12.


 姫咲学園高等学校――通称『姫咲』は、僕の地元駅から二つ離れた駅を最寄りとしていた。ホームページで調べたところバスが出ているようだったけど、歩けない距離でもないので僕たちは駅から徒歩で向かった。平日の昼下がり、閑静な住宅街という謡い文句がピッタリはまりそうなくらい、道々は静かだった。


 しばらく歩くと、幅のある大きな建物が見えて来た。「お、あれじゃねぇか?」とショウタが指を差す。ブラウンカラーでシックな色合いが印象的なその建物は、僕たちが通う公立高校とはまるで雰囲気が違った。西洋のお城のようだ。

「なんだあれ。学校っていうより地方のラブホみてぇだな」

 僕とは真反対のニュアンスで外観を評したショウタが、スマホを見ながら、「授業が終わるまでもうちょっとかかりそうだな」と言い、近くの自販機に向かった。缶コーヒーを二本買い、片方を僕に投げてくる。

「張り込みと言えば、牛乳とあんパンが相場なんだけどな。売ってないからこれで我慢してくれ」

「牛乳を飲むとお腹壊すから、助かるよ」

 校門の目の前で待つわけにもいかないので、学校の様子が見えるギリギリの位置まで離れ、適当な電柱の近くを僕らは陣取った。缶コーヒーを開けたショウタがぐびりと勢いよく吞み、そのまま地面に屈みこんで内ポケットをまさぐりはじめた。

「この区では、路上喫煙は全面的に禁止されているよ」

「誰にも見られてねぇなら、法律もクソもないだろ」

「僕が見ているし、神様も見てる」

「神様が嫌煙家だったとはな、知らなかったぜ」


 しばらくすると、正門からちらほらと下校する生徒の姿が見えはじめた。ショウタが立ち上がる。

「カオリちゃんのこと、見逃すなよ」

「わかってるけど、いっぺんにたくさん来られると自信ないな」

 徐々に生徒の数が増えてきた。僕は神経をとがらせ、一人一人の顔をじっくり目で追う。

「電柱の陰から女子高生覗き見るとか、今のお前、変質者以外の何者でもないぞ」

「ちょっと、黙って」

「おっ、あの子カワイイじゃん。去年の朝ドラに出てた女優に似てる」

「黙れって」


 半刻ほど経つと、校門をくぐる生徒の数は減っていった。緊張の糸が徐々に切れはじめる。僕は一旦校門から目を離し、眉間に指をあてぐっと押し込んだ。ショウタもふぅと大きく息を吐き、辟易したように言った。

「もしかして、他にも出入口あるんじゃねぇか。俺らが通ってる学校も裏門あるし」

「どうだろう。うちの学校の裏門は、自転車通学者用だからなぁ」

「まぁ、お嬢様連中は自転車なんて乗らねぇか」

 カオリは一向に現れなかった。さらに時間が経過し、校門の前はがらんと、人通りがほとんどなくなっていった。

「……なぁ、カオリちゃんもしかして、今日学校休んでるんじゃないか」

 いよいよショウタが、低いトーンでそう漏らす。不安が募っているのは僕も同じだった。

 『夕方のカオリ』が姫咲の生徒であること。彼女がこの時間にこの校門をくぐるであろうこと――それらはすべて、僕らの勝手な推測を繋げた拙い可能性にすぎない。ショウタがさっき言った通り、今日は学校を休んでいるのかもしれないし、別の出入り口からとっくに帰っているのかもしれない。でも正しい情報を何一つ持たない僕らは、それらを確認することができない。

 だから結局、可能性に賭けてやれることをやるしかなかった。


「あと十分くらい待ってダメだったら、今日は諦めようぜ。俺らが授業、遅刻しちまう」

 あくびをもらしたショウタがそう言ったその時、

「あっ」と僕は声をあげた。

 ショウタがすぐに、「来たか?」とたるんだ顔つきを直す。

 一人の女生徒が校門をくぐり、道路に出てきた。間違いない、カオリだ。僕は彼女に視点を合わせながら、ショウタに対してゆっくりとうなずいた。

 すると後ろから、「……えっ?」と驚いたような声が。

 思わず振り向くと、ショウタが、心を失ったような表情でカオリの方を見ていた。

「ショウタ?」

 声をかけるも反応はなく、僕の声がまるで聞こえていないようだ。

「なんで、アイツが、どうして」

 虚ろな声で、ぼそぼそと漏らす。いつものお気楽な口調ではなかった。明らかに様子がおかしい。

「ショウタってば」

 再び名前を呼ぶと、ようやく彼はハッと意識を取り戻した、「あ、ああ」と、しかしどこか焦っている表情は変わらない。

「わりぃ、俺帰るわ」

 あげく、そんなことを言い出す。

「はっ? 急にどうしたんだよ」

「いや、まぁ、ちょっとな」

 ごまかす余裕すらなさそうに、ショウタは目を泳がせている。

「そもそも、男二人でいきなり突撃なんかしたら、向こうがびびって訊くもんも訊けないだろ。面識があるのはお前だけなんだし、どのみち俺はいない方がいいよ」

「それは、そうかもしれないけど」

「じゃあな。結果はあとで聞くからよ」

 言うなり、ショウタはくるりと背を向けて足早に駅の方へと向かってしまった。制止する隙すら与えられず、僕はただ混乱している。

 ショウタのことも気になるが、カオリを逃すわけにもいかない。彼女の方に目を戻すと、ショウタが向かった駅とは反対側、バス停に向かって歩みを進めている。

 ええいままよ――冷静な思考を保てないまま、僕は彼女の元へ駆け寄った。


 下校時から時間帯がずれているためか、彼女以外に人の姿はない。足早に近づきながら、「あの」と、とりあえず声を投げる。

 こちらを向いたカオリが、少し驚いた顔を見せた。

「あなたは、確か」

 どうやら今日はちゃんと僕を覚えているようだ。ここに来てまた彼女の記憶がリセットされていたらお話にならないので、ひとまず安堵した。

「この前、会ったよね? 百貨店のレストランフロアで」

 問うと、彼女が遠慮がちにうなずく。そこに『夜中のカオリ』のような無邪気さはなく、以前と同様に醒めた表情をしていた。

「どうしてここに? 何故また、私に声をかけたんですか?」

 畳みかけるように問われ、僕はたじろぐ。

「あの、ええと」

 喉が萎まり、うまく言葉が出てこない。細い目つきで見据えられ、僕は最適解を選ぶ判断力を失っていた。もとより、柔軟に機転を利かせられるタイプでもない。一瞬の沈黙すら耐え難くなり、僕は結局ありのままを言った。

「君に確かめたいことがあって、会いに来た。制服の特徴を覚えていたから、学校はそれでわかって」

「……制服から学校を特定して、下校を狙って待ち伏せしていたってことですか?」

 わずかに、彼女が顔をしかめる。

 もう少し他に言い方があっただろうと僕は反省する。これでは、それこそ変質者を宣言しているようなものだ。

「違うんだ。本当に、本当に僕は、邪な気持ちで君に近づいたわけじゃない。ストーカーとか、そういうのではないんだ」

 焦って必死に否定するものの、逆に怪しさが増しているのは自明の理だった。いよいよカオリは何も言わなくなり、眉を寄せたまま表情を強張らせている。今すぐ逃げ出されても文句は言えない。

 自分の不器用さにほとほと嫌気した。こういうとき、ショウタならもっとうまくやれるだろうに――


「僕は、本当のことを知りたいだけなんだ」

 焦燥を通り越し、僕の心は醒めはじめていた。朽ちるように言う。

「……本当のこと?」

 警戒をそのまま、けどカオリが、恐々と言葉を繰り返す。僕は相槌を挟んでつづけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る