姉ちゃんの臭いヘアブラシ

呪わしい皺の色

九月十七日

 姉が口を利いてくれなくなってから一週間が過ぎた。そろそろ赦してくれてもよさそうなのに、今朝も無言で家を出て行った。僕は溜息を吐きながら猫耳カチューシャ(姉は猫が好きなのだ)を外し、自分も学校に行く準備をして登校した。

 当然ながら授業の内容はろくに頭に入ってこなかったけれど、どうせ学級崩壊気味なこのクラスでは勉強に集中できるはずがないので問題なかった。おどおどした新任教師と大人を舐め腐った同級生のやりとりから得られるものは特にない。僕は前の席のノッポの背中に隠れてスマホを取り出し、通販サイトを開き、ヘアブラシのレビューを書いた。


「★☆☆☆☆  姉から絶交されました。

 姉の誕生日プレゼントに購入しました。初めは喜んでくれていました。が、先日姉がリビングのソファに置き忘れたこのヘアブラシの匂いを嗅ぎ、け反ってしまいました。余りにもくさかったのです。僕はこいつをそっと戻し、忍び足でその場をあとにしました。これでおしまいのはずでした。翌日帰宅すると、先に帰っていた姉が僕の部屋の中で肩を震わせていました。不思議に思い近寄ってみると、その手には僕の日記が握られていました。「そんなにくさかったの?」頬を赤く染めて低い声で尋ねてくるその様には胸に来るものがあり、頷いてしまいました。それからは話しかけても返事をしてくれず、今朝などいってらっしゃいを無視されて僕は泣きそうになりました。

 この一週間何がいけなかったのか真剣に考え続けました。はい、ヘアブラシが悪いのです。簡単にくさくなってしまうヘアブラシが。メーカーは反省したほうがいいです。」


 無事に満足のいくレビューを書き終え、長く息を吐いていると、前の席のノッポがビクッと体を震わせ、振り向いた。どうやら首に息が当たったらしい。

「何やってるの?」

 ボランティアと答え、意気揚々と画面を見せつけた。ノッポは馬鹿なりに文章に目を通し、気色の悪い笑みを浮かべ、ピンと手を挙げた。

「先生、こいつ授業中にカスレビュー書いてます!」

 立ち上がり、ノッポの誤った認識を正そうと拳を振り上げ、メタ認知に効くツボを探していると、例のおどおどした女教師がやってきた。

「い、今はスマホを使う時間じゃない、よね?」

 僕は拳を下ろし、無言で彼女を見つめる。すると、先に根負けした彼女が目をそらす。まあ、授業を成立させられない教師なんてこんなものだろう。

「……ルールだから、スマホはぼ、没収するね」

 ?!?!?!

「教室が騒がしいので休み時間だと勘違いしていました。すみません」

「っ!」

 僕は彼女が胸を押さえている間に弁解を続けた。板書の音が生徒の私語にかき消されていること、当然僕は板書をノートに書き写していないこと、それなのに前回のテストで満点を取ったこと、クラスの平均点を上げるのに貢献していること、先生から全く恩恵を受けていない僕が先生の面子を守ってあげていることなどを語った。思いが通じたのか彼女は涙ぐんでいる。最後の仕上げだ。

「今回は見逃してくれませんか。見逃してくれるのならこれまで通り先生がどれだけお粗末な授業をしても高得点を取ってあげますから」

 いつの間にか教室が静まり返っていた。出席番号一番から三十八番までの馬鹿共がこちらに視線を向けているのに気づいた。女教師の頬を伝う涙に不吉な光がちらつき、後退りそうになる。足指に力を入れて踏ん張り、彼女の反応を待った。

「没収……するね」

 この言葉を皮切りにクラスの不良共が襲い掛かってきた。




 僕はクラスメイトのルサンチマンを甘く見ていた。不良の何人かに優等生パンチを食らわせると、それまで黙って見ていた他の連中が加勢したのだ。弱者を嬲るのは楽しいものだけど、あんなにも群がられると流石に鬱陶しい。最終的に数の暴力に押し切られ、泣く泣くスマホを手放した。

 それにしても、あの女教師は何なんだ。大した人望もないくせに、数滴涙をこぼすだけでクラスの連中を従えるとは恐ろしい。もう毎秒泣いてろよ。

「反省文、書いたのか?」

 こちらを睨む生徒指導の教師に大人しくそれを差し出した。彼は形だけ目を通し、深々と溜息を吐いた。

「カスレビューを投稿したことへの反省が抜けてるぞ」

 結局生徒指導室を出たのは下校時刻から三十分が経った後だった。

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