五次元の学士
武藤りきた
第1話(完結)
やめたかった。高校を。中学を。心の底から。
東京の湾岸区にある草美学園は中高一貫の男子校である。
校則が一切なく自由な校風で有名で、且つ、東大進学率が全国で常に5位以内に入る有名進学校である。
僕の名前は荻堂圭。29年前、草美学園を「卒業」した。
その後フリーター、パチプロ、引篭りなどを経て現在に至る。
やめたかった。高校を。中学を。
小学四年生から地元の友達と遊ぶのを我慢して、我慢して、大好きだった女の子にバレンタインデーパーティーにお呼ばれしたのも母親に反対されて、涙ながらに我慢して、我慢して、やっと補欠合格(滑り止めも全部落ちて)で入学した草美中学の入学式でのこと。
高校三年の在校生が
「自由を履き違えるな」
と新入生に向かって演説した。
演説の前後はよくは覚えていないが、「自由を履き違えるな」と言ったことだけははっきり覚えている。
親にはそれまで「とにかく今は勉強して、草美に入れたら存分に好きな事をして遊んでいい。」と言われて受験勉強を強いられていた僕は、自由を履き違えるな」という言葉を聞いて非常にびっくりした。
というか僕には「自由を履き違えるな」という言葉の意味がわからなかった。未だにわからない。多分鳩が豆鉄砲を食らった瞬間というのはああいう気持ちなんだろうと思う。
何が起きたのかわからなかった。未だにわからない。
ただただ、それを聞いた瞬間とてもびっくりして、そして次に何故か恐ろしくなってきて、そしてそのあと、「ここでは自由に遊ぶことはできないのかもしれない」となんとなく思った。
友達ができてからゲーセンに通った。それまでの受験期の遊び足りなさをなんとかして取り戻すために。
大きい筐体の初代ストリート・ファイターが出る二・三年前だ。
だが、遊びの時間はすぐに終わった。
初めての中間試験で赤点をとった。中間試験というものを受ける意味がわからなかった。
そもそも中間試験というものの存在を試験一週間前まで知らされていなかったし、試験をされる理由が全くわからなかった。
だって僕は遊ぶために中学に入ったのだから。
草美中学に入ってから遊ぶため、そのためだけに、地元の友達との遊びをやめ、サッカーもやめ、大好きだった女の子からのバレンタインデーパーティーの招待をも辞退したのだから。
まさか
「東大を目指すために草美に入学することを強いられていた」
のだったとは思ってもいなかった。僕は完全に騙されていた。
それ以降、僕は草美高校を卒業するまでの六年間、体育以外のほぼ全科目で赤点をとり続けた。(体育だけは出席さえしていれば及第点を貰えた)
授業は殆ど全て机に突っ伏して寝るか、漫画か小説を読んでいた。徐々に授業をサボったり、学校自体をサボったりするようにもなっていった。
本当にやめたかった。高校を。中学を。心の底から。
たった一日の思い出だけを除き、草美での生活は何も楽しくなかった。
心から信頼しあえる友達とも結局出会えなかった。
ある一人の例外を除いて、全員クズだと思った。
今も思っている。その例外の一人とも十年程前に絶交した。
音楽が好きだった。Boowyの「スクールアウト」という曲を特に聴いていた。
https://www.youtube.com/watch?v=x6sC22m9yqw「学校なんて今すぐにやめちまえ」という歌詞の曲だ。
親に何度も「学校をやめたい」と言った。
反対され、「やめてどうするの。」と言われ、「新聞配達をして食っていく」と言った。すると親に「本当に嫌ならやめてもいい」と言われた僕には、、実は本当にやめる勇気がその時なかった。
学校も嫌。学校をやめるのも嫌。臆病者だった。死にたいとしか思わなくなった。
結局、僕には「自由を履き違えるな」という言葉の意味が最後までわからなかった。わかろうとする気もなかったし、未だにわからない。また未だにわかろうとするつもりもない。
「自由を履き違えるな」という言葉の意味はわからないが、「履き違えることが可能なような」「履き違えたら草美卒業生全員から軽蔑されるような」そんなしょうもない、得体の知れない『自由』など僕はいらないと思った。
今もそう思っている。
僕はきっと馬鹿なんだろう。それだけは本当にわからないし、わかりたくもない。
草美中学在学中のある夏休み、美術の授業の宿題が出た。「好きな音楽の曲を聴いて、それをテーマに絵を描け」というものだった。
僕は Queen の tewotoriatte という曲がずっと好きだった。
僕はこの曲をテーマに、人骨が転がる荒野をどす黒い雲が覆っていて、わずかな雲間から日が差し込んでいる絵を書いた。
「珍しくかなりの自信作ができた」と思い、夏休み明けの美術の時間に提出した。
生徒一人一人が各自描いた絵を、一列に並んで美術教師に渡していく。
教師は誰の絵を見ても大して反応もせず黙々と宿題を回収していく。僕の番になり、その絵を手にした教師は何故か数秒止まって絵をじっと凝視した。
次の瞬間、その教師はその絵をクラス全員に見えるように高々と掲げ、言った。
「こういう絵を書く奴が自殺したりするんだよ」
クラス全員がゲラゲラと笑った。
僕は自殺を絶対にしないとその時心に決めた。自殺をしたらあのクソゴミ先公とクソゴミ野郎どもに負ける事になるから。
だが僕はその日以来絵を描く事をやめた。
僕は小学校6年生から月刊誌ムーを毎月ずっと購読していた。オカルティックなものが好きだった。UFOとか、ピラミッドとか、気功法とか、いつか世界が電脳社会になる、とか。
僕が在学していた時は、地下鉄サリン事件の三・四年前だったと思う。麻原彰晃が誌上で空中浮揚とかやっていた。X-Filesなんてもっと後だ。
高校生のある日、僕はいつものように授業中にムーを読んでいた。
いつもは黙認、というか「勝手にしろ」とばかりに無視しているはずの、その時の担任の教師が、僕の席の横を通り過ぎざまに、僕が読んでいたムーをとり上げた。
そして教壇まで持っていくと、クラス全員が見えるようにムーを掲げて言った。
「こんなのを読んでると駄目人間になるぞ。」
クラス中の奴らがゲラゲラと笑った。
月刊ムーはその日以来買わなくなった。
高三の物理の授業。物理の先公が、 「君らももう受験真近だね。一応聞くけど、
まさかF=maからやり直したいという人はいないよね?」
というので、僕がウケ狙いで一人手を挙げると、クラスにクスクスと笑いが起こった。
その先公は僕の事は無視し、何事もなかったかのように、また僕の全く理解できない授業を躊躇なく進めた。
僕はまた机に突っ伏して寝始めた。
もう全てがどうでも良かった。
卒業して後悔はしていないが、自分自身は卒業した気がしていない。
実際僕は赤点しかとっていなかったので、高校三年の時点で卒業が危ぶまれていた。
物理の教師が「実験をしてレポートを書けば卒業させてやる」というので、他の劣等生達(僕よりはマシ)とともに実験の授業に出た。
だが、僕は「レポート」の意味すらもわからなかったし、どう「レポート」なるものを書けばいいのかもわからなかった。何しろ自分が今なんの実験をしているのかすらわからないのだからレポートなど書けるわけがない。(恐らく今でも書けないだろう)
もう覚えてもいないが多分レポートは白紙で提出したと思う。留年決定だと思った。草美で留年生などめったに出ない。ただ絶望しかなかった。
だがその後、教師陣は僕に対して何も言わなかった。ただなんとなく僕は卒業証書を貰い、そして草美を去った。
僕は草美を卒業したのだろうか。卒業した気が全くしなかった。卒業証書は破いて捨てた。
その直後気づいた。
そもそも「入学」すら「した気」がしていなかったことに。
高校で唯一良かったことは所属部の軟式テニスで湾岸区四位になれたこと。軟式テニス以外何も打ち込むものがなかった僕は、その軟式テニスですらほぼ苦痛でしかなかったが、高校二年生の現役最後の大会で自己最高の成績を収めることができた。
僕が草美にいて唯一心の底から「楽しい」あるいは「嬉しい」と思った日はあの日だけ。
軟式テニス部の二コ上の先輩は当たり前のように東大法学部に入り、弁護士になり、その後「暫く見ないな」と思ったら、数年前、厚生労働副大臣になっていた。
何かの無茶な法案の強行採決をするのに必死になっていた。
あんな人生だけはごめんだ。東大なんて目指さなくて本当に良かったと今、心から思っている。
今思う。恐らくあの先輩は
『決して自由を履き違えなかった』
のだ。
卒業後僕は三浪した。草美で三浪する奴なんて千人に一人位しかいない。別に家が当時金持ちだったことを自慢しているわけではない。なんの目標も目的もなくただただモラトリアムの中にいただけだ。
センター試験を都合四回受けた。三回目あたりからはもう「部活のOBがたまに後輩の面倒を見に来る」みたいな感じで試験場に赴いていた。
三浪目の夏にいろいろあって地元の尾崎豊ファンの二個下の女の子と付き合い出した。
毎日予備校をサボってその娘の家に入り浸り、することをしてパチンコをして食って寝て、「予備校から帰ってきた振り」をしながら家に帰る生活をしていた。
その時はもう「一生分することをした」と思う位、することをした。
ちなみにパチンコは高校の頃一瞬ハマってやめていたのだが、再びやりだしてから、ボーダーライン理論について完璧にマスターした。これは初めは攻略誌などを参考にしていたのだが、あまりに負けるので、自分でボーダーラインを算出するようになってから、勝ち方がわかってきた。
「結局、人生で学ぶべきことなんて学校では教えてもらわなかったことばかりだ」
ということを再確認した。
そんな日々だった。
その女の子がある日、たった一言で僕の人生を変えてくれた。
彼女が言った。
「一度きりしかない人生なんだからやりたい事やった方がいいんじゃない?」
僕は雷に打たれたような気がした。
小学生の頃、確かに僕はそう思って生きていた。だが、中学に入ってから全く、全て、それを見失っていた。
僕は音楽の道を志すことにした。大学にはコンピューターを学びに行こうと思った。
そしてミュージシャンになることを夢見てドラムの練習を始めた。
浪人中唯一自分から進んで勉強していた科目がある。僕は理系で国立大を目指していたので、その当時はセンター試験で一科目だけ社会科を選択する必要があった。今もそうなのかはわからない。
そのいくつかある社会科目の中に「倫理」があった。僕は中学生から人生に悩んでいたし、プロテスタント教会に道場破りに入って悩み相談に行ったりしていたから、哲学史を一通り勉強してみるのもいいと思った。
薄っぺらい倫理の教科書を恐る恐る開くと、仏陀やキリスト、ソクラテスなどから始まって、ルネッサンス美術だとか、カントとかデカルトとかロックとかルソーとかヘーゲルとかマルクスとかキルケゴールとか孔子とか孟子だとか、それまで見たことも聞いたこともなかったけど、読み始めたら止まらない面白い話が凝縮して書かれてあった。
貪るようにその薄っぺらい教科書を読んだ。
数週間で読破した。
僕は内村鑑三の考え方に感銘を受け、キリスト教無教会主義者になろうと決めた。
それは今でも変わらない。
三浪後、運よくある情報系の大学に入った。
毎年大学に落ちると「今年こそは」と思って、1ヶ月位は真面目に勉強する。僕はそれを四回繰り返したので、計四ヶ月は真面目に勉強した計算になる。その学力がいつの間にか偏差値で60くらいにはなっていたのだ。
本来、勉強なんてしたい時にしたいだけすればいいのだと僕は思っている。戦前の人なんて勉強したくてもできなかったのだから。
最近TV版おしんを全話観てそれがはっきりわかった。
ともあれ僕は大学に入ったので、めでたくハッピーエンドを迎えた、
と思ったら大間違いだった。
僕は情報系大学に入りはしたが、相変わらず彼女とすることばかりしていて大学初日からサボりまくった。その結果授業について行けず僕は半年で退学し、引きこもりになった。
ここからが地獄だった。むしろ。
とにかく三浪中にすることとパチンコしかしていなかったので、まともな社会性を殆ど失っていた。他者が恐ろしすぎて誰ともまともに話せない。
派遣でSEに挑戦したりもした。いろんなバイトをしたりもした。何がきつかったかと言うと僕は氷河期世代。僕が働き出す直前にバブルが崩壊した。
僕が初めてバイトしたのは高校の時の文化祭の時で、男子校の文化祭などつまらないので学校に行かずにバイトしようと思った。そしてバイト情報誌を買ったら、少年ジャンプ位の分厚さだった。選び放題だった。
バブル絶頂期の頃だ。
それが大学をやめてバイトしようと思ったらバイト情報誌がペラッペラに薄くなっていた。既にデフレに突入しかかっていて求人が激減していたのだ。
と同時に世の中にはブラック企業が跋扈し始めていた。
気づくと僕はブラックバイトばかりやっていた。当時は『ブラック企業』という言葉はなく、社会問題にもなっていなかった。
僕は鬱を発症し、本格的に引きこもりになった。
ドラムはずっと叩きつづけていた。
それが唯一のこころの拠り所だったから。
音楽や芸術の世界では学歴などというものは基本的になんの役にも立たない。
ミュージシャン友達に「草美卒です」なんて言ったところで逆に白い目で見られるだけだ。
そこが一番いい。
26年かけて最近、やっと自分のバンドを組んで、ライブをできるようになるまでになってきた。
僕はドラムが大して上手くない。あまり練習しないから。でも練習したい時は練習する。
僕はそれでいい。
『五次元の学士』
なんとなくそんな言葉が自分を称する言葉として今、思い浮かんだ。
やめたかった。学校を。心の底から。
「そんなのはただの甘えだ」
という親だか誰だかの言葉がずっと聞こえていた。
でも今はもう僕は「学校をやめること」が「甘え」だとは思っていない。
僕は今思う。
「あの時学校をやめても良かったんだ」と。
あの時、僕には勇気が少しだけ足りなかった。
僕の名前は荻堂圭。29年前、草美学園を本当の意味で卒業できなかった。
『五次元の学士』
僕はもう一度呟いてみた。
僕は今、あの頃よりも少しだけ、
自由に遊べるようになれたのかも知れない。
了
五次元の学士 武藤りきた @Rikita_drummer
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