15.


「っていうかさ。ショウタ、あの時一体どうしたんだよ?」

 ショウタが「ん?」とこちらに顔を向け直す。質問の意図にピンと来ていないのか、あえてとぼけているのか、サングラスのせいでやっぱり表情が読めない。僕は補足をつづける。

「カオリを見るなり急にいなくなったりして、様子がおかしかったから」

「ああ、うん」

 ショウタが目の前のコップに再び手を伸ばし、空になったことを遅れて思い出したのか、すぐに戻す。

「実は、あの日は朝からすでに熱っぽくてさ。カオリちゃん待ってる間に、どんどん身体がだるくなって、だから、先に退散させてもらった、悪いな」

 事前に準備していたように流暢な口調が、逆に不自然さを感じる。

「そんな風には見えなかったし、だったら、そう言ってくれればよかったのに」

「自分から言い出しといてバテるなんて、みっともないだろ。強がったんだ」

「カオリを見たとき、なんか言ってなかった? 彼女の顔に覚えがあるみたいな反応に見えたけど」

 間を空けず僕が更に訊くと、「それは、あれだ」ショウタが僕から視線を外して。

「前に、ナンパに失敗した子と顔が似ていたんだよ。だから、もしそうなら、顔合わせるの気まずいだろ」

「ショウタが、ナンパに失敗した子の顔をいちいち覚えているとは思えない」

「お前の中で、俺はどんなひどいチャラ男なんだ」

 冗談はさておき、ショウタの弁明はとても納得できるものではない。彼が何かをごまかそうとしているのは、さすがの僕でもわかった。


 さらに問い詰めようと僕が口を開こうとした矢先、「わりぃ」と腰を横に浮かせたショウタが僕の発言を制止した。取り出したスマホの画面に目をやったあと、「電話きた」と耳にあてがいはじめる。出鼻を挫かれた僕は、仕方なく頬杖をついた。

「おお、うん。大丈夫。久しぶりだな」

 ショウタの会話が、否応なく耳に入る。

「えっ? ……いや、そうだけど、何でお前知ってるんだ?」

 不可解そうな声音と共に、ショウタが眉を寄せた。

「……ああ、そういうことか。うん。別にいいけど。そうだな、日程は――」

 その後、通話相手と約束事を交わすような会話をつづけたショウタが、別れの言葉と共に耳からスマホを離した。そのまま、手に持ったスマホをいくらか操作し、じっと画面を見つめながら、「なるほどな」意味ありげにつぶやく。

「何かあったの?」

 特別に興味を引いたわけでもなかったけど、一応訊く。画面から目を離し、顔を上げたショウタが「いやさ」と。

「今の電話、中学の同級生からでさ。そいつ、大学で教育学部に入ったらしいんだけど、ゼミのレポートで必要だからとかで、夜間部の授業形態について俺から話を聞きたいんだと」

 僕は相槌を挟み、「でもさ」ショウタがさきほど同様、眉を寄せながらつづけた。

「俺、そいつとは卒業以来会ってなくて、俺が夜間の定時制高校に通ってるなんて、言ったことないんだよ。だから、何で知ってるんだって訊いたわけ」

 身振り手振れを交えて、ショウタが更に言う。

「そしたら、Facebookで見つけた俺のプロフィールページから知ったんだとよ。中学の同級生で、お互いに共通の友達がいるから、俺のアカウントも友達の候補リストに上がってきたんだろうな」

「へぇ。それ、なんかちょっと怖いね」

 漠然とした感想を漏らすと、「まぁな」とショウタがうなずく。

「ネットに情報を載せた以上、不特定多数の人間に個人情報を晒したことになるからな。アイドルの自撮り画像から住所を特定された、なんてザラらしいし」

「……ん?」

 僕の中で何かが閃き、それをそのまま口に出す。

「もし、『夕方のカオリ』がSNSをやっていたら、ネットから彼女の情報を知ることができるんじゃないか?」

 一瞬だけ顔の固まったショウタが、「なるほど」と呟き、あごに手をやる。

「確かにネットなら、相手に知られることなく情報を集めることができる。いいアイディアだ。冴えてるじゃねぇかダイスケ」

「そんな、ショウタのさっきの電話がヒントになっただけだよ」

 口では謙遜しつつ、ショウタに素直に褒められたことが、僕はなんだか嬉しかった。


「でも、な」ショウタが声の調子を落として。

「今わかってるのは、『カオリ』っていう下の名前だけ。苗字や名前の漢字がわからなければ、Facebookでアカウントを検索することはできないんだ」

「あっ、そうか」

 高揚しかけた気分が萎み、僕は声をこぼす。

「学校はわかってるんだから、この前みたいに正門の前で張って、下校中の他の生徒に名前を教えてもらうことはできないかな」

「だから、何でお前は通報される前提のやり方を選ぼうとするかな」

 だよね、と僕は目を伏せ静かに息を吐いた。宝物を寸前で取り上げられたような歯がゆさに気がはやる。

 しかしショウタが、何かを思い出したような調子で言った。

「……名前くらいは、なんとかなるかもしれねぇ」

「えっ?」

 意味深に口元だけで笑ったショウタが、「ちょっと待ってろ」と席を立ち、足早に店の外に出て行ってしまう。疑問を挟む余地すら与えらえず、僕は彼の背を見送るばかりだった。


 十分も経たない内にショウタは戻ってきた。しかし席には座らず、伝票を手に取って言う。

「よし、行くぞ」

「どこに、何をしに」

「いいから、行けばわかる」

 ショウタは何故か質問に答えない。ニヤニヤと面白がる風に僕を眺めるだけだった。

 このまま食い下がっても事が進展することはないだろう。そう判断した僕もそれ以上を言わず、嘆息とともに立ち上がった。ショウタに対する疑心が晴れたわけではないけど、とりあえず今は従う他ない。




 ライブカメラ映像でしか見たことがない渋谷の街に、僕ははじめて降り立った。往来する人の多さは歩くことすら困難で、どうしてこんなところに足しげく通う人がいるのかと不思議でしょうがない。ビビットな看板やら大型ビジョンに埋め尽くされた景色に目を休める場はなく、入り乱れた人の声々が絶えず耳に入り込んでくる。僕が求める夜中の静寂とは、まるで真反対の空間だった。

 辟易する僕に構わず、ショウタは勝手知ったる風にどんどん歩いていく。

「ちょっと、もうちょっとゆっくり歩いて」

「ああ、悪い。ってお前女子かよ」

 振り返ったショウタが、僕に歩幅を合わせる。大柄なショウタを隠れ蓑に、僕はなるべく気配を消した。


 駅から十五分ほど歩き、大通りから生える小道を曲がったところでショウタが立ち止まる。「着いたぞ」と目の前の建物に向かってあごをしゃくった。

 黒を基調としたその建物はデザインが洒落ていて、最近できたばかりの雰囲気があった。読み方のわからない横文字でつづられた店名らしき看板からは、何の店なのかてんで予想がつかない。

 何の説明もなく、入り口から地下に降りようとするショウタを「ま、待ってよ」とさすがに引き留めた。

「ここ、何」

「見てわかんねぇのか。クラブだよ」

「はぁっ?」

 すっとんきょうな声と共に、僕は当然の疑問を口にする。

「なんで今クラブに行く必要があるんだよ」

「決まってんだろ。姫咲に通ってる子を探すためだ」

「何をどう考えたら、姫咲とクラブが繋がるんだよ」

 ショウタが「いいか」と前置きを挟んで。

「さっきお前が言ったみたいに、学校の前で下校時の女子高生を張るような真似をしても、不審者扱いされるだけだ。でも、面識のない女の子に声を掛けてもヘンに思われない、クラブみたいなナンパスポットだったら、堂々と聞き込みできるだろ?」

 存外まともな理由が返ってきたことに舌を巻きつつ、だけどさすがに、その理屈は強引すぎる。

「姫咲に通うようなお嬢様が、クラブに通ってるとは思えないんだけど」

「お前は世の中を知らねぇなぁ」

 やれやれとショウタが肩をすくめて。

「お嬢様学校に通う生徒は、何も、もれなく全員優等生ってわけでもないんだよ。むしろ、金持ちの親に甘やかされて育ってる分、こういう不良っぽい遊びに興味を示す子は案外多い。実際、俺が前ここでナンパした子の中にも、何人かいたよ」

「実績があるのかよ」

 だからショウタは、こんなにも自信満々なのか。

「でも、どうやって姫咲の生徒かそうじゃないかを見分けるのさ。まさか制服を着ているわけでもないだろうし」

「そこは、片っ端から声をかけてくしかねぇな」

「……えぇ」

 僕が、見知らぬ女の子に声を? ……想像しただけで眩暈を覚える。

「僕みたいな顔の奴が、ナンパなんかできるわけないだろ」

「バカ、ナンパに必要なのは顔じゃねぇ、ハートだよ。それに」

 ショウタが僕の肩に手を置いて言う。

「カオリちゃんのためなら何でもやるって、腹くくったんだろ?」

「いや、何でもとは言ってないし、それとこれとは」

「うじうじめんどくせぇなぁ。いいから行くぞ」

 太い腕で肩を抱えられ、僕は強引に地下へと連行された。

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