第7章 夢に現れる魔王の啓示

戦場の夜は静まり返っていた。

 だが、静寂は平和ではなく、ただ死の匂いを濃くしているに過ぎない。


 砦の一角に設けられた野営地で、私は焚き火の前に座っていた。

 炎を見つめると、刻印が脈打つたびに赤が揺らぎ、まるで呼応しているように見えた。


「アレン……」

 背後から声をかけてきたのはミラだった。

 彼女の目は心配に曇り、私の手に隠された刻印を見て小さく息を呑んだ。


「みんな……怖がってるよね」

「……仕方ないさ。俺自身、怖いんだ」


 焚き火に照らされた彼女の瞳は潤んでいた。

 言葉にできない想いがそこにあるのを感じ、私は口を閉ざした。


 やがて彼女は、かすかに微笑んだ。

「それでも……私は信じるよ。アレンがこの世界に来たのは、きっと意味があるって」


 その一言が心に灯をともした。

 だが同時に、胸の刻印は熱を増し、不吉な鼓動を刻んでいた。



 夜更け、眠りに落ちた瞬間だった。

 暗闇に落ちていくような感覚。

 地の底へ、底なしの奈落へと引きずられていく。


 やがて目を開くと、そこはどこまでも広がる荒野だった。

 赤黒い空の下、地平線まで続く屍の山。

 血と硝煙の匂いが漂い、耳をつんざくような呻き声が響いている。


「……ここは……」


 言葉はすぐに凍りついた。

 屍の山の頂に、巨大な影が佇んでいたからだ。


 それは人の形をしていたが、角と翼を持ち、瞳は深紅に燃えていた。

 その存在感だけで、空気が震え、大地が軋む。


 ――魔王。


 本能がそう告げた。



『ようやく、来たか』

 声は轟きのように荒野全体に響き渡った。

 だがその響きは耳でなく、頭の奥に直接刻まれる。


「お前が……あの声の主か」

 唇が乾き、声が掠れる。


『そうだ。汝、異界の魂よ。我が炎を受け継ぐ者よ』


 刻印が焼けるように疼き、視界が赤く染まった。

 魔王の眼差しと刻印の熱が、同じ脈動で共鳴している。


「受け継ぐ……? 俺は人間だ、お前の仲間じゃない!」


 荒野に叫ぶと、魔王はゆっくりと笑った。

『人間か……なるほど。だが忘れるな。汝はすでにこの世界の理から外れた存在。転生は一度きり――その魂は本来、ここにはない』


 胸の奥が凍りつく。

 転生は一度きり――。

 その言葉は、この世界に来た日の記憶と重なった。


「……お前は何を知っている」


『すべてを知っている。世界の始まりも、神々の罪も。やがて汝も知るだろう。炎の継承が意味するものを』


 魔王の背後で、屍の山が揺らめいた。

 呻き声が悲鳴に変わり、無数の手が私に伸びてくる。


「やめろ!」

 必死に振り払おうとしたが、身体は重く動かなかった。

 屍の冷たい指が肌を掴み、胸の刻印が熱を爆ぜる。


『抗え。証明せよ。汝の炎が呪いか希望かを』


 その声と共に、荒野が崩れ落ち、私は奈落へと沈んでいった。



奈落に落ちていく感覚の中で、声だけが鮮明に響いていた。


『人は忘れている。世界がいかにして成り立ったかを』


 暗闇の底に光が瞬いた。

 それは炎の奔流となり、幻影のように情景を映し出した。


 ――遥か昔。

 神々が地に降り立ち、混沌を秩序に変えた時代。

 だが、秩序を作る代償として、数多の魂が実験の道具にされた。


『転生の理は神の罪の産物。魂を使い潰し、別の器に押し込む。汝もまた、その犠牲者にすぎぬ』


「……犠牲者……」

 唇が震えた。

 確かに私は元の世界で死に、この世界に転生した。

 それは奇跡だと信じていた。だが今は――。


『奇跡ではない。管理だ。魂を家畜のように循環させ、都合よく使い潰す……それが神々の理』


 荒野に立つ魔王の瞳が、真紅に輝いた。

 そこには憎悪と、奇妙な慈悲が混ざっていた。


『我は抗う。魂の檻を破り、真の自由を得るために。汝もまた抗え。さもなくば、このまま炎に呑まれて消えるのみ』



「抗え……? 俺に、何をさせたい!」


 叫んだ瞬間、胸の刻印が眩く輝いた。

 炎が身体を突き抜け、意識が裂ける。


『やがて分かる。王国は汝を恐れ、仲間すら試される。だが忘れるな――汝は選ばれた。炎の継承者として』


 魔王の声が、次第に遠ざかる。

 崩れ落ちる荒野の中で、私はただ必死にその言葉を追った。


『最後の転生者よ……真実の時は近い』



 目を開けた時、天井の石造りが見えた。

 砦の寝台に横たわり、額には冷たい汗が滲んでいた。


「夢……いや、違う」

 胸の刻印は赤く光り、鼓動と同じリズムで脈打っていた。


 隣の寝台では、ミラが眠り、レオンが剣を抱いて座っていた。

 二人の安らかな姿が、かえって恐ろしく思えた。


 ――本当に、この炎は希望なのか。

 それとも、魔王の言う通り呪いなのか。


 答えはまだ分からない。

 だが一つだけ確かなのは、刻印が日に日に強くなり、この世界の理そのものへ導こうとしていることだった。


 私は拳を握り、囁くように言った。

「……抗ってやる。たとえ、この命が一度きりでも」


 刻印が熱を帯び、まるで応えるかのように赤く瞬いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る