第31話 天国と地獄


 僕たちは、その後も何度も激しく体を重ねた。リビングのソファの上で、床の上で、そして場所を変えて僕の部屋のベッドの上で。そのすべてが、僕にとっては生まれて初めての、そして信じられないほどの快感に満ちた時間だった。僕の未熟なペニスは、彼女の柔らかな温かさに包まれ、そのたびに、僕の知らない新しい扉が開かれていくようだった。


 二度目の情熱的なセックスを終え、僕は幸福感の絶頂にいた。彼女の吐息が熱く、僕の胸元にかかる。汗でぬるりと滑る肌の感触も、すべてが愛おしかった。僕は満ち足りた気持ちで、まだ熱を持つ彼女の体を腕の中に抱きしめた。


「千聖さん。俺、千聖さんのことが好きです」


 その言葉は、夜の帳が降りる前に僕が叫んだ告白とは違い、もっと穏やかで、もっと切実な、本心からの言葉だった。僕の頭の中には、これから始まるであろう、彼女との輝かしい未来が、鮮やかな映像となって展開されていた。


「付き合ってほしい」


 僕は、その想いを、震える声で、彼女に伝えた。僕の言葉に、彼女は僕を優しく抱きしめ返すと、僕の顔を見つめて、微笑んだ。その笑顔は、あまりにも優しく、そして美しかった。


「ありがとう、悠希くん。嬉しいな、そう言ってくれて」


 その言葉に、僕は安堵した。ああ、受け入れてくれたのだ。僕のこの身勝手で、そして汚れた欲望を、彼女はすべて受け止めてくれたのだ。


 しかし、次に彼女の唇からこぼれ落ちた言葉は、僕のその甘美な夢を、一瞬にして打ち砕く、氷のように冷たい、残酷な現実だった。


「でもね、ごめんね、悠希くん。わたし、今、お付き合いしている人がいるの」


 その言葉は、まるで熱いマグマの中に、突然、冷たい氷水をぶちまけられたかのような、強烈な衝撃を僕の脳に与えた。彼女の優しい微笑みは変わらない。だが、その裏に隠された言葉の冷たさ。そのギャップが僕を打ちのめした。


 そんなはずは、ない。


 僕の全身から、サッと血の気が引いていくのが分かった。心臓が、冷たい手で鷲掴みにされたかのように、ひゅっと縮こまる。頭が真っ白になり、思考が完全に停止する。


「うそ、だ…」


 僕は、掠れた声で呟く。


「ごめんね。本当に」


 彼女の瞳には、申し訳なさの色が浮かんでいた。しかし、その瞳の奥には、僕の知らない、別の男の影が、ちらついているようだった。


「彼は、高校時代からのお付き合いで。大学も一緒なの。ただ、最近は少し、うまくいってなくて…」


 彼女の言葉が、僕の耳には届かない。僕の頭の中は、一つの単語で完全に埋め尽くされていた。


 彼氏。


 ああ、そうか。僕は、彼女にとって、ただの遊び相手だったのだ。彼氏との関係がうまくいかないから、その寂しさや、満たされない欲望を埋めるための、代用品。この二人の夜の出来事は、僕にとっては人生最大の出来事だったが、彼女にとっては、ただの気まぐれな、ひと夏の過ちに過ぎなかったのだ。


 絶望。


 幸福の絶頂から、一瞬にして、奈落の底へと突き落とされた。僕は、熱を持った彼女の体を抱きしめているのに、なぜか、全身が凍えそうに冷たかった。


 その時、僕の脳裏に、あの、彼女との最初の授業で感じた、あの非日常的な興奮が、蘇った。そして、あの日の僕が、彼女に対して感じていた、あの剥き出しの欲望が、再び、僕の心の奥底から、燃え盛る火のように、湧き上がってきた。


 許せない。


 僕は、この場所を、この時間を、この体を、彼女と分かち合ったのに。彼女は、別の男のものだというのか。そんな、あまりにも身勝手で、あまりにも残酷な現実に、僕の心は、激しく反発した。僕の喉の奥から、どす黒い感情が、せり上がってくる。


 それは、怒りでも、悲しみでもない。


 それは、ただひたすらに、あの男から、彼女を、奪い取ってやるという、激しい、闘争心だった。


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