主婦、ダンジョンへ行く ~今日の特売のために~** * **専業主婦のダンジョン家計簿**

志乃原七海

第1話## *『主婦、フライパンを握る』**

バイト戦線異状アリ! 〜主婦、フライパン片手にタイムセールを制す〜


第一話:伝説の武器、フライパン覚醒!


「っしゃあぁぁぁ!」


キッチンの蛍光灯の下、母さんの声が爆裂した。テーブルに広げられたスーパーのチラシ。そこには、まるでラスボス出現を告げるかのような、ド派手な赤文字が踊っていた。


【本日15時より!豚コマ大放出!国産豚こま切れ肉 100g 78円! お一人様2パックまで!】


マジかよ、インフレぶっ飛ばす価格破壊じゃん! 母さんの目が、獲物を狙うハンターみたいにギラギラしてる。


「今夜は豚汁…? 生姜焼き…? いや、ここは思い切って酢豚…?」


母さんの脳内献立会議が始まった。でも、その幸せそうな顔を曇らせる、超絶めんどくさい問題が一つ。


そう、あの悪夢のダンジョン、『ため息の洞窟』の存在だ。


結婚、出産を経て、早十数年。やっと自分の時間ができる!って思った矢先に、この物価高ラッシュ。まさか、スーパー行くのに命がけのクエストが発生するなんて、誰が予想できた?


「菜々美ー!起きろー! 買い物行くぞー!」


母さんの声が、部屋まで響き渡る。中学二年の、菜々美。冷静沈着が取り柄のクール系女子(自称)。パート探し始めた母さんにとって、このダンジョン攻略は、社会復帰への第一歩。そして、何より家計を救うための、マジな金策なのだ。


「…なに、まだ昼前じゃん…」


眠い目をこすりながらリビングに降りると、母さんはすでに戦闘モード全開。


「タイムセールだぞ! これは戦(いくさ)だ!」


「はいはい、戦争戦争。…またそれ持ってくの?」


呆れたように指さしたのは、壁にかけられた、使い古しの鉄製フライパン。底は焦げ付きで真っ黒、持ち手は母さんの手の形に完全にフィットしてる。


「これは、お守りであり、武器であり、私の魂そのものだ!」


「ただのフライパンじゃん…」


母さんの戦闘服は、通販で買ったお気に入りの撥水防汚加工エプロン。背中のリュックには、今日のミッションを成功させるための七つ道具が詰め込まれている。水筒に入れた麦茶、救急セット、汚れ落とし用の重曹スプレーとクエン酸水。スライム対策の携帯ワイパーに、シミ抜き剤まで完備。マジで隙がない。


ひんやりとした空気が漂う『ため息の洞窟』の入り口。他の冒険者(主に近所のおばちゃん)たちが、カートやエコバッグを手に緊張した面持ちでいる中、フライパンとエプロン姿の母さんは、完全に場違い。


「行くぞ、菜々美!」


「うん。最初のフロアはスライムが多いから、足元注意ね」


学校の授業で必修科目になった「基礎ダンジョン学」の優等生。今日の俺は、母さんのナビゲーター兼、最強の相棒だ。


一歩足を踏み入れると、早速、床がネチャネチャした感触に変わった。


「うわっ、キモっ…」


「スライムの粘液だよ。強アルカリ性だから、服につくと生地が傷むし、何より滑るからマジ危険」


「なんですって!?」


生地が傷む。その言葉は、モンスターの攻撃よりも主婦の心にクリティカルヒットする。


「母さん、何してんの」


母さんはリュックから携帯ワイパーを取り出し、粘液をゴシゴシ拭き取っていた。


「汚れは放置したら染み付いちゃうでしょ。基本よ、基本」


キュッキュッと床を磨いていると、通路の奥から半透明の塊がぷるぷると近づいてきた。スライムだ!


「菜々美、下がってろ!」


母さんはフライパンを構えた。俺が「熱には弱いけど…」とアドバイスする前に、母さんはスライムの粘液で汚れたワイパーのシートを、ひらりと投げた。


「え?」


汚れたシートに気を取られたスライムが、一瞬動きを止める。その隙に、母さんはフライパンの平らな部分を盾のように使い、スライムを壁際へと押し付けていく。


「汚れは、隅に追いやってから一気に仕留める!」


壁に押し付けられ、身動きが取れなくなったスライムの核(コア)目掛けて、フライパンの角を叩き込む! 鈍い音と共に、スライムは弾けて消えた。


「…マジかよ、母さん、すげーじゃん」


「ふふん。お風呂場のカビ退治と同じ要領よ」


ドヤ顔の母さんだったが、次の敵にはさすがにビビった。


カサカサカサ…!


黒光りする体、無数に動く足。巨大なゴキブリ型モンスター、『コックローチ・ソルジャー』だ!


「ひっ…!」


生理的な恐怖で身体が固まる。だが、母さんの脳裏に、昨夜キッチンで繰り広げられた、奴の同族との死闘がフラッシュバックした。そうだ、母さんは昨日、勝ったのだ。ならば、今日も勝てる!


「菜々美!弱点は!?」


「腹部だよ!でも、ひっくり返さないと!」


「了解ッ!」


母さんは、奴が新聞紙を丸めたものに怯えるのと同じ原理で、フライパンを大きく振りかぶりながら突進した。予想通り、モンスターが一瞬怯んだ隙に、その側面に回り込み、フライパンの縁で足を払う!


バランスを崩してひっくり返り、足をじたばたさせるモンスター。チャンス!


「とどめだ!油汚れには、アルカリ性!」


リュックから重曹スプレーを抜き取り、弱点の腹部に思いっきり噴射した。


「シュワアアアァァッ!」


断末魔のような音を立て、モンスターは泡となって消滅した。後には、親指の先ほどの小さな魔石が、キラリと光っていた。


「…母さん、マジで何者なの…」


「わ・た・し・は、主婦よ」


母さんは魔石を拾い上げ、ポケットにしまった。俺がスマホで調べると、それは一つ50円くらいで換金できるらしい。


「マジか!50円!豚肉代の足しになるじゃん!」


母さんの目は、俄然、輝き始めた。


タイムセールの豚肉。そして、思わぬ臨時収入。


そうだ。これは、ただの買い物ではない。家計を、我が家の食卓を守るための、聖なる戦いなのだ。


「さあ、菜々美!急ぐぞ!タイムセール開始まで、あと45分!」


フライパンを握る手に、力がこもる。


母さんの社会復帰初日は、まだ始まったばかりだ!


(続く)

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