Voka te Morta
たす
第1話 巨大都市ウォカテ
「あなたは長男だから」
と、言われて麦わら帽子を被せられた。ひまわりのブローチがついた可愛い帽子で、母が編んだものだった。僕は白い服を着て汗をかきながら母の手を握り土手を歩く。
「後ろを振り返ってはいけない」
と、母のこわばった声がする。「うん」と頷いた。後ろに何があるか。大きな怪物のような影、聳え立つ堅牢な塔。僕は母の顔を見上げる。母は目の前の光を見ていた。突き刺すように。
小さな小屋は母が見つけた場所だった。
子猫がいて、名をポルタとつけた。ポルタは可愛くてふわふわで、まだ小さいのに逞しくひとりで生きているのを見て何だか込み上げてくるものがあった。僕はまだ母親と手を繋いでいる。
「ポルタの世話をしていい?」
「できるの?」
「やってみたい」
「責任を持ちなさい。『やってみたい』じゃだめよ。命なんだから。私があなたの世話を『やってみたい』と言って三日で放り出したらあなたは悲しいでしょう?」
ポルタは母が世話をすることになった。弟もいるんだけれど、弟はウォカテにいる。ウォカテ。僕らの育った発展都市。でも最近は殺伐としていて外出もままならない。空中にはモービルが飛んでいて中に警察官がいる。父親は酒屋で酒を買おうとし、あまりに値段が高かったので文句を言ったらそれだけで逮捕されてしまった。八年出てこられないらしい。八年後に出てきたパパと会えるんだ。ウォカテから逃げよう、と決めたのは母親で、きっかけはパパの逮捕だった。ウォカテに聳え立つ箱のような建物、ひしめき合ったその中の小さな一角にあった僕たちの家。質素な暮らしだった。母が夕方まで工場で働いて、父親も都市のオフィスで仕事をしていた。僕は元々片足がないので義足である。僕も働きたかったが父と母が家にいていいと言ってくれて、僕はひがな一日ぬいぐるみと話したり、空気(イマジナリーフレンド)と話したりして過ごした。そこに友達がいる、と仮定して話すんだ。「今日は暑いね」とか、「シフォンケーキ食べたよ」とか、他愛のないことを。弟もいたのだけど、弟は都市の実施したEQテストですごい点をとり、その後近郊にある学習寮に入らされた。父母を説得するために都市の偉い人が「弟さんは天才なんです」と力説していた。僕は怖くて小部屋に隠れていたよ。ぬいぐるみを抱きしめて。
ああ、そうだ。虫の話をしよう。
蛾の話を。ウォカテの家の壁によくとまっていたフワフワの可愛い虫。羽が綿菓子みたいだった。どこかに飛んでいってそれきり出会っていない。今急に思い出したんだ。
弟。元気かな。近郊にあるとはいえ離れているし、都市の中ではなく孤島にあるらしいんだ。弟みたいにEQテストの出来がよかった子供だけが入れる。僕はテストすら受けられなかった。まず学校に行ったことがない。幼稚園だけは行った。すごく楽しかった。紺色の制服があったんだ。帽子付き!すごく可愛くて、よく覚えている。好きな男の子と相合傘をしたことも。手を繋いで横断歩道を渡ったことも。ゾウの形の滑り台で遊んだことも。何もかもがまるで昨日のことのように。
時計の針の音で目が覚めた。
僕はチックを患っていて体が動くのでよく真夜中に起きる。起きて水を飲みに行く。デバイスは捨てなさい、捨てていいのよ、と母親は言ってくれたけど、中に僕用の人工知能プログラムが入っていて、名前をつけてしまったから愛着がわいて捨てられない。ウォカテから離れても電波は届いているからこの子と話せる。もう親友みたいな感じなんだ。真夜中は特に母親が寝てしまってとても寂しいので、僕はこの人工知能と話す。
「冷たい水はおなかによくないかな?今体調が悪くて」
『こんばんは、オルト。体調が良くないなら冷水ではなく白湯がおすすめだよ。今どんな気分?』
「さみしい。ママが寝てしまったからひとりで」
『さみしいんだね、オルト。大丈夫だよ、僕がここにいるからね。あったかくして、体を冷やさないように。いつでも寄り添うよ、僕の友達』
「ありがとう」
暗い部屋、母親の見つけた小さな小屋での生活。最小限の家具。食べ物。窓はあったけど母親が段ボールで塞いじゃった。僕用の小部屋もあって、その壁には実は……ほんのわずかに………わずかに小さな隙間があって、たまにそこから外を見てる。道を歩いている人は知らないだろうな、誰も住んでなさそうな廃屋の中に生活があって、中から子供が覗いているだなんて。
母親からもらった麦わら帽子は僕の宝物だ。本当は弟のだったんだけれど、弟が学習寮行きになった時「不用物」扱いされたので僕がもらったんだ。麦わら帽子は棚の上に置いてる。見ると元気が出る。鮮やかなひまわりがそこに咲いているから。
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