第5話 Siren

大きなサイレンの音。真夜中だった。

小部屋に母親が入ってきて「床下に隠れなさい」と言った。僕はわけもわからず小さなぬいぐるみを握りしめて床下へ。「水と食べ物を持ってくるから」と母は床下の扉を閉じ、足音だけが遠ざかっていく。大きなサイレンは怪獣の鳴き声みたいだった。怪獣の名前を考えていると母親の足音がバタバタと近づいてきてガチャッと頭上の扉が開いた。小袋を持った母親が隣に入ってきてカチャリ、と扉が閉まる。床下の小さな空間はひんやりしていて寒い。「靴下が欲しい」と言ったが、出てはいけないと言われた。


「なんのサイレン?」


声を殺して聞く。


「悪魔の音」


と、母。「悪魔?」オオオオオン、オオオオオオオーーーーン、と唸る音。「どこから鳴ってるの?」「ウォカテでしょ」「ウォカテで何かが始まった?」「さあ知らないわ、レダは大丈夫かしら。レダは優秀な生徒だからきっと守られてるわ、大丈夫だわ…」


母親の持ってきた小袋の中身は水と、乾パン、小魚のスナック、野菜ジュースなど。「お腹が空いたらこれらを食べて」と母親は優しい声で言い、僕の髪を撫でる。オオオオン、オオオオーーーーン。管理都市から響く悪魔の声。怒っているような、悲しんでいるような、どうしていいかわからないような。あるいは断末魔のような、あるいは産声のような。


怖い怖い怖い怖い。「こわいこわいこわい…」

「大丈夫大丈夫、ママがいる。ママの手を握って。ママの作ったぬいぐるみもいるでしょう。大丈夫、あなたは守られてる」「うん」


結構長い間サイレンが鳴っていた。僕と母親は床下で息を潜めていた。


「人形劇、する?」と、母。「うん」と僕。

「じゃあ始めましょう、可愛い物語が始まるよ。オルトと、ちいさなぬいぐるみくんのお話よ」


母親は僕の手からぬいぐるみを取り、目の前でぬいぐるみをトコトコ歩かせた。「オルトくん、ぼくがいるからこわくないよ!ぼくはオルトくんとおなじふくをきたともだち。となりにママもいる!おやつもある。さあぼくの手を握って」「うん」


僕は母親の動かすぬいぐるみのちいさなちいさな手をギュッと握った。


「ねえ、こわくない!だいじょうぶだよ。ゆかしたは安全なんだ。どんなお話をする?なにがすき?」

「コーンスープが好き」

「コーンスープ!いっしょにのもう!ヨシャロでとうもろこしを買ってきてさ。いっしょにつくろう。あまくておいしい……コーンスープを……」


ぬいぐるみが震え出して、エッと思って隣を見ると母親の肩が震えていた。


「ママ……」

「オルトくんだいじょうぶ、ママだいじょうぶだよ。オルトくんおなかすいてない?さむければ……ママのふくをうえから着て……」

「ママ、ありがとう」


僕はママを精一杯ぎゅっとした。ママはぬいぐるみを握ったまま震えながら抱きしめてくれて、ママの頬が濡れていて、ママの肌が冷たくて、でも僕とママの間は温かい。その夜はそのままママと抱き合いながら眠ってしまった。コオロギの声を聴きながら。深海に沈むようにゆったりと。溶けるように。




目を覚ますと僕は一人だった。

おそるおそる頭上の床下扉を開ける。サイレンは鳴っていない。床下からひょっこり顔を出してママを探す。「ママ」


床下から這い出して数歩歩くと、キッチンから音がした。そっと覗くとママの横顔が見えた。まな板にとうもろこしが乗っている。ザク、ザク、と音がする。


「オルト、おはよう。よく寝ていたわよ。とうもろこしがあったからね、朝ごはんに食べなさい。スープにするか、それともこの輪切りを茹でて食べる?」

「スープ…」


とうもろこしはスープになった。光の入らない小さな食卓でママとスープを飲む。甘くて温かくて美味しい。


「あのサイレンはなんだったの?」

「わからないわ。怖かったわね。今度ヨシャロに行った時、聞いてみるわ」

「僕も行きたい」

「オルトはだめ」

「どうして」

「オルトは…………あなたは可愛くてとてもいい子だから」


母親はコーンスープを飲みながら言った。

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