35.
「盛り上がってるところわりぃけどさ」
ショウタが声を挟む。乱暴にガリガリと頭を掻いた彼は、露骨な嘆息を挟んで、つづけた。
「まぁ、ダイスケにここまで恰好つけられちゃあ、俺も空気の読めないことはもう言わねぇよ」
ショウタもまた、憑き物が取れたような表情をしていた。ずっと胸に秘めていた心を吐露し、気持ちが吹っ切れたのかもしれない。
「僕は、恰好つけたつもりはないけど」
「はいはい。だけど、シオリをあの地下室から救出するってのが、口で言うほど簡単なことじゃないってことは、わかるよな?」
真面目な顔つきでショウタが言う。僕も面を直して、ショウタをまっすぐに見ながら首を縦に振った。
「相手は大病院の院長様。メディアや警察にまで圧力をかけられるほどの権力者だ。よっぽどの作戦を立てる必要があるんだよ」
大口を叩いておきながら実のところ、僕は具体的な手立てなど何も思いついていなかった。とりあえず、思ったことを口に出す。
「やっぱり、カオリたちの父親がやった隠ぺいを、世間に公表するべきだと思う。彼女の死亡偽造が明るみになれば、シオリに人質としての価値はなくなる。つまり、彼女の身が保証されるんだ」
ちらとカオリを見て。
「でもそうなれば、カオリたちの父親は当然、逮捕される。須永医院は世間からの信頼は失うし、カオリも今後、厳しい生活を強いられることになるけど」
「構いません」
間を空けず、カオリが言った。
「むしろ、そうなるべきだと思います。誰かを犠牲にしなければ保てないメンツなど、早く潰れてしまえばいい」
容赦のない口調に、思わず唾を吞む。
「で、その方法はどうすんだよ? 証拠もない俺らが出版社にリークしたところで、相手にされるわけねぇし」
「うーん。シオリの死亡偽造を証明できる何かを、手に入れることはできないかな。それこそ、死亡診断書とか」
「いえ、一度父の書斎にそれらしきものがないか探したことがありますが、見つかりませんでした。恐らく病院に保管されているんだと思います」
「まぁ、一筋縄じゃいかないわな」
白旗を挙げるようにショウタが伸びをした。
何かないかと頭を働かせるも、自分程度が思いつくことなど、陳腐で到底受け入れられないだろうと、消極的な思考が脳を鈍らせる。しばらく沈黙がつづいたところで、カオリがごちるように言った。
「証拠は、必ずしも必要でないのかも」
わらにもすがるような眼差しを、僕とショウタは彼女に向ける。
「出版社やテレビ局などの報道機関ではなく、父の力が及ばないところでシオリの死亡偽造が取りざたされれば、父でも揉み消しは難しいかもしれません。例えば、ネット」
よどみなく、流暢にカオリが声を紡ぐ。
「デジタルタトゥーという言葉がありますよね。SNSで、いわゆる炎上した話題の拡散が繰り返されると、元の投稿を消しても情報を完全に消すのが難しくなり、入れ墨のようにネットに残りつづける現象を指します。今回の父の隠ぺい工作をネットに流出させ、世間に浸透されることに成功すれば、興味を持った不特定多数の個人が、真実を探ろうとする動きが産まれる。その勢いが大きくなればなるほど、父の揉み消しは手が届かなくなり、公的な糾弾にまで発展するかもしれません」
ショウタが腑落ちした表情で言う。
「なるほど、要は、もぐらたたきのもぐらが増えるほど、叩く方が大変になるって話か」
「その例えはよくわかりませんが、たぶんそういうことです」
「でも、そういうのって初動が大事なんじゃねぇかな。確かに、実の娘を死亡偽造した大病院の院長なんて、いかにも世間が好きそうなネタだけどさ、何万人もフォロワーを抱えているインフルエンサーならいざしらず、一般人の俺らが情報を発信したところで、ガセネタだろうって決めつけられて、すぐに収束するのがオチだと思うぜ」
「それは」
口を開いたカオリが、でもすぐに顔を俯かせる。
「……おっしゃる通りですね。すみません、考えがいたらなくて」
「いやいや、謝んなって。アイディアとしては悪くねぇよ。何も意見も出してない俺やダイスケよりマシだって」
役立たずのカテゴリとして一緒くたにされたことが癪に障ったが、事実でもあったので僕は言葉を吞んだ。
証拠に頼らず、シオリの存在を世間に示せる方法。
センセーショナルなやり口。炎上。騒ぎ――
頭を必死で回すも、これといった方法はやはり何も思いつかない。
「まぁ、焦っても仕方ねぇか。ぶっちゃけ俺、今日はもう頭働かねぇよ」
ショウタがそう漏らしたところで、僕も全身にどっと疲れを覚えた。気づけば、遠くの空が橙に染まりはじめている。
「そうですね。失敗が許されないだけに、慎重を期すに越したことはないでしょう」
ふぅと息を吐いたカオリの顔も、少し疲れて見えた。今日もっとも気を張っていたのは彼女だろう。ショウタと違って感情をあまり表に出さないだけに、内心の無理がわかりづらい。
「今日は解散すっか」というショウタの一言を皮切りに、僕たちは公園を後にする。カオリを学校に送る道中で、僕は「ごめんね」と彼女に言った。
「何のことですか?」
「いや、せっかくの学園祭なのに、ずいぶんと拘束しちゃって」
「ああ、いえそんなこと」
さして気にしていないような様子でカオリがつづける。
「元より、お祭り騒ぎは苦手ですし、舞台に出てお芝居ができたので、私はもう満足です」
そういえば、少し意外に感じていた。
彼女の普段の振る舞いから、学校で友達と和気あいあいしているイメージはあまり持てない。劇の主演なんて大役を務めるタイプとは思えなかった。
「人前で演じることが、楽しみだったの?」
感じた疑問をそのままぶつけると、カオリは、少し考えるようにあさっての方を向いた。
「そうですね。何かの役になりきっているときは、普段の自分を忘れられますから。少し、息をするのが楽でした」
校門の前につく。立ち止まった彼女がこちらを向き、僕の胸中を見透かすように笑む。
「ダイスケさんに言うのはいささか不謹慎ですが、私、嘘を吐くのが嫌いじゃないのかもしれません。違う誰かを演じて、人を欺く行為が」
どこまでが本音でどこからが冗談なのか、僕は判別することができなかった。名家の令嬢を十七年もの間演じつづけていた彼女の底の深さは、僕ごときでは到底想像が及ばない。
そもそも人に、裏や表もないのかもしれない。
すべてを照らし出す朝や昼の世界は、見えてているものがすべてで、それだけだから。
カオリは学校に戻り、僕たちは駅に向かう。ショウタとは電車の中で別れた。空いていた端の席に腰を掛けると、改めて疲労を感じる。
今日一日で得た情報量があまりにも多すぎて、僕の心は雑然としている。思考を放棄した僕は、漫然とポケットからスマホを取り出した。画面を横にして、リアルタイム配信のライブカメラ映像を眺める。定点カメラで映された渋谷の街は相変わらず人がごった返していた。
312人が視聴中。概要欄に表示されている視聴者数がふと目に入る。僕のようなもの好きも結構いるものだ。交差点の信号が青になった瞬間、映像の中で背の高い外国人が一番に飛び出し、道路の真ん中で踊りはじめた。周りの日本人は当然のように見て見ぬ振りして、横切っていく。その滑稽さがシュールで可笑しかった。思わず笑みをこぼしそうになった時、
頭の中で何かが繋がり、閃光が走った。
センセーショナルなやり口。炎上。騒ぎ。
デジタルタトゥー。ネット。拡散。興味。祭り騒ぎ。
……これ、もしかして使えるんじゃないか。
インフルエンサーでもない一般人の僕たちが、確固たる証拠を持たない僕たちが、シオリの存在を世間に示す方法。
巨大な敵を出し抜くための、逆転の一手。
カーブに差し掛かったのか、車両が一度グラリと大きく揺れた。僕の手元では渋谷の街の様子が流れつづけ、でも僕はどこでもない場所に目を向けている。
誰もが押し黙っている電車の中で、僕は一人、静かに心臓が高鳴っていた。
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