第4話 家を追い出されます
朝になると、予想に反してエゼは小屋の中にいなかった。
なんだろう、女神とかそういう存在は、夜にしか活動できないのだろうか?
私は軽く埃を払って、小屋を出る。
外は快晴だった。
昨晩の雨が、山道のあちこちに水溜りを作っている。
いや、女神の足跡と言うべきだろうか。
自分の家に近づけば近づくほど、お腹が痛くなる。
これは空腹が限界に至ったからで、決して精神的なものではない。
あそこは自分の生家なのだ。
家に帰るのにストレスを抱えるはずなどない。
「お、、、お母様、、、ただいま、、、」
あばら屋の中から返事はない。
私は震える手でゆっくりと玄関らしき扉を開ける。
いつも通りの暗闇と、充満した退廃の匂い。
「お母、、、様、、、?」
やはりその声に返答はない。
私は一抹の不安を感じながら、とりあえず何か食べるものを、と食卓を弄る。
が、その拍子に酒瓶の1つを床に落としてしまって、激しい音とともに砕け散った。
「テネーカトロ!!!!あんたって奴は!!!!!」
母の怒号がどこからか飛ぶ。
私は瞬間、頭を抱えて縮こまる。
知ってる、知ってるぞ、このパターン。
ド○フ的なお笑いの定番以上に知っている。
あるいは、押すな押すなよ方程式に乗ってしまったとも言える。
いわば、音を立てるな立てるなセオリーだ。
母が台所の向こうの元ソファー的なベッドから、布切れ一枚を巻いた姿でどかどかと近づいてきて、私の腹を蹴った。
おお、今日は一段と元気ですね。
私は台所に思い切り背をぶつける。
そして頭上から包丁が落ちてきて頬を掠めた。
じんわりと血が滲むのを感じる。
「なんでいつもいつも、お母さんの邪魔ばっかりすんの!!」
「おいおい、朝っぱらからうるせぇな」
もう1人、男の声。
まぁ、いるよね、この状況なら。
「ごめんね、ミっちゃん、うちの馬鹿息子が、、、ごめんね、、、」
「ああ、こいつが穀潰しの息子か」
おお、子どもに穀潰し以外の子どもがいるなら教えていただきたい。
いや、いるか、子役とか。
なるほど、ここでは子役ではない僕が悪いのか。
アカデミー賞は脳内で受賞したが、、、。
まぁ、確かに、家が貧乏なのは明らかなのに働こうとか思ったことがなかった。
この私が指示待ち人間と化していたということか。
ありがたい。親切にもそのことをこの男は指摘してくれたのだ。
自分で仕事を探して主体的に動かない人間など組織に不要だという一般常識を忘れていた。
「なぁ、、、お前も邪魔に思ってたんだろ、殺すか捨てちまえばいいじゃねぇか」
「いや、、、それは、、、」
お母様が悩んでいる!!
なんと、やっぱり、お母様は私を愛していたのだ、そのことが何よりもこの5歳児の心には栄養だ。
いや待て、今しがた教えていただいたじゃないか、主体的に動け、と。
「ぼ、、、僕、、、邪魔?お母様、、、邪魔なら、、、僕、、、出てくよ。大丈夫、大丈夫だから、、、迷惑いっぱいかけて、、、ごめん、、、ね?」
「あたりめぇだボケ、さっさとそうしろ、二度と戻ってくんな!」
あれ。
もう少し余韻とか、別離のあれこれないの?
なんか、思いっきり男に蹴られ、殴られ、家から吹き飛ばされた。
文字通り、放逐された、我が家から。
子どもの涙に憐憫とかないタイプの男だった。そして即決即断できる男の中の男だった。
ひゅ〜お母様見る目あるぅ!
さて、これからどうしようか。
5歳児の人生。
すでに大ピンチである。
▲▽
街というのがどちらの方角にあるのかは、なんとなく分かっていた。
これは想像に過ぎないが、お母様はおそらく夜のお仕事的なそういうことをしていて、するとどうやら、街には住めないらしい。
えた・ひにん、的なあれだ、多分。
私の家は、街と森の入り口、その間にあった。
5歳児の体ではいったい街に着くまでにどれだけの時間がかかるのか、見当もつかなかったが、歩くより他ない。
私はとりあえずその辺に生えている草を食べながら、ゆっくりと歩く。
野草でも、筋が残らない食べやすい葉があることは知っている。
そうして1時間ほど歩いたときだった。
街へはゆるやかに下り坂だった。遠くにそれらしき建物の集合体は見えていたが、一向に近くならないと思っていた矢先。
後ろから馬車が近づく音がして、
「おい坊主、お前こんなとこでどうしたんだ?」
髭を生やした野卑っぽい大男が馬上から声をかけてきた。
どうやら木材を牽いて運んでいるらしい。
なんて答えるのが正解か、一瞬悩んだが、お母様に迷惑をかけてはいけないという強い思いが、5歳児の頭を占めた。
「_____僕はどこから来たのか、僕は誰なのか、僕はどこへ行くのか、生きるべきか、死ぬべきか、それが問題なんだ」
やばい、テンパりすぎて、名画と名著が混ざってしまった。
これでは不思議系アンニュイ男児になってしまう。
「お、おう、そうか」
めっちゃ困ってるよ。
そりゃそうよ、言ってる意味が分からないもん。
まぁ、すぐに分かるようでは名画や名著と呼ばれないから、正しい反応ではある。
前世の芸術をなめんなよ、このやろう。
「とにかく、記憶がなくて、行くとこがないんだな、怪我もひどいし、、、よし分かった」
おお、素晴らしい状況処理能力。
林業従事者にはもったいない。ホワイトカラー的な仕事をお勧めする。
あ、別にブルーカラーが悪い訳じゃない。適材適所というやつだ。
「まぁ、乗れ、とりあえず街まで運んでやる」
私はその男に抱えられて馬に跨る。
いいぞ、なんだ、人生順調じゃないか。
捨てる神あればなんとやら、だ。
街がぐんぐんと近づいていく。
その規則的な振動は心地よく、いつの間にかまた眠ってしまった。
▲▽
「あの、街って、こんなに壁に囲まれてましたっけ?ああ、そうか、外憂から市民を守るためか、そうか、そうだよね」
「うっせぇなてめぇ!!!ぶっ殺されたくなきゃ、黙って大人しくしてろ!!!!」
それは街というにはあまりにも狭かった。
そして、あまりにも薄汚かった。
人が見れば、それは牢屋のようだとも言うだろう。
いや、牢屋だ。
紛うことなき牢屋だった。その中でも最底辺の。
ここにいたって確信したのは、この国には憲法第二十五条がないということだ。
せめてマグナ・カルタぐらいはあって欲しい。
「あの〜、今これ、僕ってどういう状況ですか?こっちが檻の中ですか、それともそっちが檻の中ですか?どっちが夢で、どっちが現実ですか?胡蝶の夢ですか?元気ですか?どっちがマナで、どっちがカナですか?金さん銀さんって知ってます?しらないかぁ、今時の子は、わっはっはっは」
「本当に殺すぞ、オマエ」
ああ、私はどうやら混乱しているらしい。
意味不明なことを滔々と、口が滑るように止まらない。
見張り役のような男が檻に近づいて来て、何か熱せられた棒のようなものを差し込み、私の腕を焼いた。
「_____ぐっ________ガ___________」
「ほう、なかなか我慢強いな、お前」
「____う_____ぎぃ________まぁ、、、くっ_______根性焼きは経験あります___からね、、、あれはそう、、、夏の盛り_________」
「うっさいぞ」
またその棒が腕に押し当てられる。
「お前は売られたんだ、人売りだよ、人売り」
「____ぐぅううう_____質問に対しシンプルなご回答、さてはあなた、優秀ですね_______くっ!!?」
あまりの痛みに、催しもので貰うヘリウム風船のように、意識は空高く飛んで行った。
▲▽
「________________________」
誰かが、何かを喋る声がする。
そして、ひどく熱い。
またあの棒を押し当てられているのか?
だとするならば、私はまた何か気に触ることをしてしまったらしい。
雄弁は銀、沈黙は金というのは、正しかったのだ。
だからもう一眠り。そうれば余計なことは言わずに済む。
「_________________________ろ!!!」
そう怒鳴らないでくれ。
私はこう見えて、大きな声というものが苦手なのだ。
ロックンロールよりはクラシック音楽を嗜む高尚な人間だ。
バッハの無伴奏チェロ組曲でも流してくれ。
あと、あれだ、暴力も普通に傷つくからな。
正直、そろそろこの男児の精神は崩壊に近いぞ。泣き喚くぞ。それこそ選手生命が危ぶまれるほどの大怪我をした後で奇跡の復活、オリンピックで金を取った程度には泣くぞ。
「_____起きろ!!逃げるぞこの野郎!!」
そのあまりの熱さに、私は目を開けざるを得なかった。
最初に思ったのは、自分が本当に泣いていたということ。
そしてその涙が、みるみるうちに蒸発していっているということだった。
寝ながら泣くなんて、産業医にかかった方がいいだろうか。
「ようやく起きたか、立てるか?」
そして次に目に入ったのは、その鮮烈な赤の景色。
狭い牢屋がいつの間にか心臓になったかのように、揺らめく炎が拍動するように壁を歪め、赤く染め上げる。
燃えるような赤い髪に、赤い瞳の女性。
ただ、その赤の中に、花火のように様々な色が散っている。
まるでダイヤモンドとダイヤモンドをぶつけ合って砕けたような、複雑な光の反射。
「ああ、僕はまた死んだんですね、、、女神様、、、どうか、、、母を、あの林業の男を許してやってください、、、僕がいなければ、僕さえいなければ、彼らは善人のままでいられたんです、、、それが人間の原罪というものです、、、どうか、二人を許してあげてください、、、」
「きゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅん!!!!!!!!きゃわわわわわわわわわぁ!!!」
え、なんか既知の反応がチラついた気がする。
「女神様、、、ですよね?」
「、、、い、いや、、、うぇっへん、うぇっっへん!!やばい、可愛さが喉に詰まった、、、あたしは女神じゃない、人間だ。義賊のフーフェルだ、お前を助けに来た」
その赤い髪の女性は、柔らかい炎で私のことを抱きしめ、そして溶けたような檻から外に出た。
私は酸欠で本日三度目の睡眠に入った。
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