i大学卒業制作展示作品への批評
@gagi
i大学卒業制作展示作品への批評
2月の中頃からi駅校内の多目的ホールにおいてi大学美術課程卒業制作展が催されている。
作品はいくつもあるが、とりわけ来場客の目につく場所に置かれ、事実衆人の視線を最も多く集めている作品が一つある。
それは一つの油絵だった。P100号(縦1620mm×横1120mm)の大きなキャンバスに日本家屋を門前に立って低い位置から見た構図が描かれている。
筆触分割の技法によって描かれたその絵は、石畳の照り返しが陽光の暑さを錯覚させるほどに鮮やかだ。
また、絵上部に描かれた前庭の桜の花は、ゴッホの『花咲くアーモンドの木の枝』を彷彿とさせる。
奥の方に描かれた邸宅は玄関が開け放されていて、そこには桃色の幼児の靴が転がっている。
手前の門の表札には、輪郭がおぼつかないながらも 佐々木 と書かれているのが認められる。
この絵の題名は『roots』。作者の名前は高橋m。
「うわあ! きれいなえー!」
3.4歳くらいだろうか。幼い男の子が母親に手を握られながら絵を見上げている。
「ぜんぜんきれいじゃないよ! だってこの絵、ガタガタだもん。写真のほうがきれいだよ」
そういうのは男の子の兄。汚れていないランドセルを背負っている。
「なんか絵画っていいわよね。この絵なんて写真にはない表現じゃない?」
「そうですね。たまに見ると、いいなって思いますよね」
スーツを着てキャリーケースを引く男女が通り過ぎざまに話している。
「こんな大きなキャンバスにこんなに精緻な絵を描いちゃうなんて。高橋さんは成長したなぁ」
i高校の美術教師である鈴木先生。まだ定年じゃないのだろうか。
「デュフ、ぎ、技量としては見事でござるが、こ、こんなべったべたの印象主義絵画なぞ、じ、時代遅れでござる、デュフ、デュフw」
なんか変な男。2年前の受験の時に見た気がする。大学では見たことないから多分美大落ち。
「こういう何を描いてるかわかる絵が好きだわ、私。最近の芸術ってよくわからないものばっかりで」
「そうよね。壁にガムテープで張り付けただけのバナナとか。サイン描いただけの便器とか。なにがいいのかしらね」
お出かけの帰りと思われる二人のご婦人。
私は今日一日、展示作品を眼にした人々の感想を受付に座って聞いていた。
卒業作品展の行われている期間、大学から一人受付の人間を出さねばならず、今日は私にそのお鉢が回ってきてしまった。1年生の頃は逃げおおせたのだが、2年生ともなればそうはいかなくなった。
受付を一人でこなすのはだるかったので、高校時代からの後輩である山本を引っ張ってきたのだが、こいつ私の隣に座ってソシャゲしかやってない。
まあ、受付なんていっても声をかけられなければ特段仕事はない。そして今日声をかけてきたのは鈴木先生だけだったのでめちゃ暇だったのだが。
山本よ。貴様は後輩なのだから先輩の暇を紛らわすような気づかいをしろや。
しかし私は未成年の山本とは違って大人なので、苛立ちをぶつけたりしない。むしろこちらから話を振ってやるのだ。
「なあ山本。貴様は高橋先輩の絵、どう思う」
「えー、絵っすか? まあ綺麗だなと思いますけど。俺が好きなジャンルとは違うのでよくわかんねっす」
山本がスマホの画面から視線を外して絵画のほうに向け、一瞥して言う。
「ほう」
山本とは同じ大学に通っているが、やつは音楽課程なので絵について話したことは無かった。
「では貴様はどのような絵が好みなのだ」
「そうっすね。その、なんというか、おっぱいの描いてある絵が好きっすね」
「なるほど。裸婦画か」
「そうっすね。裸婦画というか、エロ同人というか……そんな感じっす」
「…………」
とりあえず汚物を見るときの眼差しを向けてやった。
「? なんすか、じっと見つめてきて。あ、あんまり顔見られすぎると照れるっす、へ、へへ」
はにかむな。死ね。
卒業制作展は期間中、午前8時に開けて、午後8時に閉める。
故に、10分後には閉めの作業に取り掛からねばならない。ならないのだが、
現在、場内に一人だけお客が残っている。
高橋先輩の『roots』の正面に和装のご老人が一人、じっと絵画を見つめている。
このご老人だが1時間まえからずっと絵の前に立っていて微塵も動く気配がない。
「山本よ。仕事の時間だ。あのおじいさんに閉めるから帰るよう声をかけてきてくれ」
「えー……嫌っすよ。認知症とかだったら対応めんどいじゃないですか」
「馬鹿野郎、失礼な奴だな。そも認知症だとしたらなおさら声かけてやらにゃならんだろうが」
「えー、先輩が行ってくださいよ」
「貴様が行け山本。私が貴様を社会的に抹殺可能だという事実を忘れるな」
「いやいや、そもそも先輩が受付の仕事任されてるんすからご自身の責務を全うして
――」
「山本sは高校在学中に女子トイレを盗撮――」
「喜んで任務を遂行したします! Yes Your Majesty!」
ようやく山本が席を立ってご老人へ向かっていった。
「おじいさん、こんばんわ」
「はい、こんばんわ。あなたは、mのお友達ですか?」
mというのは高橋先輩のことだろう。
「あ、いえ違います。俺は受付の手伝いで来ただけで面識はなくて。それより――」
「そうですか。この絵の作者の高橋mというのは私の孫でして」
ご老人は山本の言葉を遮って話し始めてしまう。
「ここに描かれているのは私の屋敷だったのです。私の家と孫の家とは関係が冷え切っていまして。孫とも長らく疎遠だったのですが……彼女が、この屋敷を描いてくれたなんて……」
と、言葉の途中でご老人が泣き出してしまった。
「……! ……!」
山本がアイコンタクトで必死にこちらへ救援を求めている。
The面倒ごとって感じだ。行きたくね~。
しかし、そういうわけにもいかない。その面倒ごとに対応するのが受付の数少ない仕事の一つなのだから。
そうやって立ち上がったところで、
「あっ! やっと見つけた! おじき! 探しましたぜ!」
その言葉と共に黒服に身を包んだ強面の男性たちがぞろぞろと現れた。
そしてご老人を回収して立ち去った。
黒服とご老人がいなくなった後で山本がこちらに戻ってくる。
「お疲れ様。閉め作業して帰ろう。帰り飯おごるよ。ラーメンでいいか?」
「先輩、今のスーツの人たちなんすけど。小指無い人、いたっす」
すこし青ざめた表情の山本がそう報告してきた。
「そうか」
山本に対応させて良かった。
卒業制作展の最終日には卒業制作の作者と受付スタッフを担当した学生が集められて作品の撤去と会場の清掃が行われた。
「先輩、おれ高橋先輩の絵ちょっと好きになったかもしれないっす」
「ほう」
展示されていた場所からは既に『roots』は撤去されていた。高橋先輩と他の学生が二人で運んで運搬している。
「高橋先輩、今日初めて会いましたけどめっちゃ巨乳じゃないですか」
「は?」
は?
山本の視線につられて、私も高橋先輩の胸部を見てしまった。いや、デカいけども。それがどう絵画と関係するのだ。
「あの絵の一筆一筆が塗り重ねられるたびにあの乳房も揺れ動いていたと想像すると……こう、すごくウキウキするっす!」
「………」
とりあえず、道端の犬の糞に群がる蠅を見たときの眼差しをぶつけてやった。
「その、たまに先輩が無言で見つめてくるやつ、なんか照れちゃうからやめてほしいっす」
照れるな。死ね。
あのあと少し調べてみたのだが、高橋先輩の『roots』に描かれていた日本家屋は隣のb市にあった『k屋敷』だろう。b市のkという地名の場所にあったからそう呼ばれていたそうだ。
k屋敷はその敷地の広大さと、地元の名士である佐々木家のものであったという2点の理由からb市内ではよく知られた場所だった。
それが数年前、高橋ホームズという会社にk屋敷は買われてしまった。どういう経緯でその売買が行われたのか。そこまでは調べきれなかった。
現在、k屋敷のあった場所には数件の分譲住宅が立ち並んでいる。
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