第7章 夢に現れる魔王の啓示
戦場の夜は静まり返っていた。
だが、静寂は平和ではなく、ただ死の匂いを濃くしているに過ぎない。
砦の一角に設けられた野営地で、私は焚き火の前に座っていた。
炎を見つめると、刻印が脈打つたびに赤が揺らぎ、まるで呼応しているように見えた。
「アレン……」
背後から声をかけてきたのはミラだった。
彼女の目は心配に曇り、私の手に隠された刻印を見て小さく息を呑んだ。
「みんな……怖がってるよね」
「……仕方ないさ。俺自身、怖いんだ」
焚き火に照らされた彼女の瞳は潤んでいた。
言葉にできない想いがそこにあるのを感じ、私は口を閉ざした。
やがて彼女は、かすかに微笑んだ。
「それでも……私は信じるよ。アレンがこの世界に来たのは、きっと意味があるって」
その一言が心に灯をともした。
だが同時に、胸の刻印は熱を増し、不吉な鼓動を刻んでいた。
◆
夜更け、眠りに落ちた瞬間だった。
暗闇に落ちていくような感覚。
地の底へ、底なしの奈落へと引きずられていく。
やがて目を開くと、そこはどこまでも広がる荒野だった。
赤黒い空の下、地平線まで続く屍の山。
血と硝煙の匂いが漂い、耳をつんざくような呻き声が響いている。
「……ここは……」
言葉はすぐに凍りついた。
屍の山の頂に、巨大な影が佇んでいたからだ。
それは人の形をしていたが、角と翼を持ち、瞳は深紅に燃えていた。
その存在感だけで、空気が震え、大地が軋む。
――魔王。
本能がそう告げた。
◆
『ようやく、来たか』
声は轟きのように荒野全体に響き渡った。
だがその響きは耳でなく、頭の奥に直接刻まれる。
「お前が……あの声の主か」
唇が乾き、声が掠れる。
『そうだ。汝、異界の魂よ。我が炎を受け継ぐ者よ』
刻印が焼けるように疼き、視界が赤く染まった。
魔王の眼差しと刻印の熱が、同じ脈動で共鳴している。
「受け継ぐ……? 俺は人間だ、お前の仲間じゃない!」
荒野に叫ぶと、魔王はゆっくりと笑った。
『人間か……なるほど。だが忘れるな。汝はすでにこの世界の理から外れた存在。転生は一度きり――その魂は本来、ここにはない』
胸の奥が凍りつく。
転生は一度きり――。
その言葉は、この世界に来た日の記憶と重なった。
「……お前は何を知っている」
『すべてを知っている。世界の始まりも、神々の罪も。やがて汝も知るだろう。炎の継承が意味するものを』
魔王の背後で、屍の山が揺らめいた。
呻き声が悲鳴に変わり、無数の手が私に伸びてくる。
「やめろ!」
必死に振り払おうとしたが、身体は重く動かなかった。
屍の冷たい指が肌を掴み、胸の刻印が熱を爆ぜる。
『抗え。証明せよ。汝の炎が呪いか希望かを』
その声と共に、荒野が崩れ落ち、私は奈落へと沈んでいった。
◆
奈落に落ちていく感覚の中で、声だけが鮮明に響いていた。
『人は忘れている。世界がいかにして成り立ったかを』
暗闇の底に光が瞬いた。
それは炎の奔流となり、幻影のように情景を映し出した。
――遥か昔。
神々が地に降り立ち、混沌を秩序に変えた時代。
だが、秩序を作る代償として、数多の魂が実験の道具にされた。
『転生の理は神の罪の産物。魂を使い潰し、別の器に押し込む。汝もまた、その犠牲者にすぎぬ』
「……犠牲者……」
唇が震えた。
確かに私は元の世界で死に、この世界に転生した。
それは奇跡だと信じていた。だが今は――。
『奇跡ではない。管理だ。魂を家畜のように循環させ、都合よく使い潰す……それが神々の理』
荒野に立つ魔王の瞳が、真紅に輝いた。
そこには憎悪と、奇妙な慈悲が混ざっていた。
『我は抗う。魂の檻を破り、真の自由を得るために。汝もまた抗え。さもなくば、このまま炎に呑まれて消えるのみ』
◆
「抗え……? 俺に、何をさせたい!」
叫んだ瞬間、胸の刻印が眩く輝いた。
炎が身体を突き抜け、意識が裂ける。
『やがて分かる。王国は汝を恐れ、仲間すら試される。だが忘れるな――汝は選ばれた。炎の継承者として』
魔王の声が、次第に遠ざかる。
崩れ落ちる荒野の中で、私はただ必死にその言葉を追った。
『最後の転生者よ……真実の時は近い』
◆
目を開けた時、天井の石造りが見えた。
砦の寝台に横たわり、額には冷たい汗が滲んでいた。
「夢……いや、違う」
胸の刻印は赤く光り、鼓動と同じリズムで脈打っていた。
隣の寝台では、ミラが眠り、レオンが剣を抱いて座っていた。
二人の安らかな姿が、かえって恐ろしく思えた。
――本当に、この炎は希望なのか。
それとも、魔王の言う通り呪いなのか。
答えはまだ分からない。
だが一つだけ確かなのは、刻印が日に日に強くなり、この世界の理そのものへ導こうとしていることだった。
私は拳を握り、囁くように言った。
「……抗ってやる。たとえ、この命が一度きりでも」
刻印が熱を帯び、まるで応えるかのように赤く瞬いた。
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