2‐1話 清州城

 日が傾きかけた頃。男は幼き少女を連れて清須城内を歩いていた。とある部屋の前で止まると男は振り返って少女を見る。

「ひなたどの、こちらがお部屋になります」

 畳に膝をつき、目の前の少女に告げる。少女はまだ3つにも満たない子供である。だが、織田信長に気に入られ、今日、家臣となった女である。

 信長は奇人を好む傾向にある。常人には理解し難い才覚や異質さを見抜き、それを直臣に取り立て、鍛え上げてきた。その尋常ならざるその人材登用のあり方は、異様さがあった。重臣は毎回のごとく信長を諌める。だが、それこそが先日の今川との戦に勝ったのもその理由の一つである。その事実には誰もが反論ができなかった。

 男もまた、信長の目にかかった家臣の1人である。元々は針などを売って生計を立てていた身だったが、取り立てられた。今では信長の小間使いとして傍らに仕えている。

 男は出自が怪しく、家臣に取り上げられるほど優れた才能があるわけでもない。だが、織田信長のお目にかなってしまった。それだけの者である。

 そんな信長は一切出自を気にすることなく、奇異な者を求めた。この少女を雇ったのもそのような理由なのだろう。

 ところが、この少女は、正直なところ才覚の片鱗すら見えない。武勇の気配はなく、政や戦の理を語れるほど聡いとも思えない。髪は乱れ、衣は擦り切れ、痩せた手足は今にも折れそうなほどに細い。彼女が到底信長の目にかかるような才能を持っているかどうかははなはだ疑問であり、信じがたいことである。

 けれども、彼女を雇ったからには信長には信長なりの理由と奇異さがあるのだろう。

 それに、この年頃であれば本来は庇護されるべきであり、戦や政に関わることのはずのない身である。だが、悲しいがそれが戦乱の世なのだろう。ひなたもまた、この悲しい時代に翻弄された、哀れな人間の一人なのかもしれない。

「基本的に自由に過ごしていいとのことですが、不用意には外に出るなというのが、信長様の命です。そこのところだけどうかお守りくだされ」

「……ありがとうございます」

 3つにも満たぬ年齢でありながら、その返答は驚くほど落ち着いていた。幼児らしい甘えや怯えはなく、礼を尽くす所作は年齢不相応に整っている。男は思わず目を細めた。

 信長によって手配された部屋は、元々物置として使われていた場所を慌ただしく掃除したものだった。中にあるのは簡素な机と筆記具、そして敷布団一枚きり。質素どころか、まだ仮住まいの域を出ていない。いずれ奥の方にきちんとした部屋を用意する、とは言ってはいた。

「しかし、このような部屋でよかったのですか?」

 男の問いかけに、ひなたは小さく首を振った。

「……構いません。綺麗な着るもの、温かいご飯が用意されたのですから」

 その言葉に、男は哀れに感じた。幼子ならばもっと贅沢を望んでもよいはずなのに、それを口にしない。やはり彼女もまた、戦乱に生まれ落ちたがゆえの哀しき存在である。

 とはいえ、男──藤吉郎という名の男がひなたの案内役に任じられたのは、世話係としての意味もある。だが、それ以外にも彼女の監視役として任されていたのである。

 あの後、信長が懸命に説き伏せてはみたものの、重臣たちの不信は容易に消えない。そこで、信長は藤吉郎を付け、逐一その様子を報告させるよう命じたのである。

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