第26話 恐怖と愛情

 1時間後。

 マンションの外には沢山のパトカーが停まっていた。

 屋内にも多数の警察官が居る。

 鑑識が死体や薬莢等を撮影する中、東郷とクラリッサは自室に居た。

 事案は既に《渡り鳥のガン》日本支社に引き継がれ、警視庁と共に脚本シナリオが作られている。

 また、被害者が暴力団の令嬢であることもあり、警察庁刑事局組織犯罪対策部からの捜査員も多数派遣されている。

 一般人に偽装した組員も出入りしている。

 脚証拠がどうであれ、事実でなかったとしても「犯人は、凛の実家と対立中の組織」というのが警視庁と日本支社の脚本だ。

 暴力団が大きな罪を犯せば犯すほど、国民の関心は高まり、警察はその存在性と優秀性を主張する為に大々的に捜査が行える。

 暴力団対策法成立以降は、暴力団は目に見えて弱体化が進行している為、組織犯罪対策部の存在価値は段々薄れている。

 国民の中には廃止論者も居るくらいだ。

 彼らに自分たちの必要性を主張する為に、組織犯罪対策部としては暴力団が犯罪に手を染めて欲しい所だ。

「……大丈夫?」

「何とか」

 東郷の部屋には、凛の姿も。

 銃口を向けられた時の場面が何度もフラッシュバックし、恐怖で動けない。

 自分の家である隣室では1人で過ごせないほど、恐怖心に包まれていた。

「……ごめんね。お邪魔して」

「全然。気にしないで」

 東郷が慰める間、クラリッサが温かいお茶をれて、持ってきた。

「あ、ありがとう……」

 コップの入ったそれを受け取り、ゆっくりと飲む。

 様子からして狙われたのは、初めての経験なのだろう。

 それも信頼している筈のマンション内での凶行だ。

 命の安全が脅かされるような出来事に遭った以上、心的外傷後ストレス障害PTSDになってもおかしくない。

 これを発症すると、その時の様子がフラッシュバックしたり、感情の麻痺まひ、入眠や集中の困難等、様々な症状が出てくる。

 その治療には精神療法等があり、専門家の協力が必要不可欠だ。

「……」

 凛の様子を見た東郷は、少し考えた後、携帯電話を操作する。

「? 東郷君?」

「念の為、医者を呼ぶよ―――」

「ダメ!」

 携帯電話を払い除ける。

「!」

 クラリッサがギョッとする中、凛は涙を出しながら抱き着く。

「1人に……しないで」

 涙は止まらない。

 滝のように流れ続け、頬をつたっていく。

 東郷と密着している為、彼の頬にも涙が付着する。

「……もう、1人は……嫌」

 医者が来れば、必ず治療が始まる。

 その時、東郷と離れ離れになる可能性が高い。

 今まで孤独の中で生きてきた凛としては、再びその世界に戻るのは、耐え難い苦痛だ。

 出来たばかりの友人―――否、初恋の人を手放したくない。

 クラリッサもそうだが、凛もまた、東郷に依存していた。

「……分かった」

 携帯電話を弾き飛ばされながらも、東郷は怒ることなく理解を示す。

 画面が粉々になっても、この反応だ。

 最早もはや何が越えてはならない一線レッドラインなのだろうか。

そばに……傍に……居て」

「……うん」

 涙の懇願こんがんに、東郷は頷く。

「……良いよ」

 ここでも願いが通り、凛は嬉しくなる。

「ありがとう……」

 落涙しつつ、感謝を示すと、その胸の中に顔をうずめるのであった。


 その後の捜査で刺客は、実家の暴力団の対立組織―――ではなく、半グレであった。

 暴力団対策法制定以降、暴力団が弱体化する中、その穴を埋めるかのように台頭しているのが半グレである。

 暴力団とは違い、礼儀作法を重んじない彼らは凶暴で、時には暴力団を相手に抗争することもある。

 また、一部の半グレは暴力団が後援者とされており、暴力団の代わりに犯罪に手を染めていることもある。

 今回の半グレは、一本独鈷いっぽんどっこの組織で、主に暴力団及びその関係者を狙って作業員等にふんした上で接近し、強盗タタキを行っていた。

「……」

 ノートパソコンを操作する東郷の目前には、凛が居る。

 隣の自宅から布団と毛布を持ってきては、そこから作業中の東郷を見詰めている。

 画面は個人情報の可能性がある為、覗き込むことは無い。

 しかし、視線は東郷から離れない。

 視線を感じながらも、東郷はキーボードをカタカタと打ち鳴らす。

「……あの」

「大丈夫。もうすぐ終わるから」

「……ごめん」

「大丈夫だよ」

 かされても、東郷は微笑んで手を振る。

「……」

 それだけで凛は、罪悪感だ。

 回答から数秒後、エンターキーを押した東郷は、漸くノートパソコンを閉じる。

「ごめんね。遅くて」

「大丈夫……」

 自宅に戻らず、押し掛けているのだ。

 誰がどう見ても迷惑をかけているのは凛の方である。

 凛もそれは分かっている為、これ以上の要求はしていない。

 東郷は冷蔵庫から冷えたペットボトルの緑茶を3本出す。

「紅葉さんもどうぞ」

「あ、ありがとう」

 放り投げられ、凛はそれをラグビーのように受け取る。

「ナイスキャッチ」

 褒め称えた東郷は微笑みながら、今度はクラリッサに放る。

「♪」

 凛同様、笑顔で受け取った彼女は、すぐに開栓し、飲み始める。

「今、会社を通して警察庁に頼んで紅葉さんを保護対象者に申請したよ」

「……? それって何?」

「合法的に俺が護衛ボディーガードになった、ってこと」

「!」

 衝撃的な内容に凛は、我が耳を疑った。

「……どういうこと?」

「証人保護プログラムって知ってる?」

「うん。漫画とかアニメで知ったよ」

「その日本版。これから生活費が国から支給されるから。後は旅券と社会保障番号も変わる。届いたら受け取ってね?」

「……」

「改名もできるけど、それは紅葉さん次第だから。若し、変えたければ言ってね。内容次第だけど、不適切な名前以外なら家庭裁判所が許可出すから」

「……東郷君、何者なの?」

 一高校生とは思えないほどの動きぶりだ。

 警察庁や家庭裁判所もすんなり動かせる辺り、相当な権力を有していることが伺える。

「登録している会社が警察や自衛隊の天下り先でね。結構、融通が利くんだよ」

 嘘で自身の直接的な関与を否定する。

「……そうなんだ」

 怪しさも感じるが、凛はそれ以上追及しない。

 助けてもらっているのだから、恩人を怪しむのは不適切だ。

「……頼りにしているよ」

「うん。守るから」

「……」

 その言葉に凛は、安心感を覚える。

 もう限界だ。

 居ても立っても居られない。

「東郷君」

 ほうけた表情で言うと、急接近し、その恩人に抱き着く。

「!」

 クラリッサは驚く。

 が、東郷は冷静だ。

「……」

 微笑んではその背中を優しく抱きしめ返す。

(ああ……好き)

 胸の中で好意を改めて確認した凛は、その胸元に顔を深く埋めるのであった。


[参考文献・出典]

 MSDマニュアル家庭版

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