアルトリウス様でいらっしゃいますか?」
「…………は?」
老人は、数十年ぶりに、心の底から、素っ頓狂な声を上げた。
「私、アイリス様の部下の、シルフィと申します。アイリス様からの、お手紙を、お持ちいたしました」
シルフィは、鉄格子の隙間から、丁寧に、封筒を差し出した。
老人は、目の前の、絶世の美貌を持つ、しかし、恐ろしく頭のネジが緩んでいるとしか思えないエルフの少女を、ただ、呆然と見つめていた。
彼は、この国で最も名高い、伝説の脱獄囚、”鍵開けのガリレオ”だった。
『…………』
彼の脳内には、アイリスからの、三分おきに届く、パニック通信が、嵐のように吹き荒れていたからだ。
『神様! ジーロスが、城の改築予算を巡って、財務大臣と決闘しそうです!』
『神様! テオが、城下で「聖水」と称して、ただの井戸水を売りさばいています!』
『神様! シルフィが、地下牢で、二十年前に国を揺るがした伝説の脱獄囚と、お茶会を始めようとしています!』
最後の報告が、とどめだった。
ノクトは、プツリ、と、理性の糸が切れる音を、はっきりと聞いた。
研究どころではない。
安眠どころではない。
彼は、水盤に映る三つの大惨事を、一つずつ、指差した。
『…新人。今から、超高速で指示を出す。一言も聞き漏らすな』
その声は、怒りを通り越して、絶対零度の、静けさをまとっていた。
『まず、ジーロスを、引きずり出せ。「彼の芸術は、時代を先取りしすぎているため、いったん預かり、百年後の着工を目指す」と伝えろ』
『次に、テオを、捕まえろ。「ファンクラブの収益は、全て聖女様が管理し、恵まれぬ民への寄付金とする」と宣言し、有り金全部、巻き上げろ』
『最後に、シルフィを、回収しろ。「その男は、団長の影武者だ」とでも言っておけ! 理由は、もう、なんでもいい!』
その日の夕方。
アイリスは、やつれ果てた顔で、自分の客室に戻ってきた。
部屋には、彼女が回収してきた、三人の問題児たちと、訓練場から戻ってきたギルが、なぜか全員、しょんぼりと正座している。
彼女は、ベッドに、倒れ込むように、身を投げ出した。
英雄の日常は、魔物との戦いよりも、遥かに、過酷だった。
その頃、ノクトは、固く、決意していた。
(…もうだめだ。こいつらを野放しにしていては、俺の枕が手に入る前に、俺が過労で倒れる)
彼は、机の上に、一枚の羊皮紙を広げた。
(明日からは、俺が、直接、こいつらの行動スケジュールを、分刻みで管理する…!)
不本意なプロデューサー業は、ついに、彼の生活の、全てを蝕み始めていた。
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