第8話:少女よ!魔法を沼地に刻め!
沼地のダンジョンは、街から西へ進んだ先、国境沿いの休火山の裾野に位置している。
海がすぐ近くまで切れ込んでいるせいか、水属性の影響を強く受けており、
乾いた大地にも関わらず、洞窟を進むと重く湿った空気に包まれ、広大な湿原が待ち受けていた。
足を踏み出すと、グジュリとぬかるみが靴を引き止める。
あたりを見渡せば、湿った風に揺れる葦と、まばらに生えた細い木々。
そして――視界の端に、蠢きながらゆっくりと迫る黒い塊が映った。
「どうやら、間に合ったようだね」
アルネスが短杖を腰から抜きながら話す。
その声は、先ほどまでと同じはずなのに、どこか硬さがあった。
彼は黒い塊から私へと目を移し、こちらをしっかりと見て言った。
「ではサナさん、お願いします。時間はあまりありません。」
名前を呼ばれた瞬間、胸の奥がきゅっと締まった。
アルネスの目は、優しいけれど真剣だった。
私は小さく息を吸い込み、泥に沈みかけた足を踏み直す。
――やるしかない。
杖に魔力を集めながら、集中してイメージを固めた。
この湿原に、私の魔法で足場を刻むために。
ゆっくりと振り下ろされた杖が、湿った大地を優しくなでる。
まずは、沈まない地面の確保が最優先。
泥に溶けた土を集め、平らな地面を盛り上げる。
次に、水気を逃がすために砂利を敷き詰める。
大きすぎず、小さすぎず――土をぎゅっと固め、粒の細かさを調整する。
そして最後に、足場の周囲の泥を固めて堀を刻む。
まわりの土を集めたことで、周囲の水が行き場を失っていたのだ。
そうしてこの湿原に、私の魔法で足場が作られた。
「こりゃ立派だな! 仕上げは任せとけ!」
ゴウが嬉しそうに言うと、足場の表面を炎が舐めていく。
熱が走り、湿った土の表面がジュッと音を立てて固まっていく。
水気が飛んだ足場は、足を滑らせる心配もない。
「予想以上に素晴らしい……陣地と言うにふさわしい出来ですね」
アルネスが静かに言った。声には確かな評価が込められている。
「すごいすごい! 飛んだり跳ねたり余裕じゃん!」
「広さも十分以上だ。感謝する」
双子が足場の上で体を伸ばしながら、嬉しそうに声を弾ませる。
「……あとは下がっていろ」
ロランは前を見据えながら剣を抜き、黒い塊に向かって歩みを進めた。
彼の言葉は、相変わらず冷たい。
けれど、今回はその意味が分かった。
“あとは任せろ”――そう言われたのだ。
誉め言葉じゃない。
でも、私の役割を認めてくれた証。
私は、ちゃんと役に立てたんだ。
足場を作った後の私は、アルネスの横で、戦況をじっと見つめていた。
ロランが長剣をふるい前に出ると、ルミーナとカリーナがその脇を固める。
壁のように立ち上がるゴウの火魔法が、左右から迫るモンスターの群れを遮断する。
「――ゴウの魔力頼りですが、正面だけに集中して戦えば、崩れることはないでしょう」
アルネスはこちらを見ずに、ゆっくりと説明してくれた。
彼らの動きは、迷いなく、滑らかだった。
この陣形は、互いの役割がはっきりしているからこそ成立しているのだろう。
私の役割も、彼らの一部になれたのだろうか?
しばらく戦況を見つめていたら、補助と回復の奇跡に忙しくしていたアルネスが、不意にこちらを向いた。
「やはり、炎の勢いがいつもより弱いですね……サナさん、少し下がりましょう」
アルネスの声は冷静だった。
私は、理由は分からないまま、けれど迷うことなく動いた。
前を向いたまま、ゆっくりと後退を始める。
先輩の作った炎の壁は、ごうごうと音を立てて燃え続けている。
高く立ち上る光と熱の防壁は、如何なる敵をも焼き払い、接近を許さないように見える。
だが――炎の上部が、ふと揺らめきを乱し、光が一瞬、遮られた。
その隙間から、黒い影が滑るように、落ちるように、襲いかかってくる。
焼かれ潰れた敵の体が足場となり、さらにその上から滑空するように。
水気をまとった体が、熱に晒されて白い湯気をあげていた。
焼かれることすらも厭わず――炎に身を焦がしながら、それでも転がり落ちる勢いで突進してくる。
遮断していたはずの場所から、炎の壁を乗り越えて現れたのだ。
奇襲――
私の世界から音が消えた。
ロランは上を向き、手を振りかざしていた。
姉妹が即座に反応し、弾けるようにその場を離れる。
先輩が叫び、炎を叩きつけるように立ち上げる。
ロランが危ない!
そう思ったときには、私の腕は動いていて、いつものように、杖先を地面に突き立てていた。
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