帰り道
廃墟での写真撮影を終え、どこかぎこちない空気の中、空気を読まない腹の虫を鳴らす奴が一人。
「なー、恭介、バーガー食って帰らないか?」
「お前、空気読めよ」
「無理だろ、腹の虫は空気読まないの! てかみんな辛気臭い! なんだよ、ちょっとちびっこいの出てきて変なこと言われたからって、しんみりならなくてもいいだろ」
「ちみっこいってなんですか!」
「わわ!? 比奈ちゃんのこと言ったんじゃないから!」
小さいという言葉に仲原さんが反応すると、聡は慌てて弁明をする。
部長は額を押さえて、しかし笑い出した。
「っははは、そうだよね、気にしてもわからないものはわからない。さ、バーガーでも食べに行こう、今日はあたしのおごりだ」
「マジですか!?」
「有川はバーガー2つまでね」
「えー、俺マジで死にそうなんですよ? ほら俺、肉体労働してたから」
聡は服をめくって腹を見せ、どれだけへこんだのかを示そうとしていた。
僕はそんな彼の腹部をこぶしでたたく。
「レフ板持ってただけだろ」
レフ板は写真撮影のときに使う、光を反射させて被写体を明るく見せるための道具だ。
サイズによっては大きくて、長時間持っていると腕が疲れるのもわからなくはない。
とはいえ、今回使っていたのは直径60〜80cmほどの折り畳み式。
体力に自信のある聡の働きを“肉体労働”と呼ぶのは、さすがにちょっと大げさだと思う。
「レフ板って重いんだからな!」
「はいはい、僕には持てません。腹しまえよ、みっともない」
「いやん! ほら恭介、写真撮って!」
腹を出しながらピースを決める聡。
「……どうなっても知らないからな」
僕はため息をつきながらファインダーを覗き込んだ。
「俺の肉体美が映るだけさ!」
聡は得意げに、レンズ越しにボディービルダーのようなポーズをとってみせた。
それを見た部長が、すかさず指を差す。
「そのポーズキモイ、有川、失格!」
「失格ってなんですか! なにに対してですか!」
と、そんな馬鹿なことをしているところをカメラに収める。
変なモノは映りこまなかった。
仲原さんが僕らのやり取りを見て笑いながら小さなジャンクフード屋を指さす。
「先輩方、あそこに入りませんか?」
夕方という時間帯もあってか、店内は少しだけ賑わっているが、なんとか席は確保できた。
大きな機材を置くと、聡と部長が先に買い出しに向かう。
カウンターの奥から漂ってくる、揚げ物とポテトの油のにおいが、じわりと空腹を刺激する。
鼻先をくすぐる香ばしさに、胃が思い出したようにきゅっと鳴った。
「ふわー、やっと落ち着きましたねー」
「そうだね」
椅子に腰かけ、上半身をテーブルに投げ出す仲原さん。そんな彼女を見て笑っていると、はっと真剣な顔をして背筋を伸ばし始める。
「あ、あの! これはですね、先輩。疲れたとか、そういうのじゃなくて。ちょっと気が緩んで。ポテトの匂いもおいしそうだし」
「普段通りにしてていいよ。気を張る必要もないし」
「でも……えっと、じゃあ、お言葉に甘えて」
テーブルの上に両腕を投げ出し、猫のように体を伸ばすと、仲原さんが聞いてくる。
「先輩、今日の写真っていつくらいにできるんですか?」
「写真を確認して、必要なら加工するから……、一週間後くらいにはできてるんじゃないかな」
「じゃ、じゃあ、あの、一週間後、部室に行ったら見れますか?」
仲原さんは身を乗り出しながら、真剣な顔で尋ねてくる。
僕は少し引きながら頷いた。
「うん、部室に来れば」
「絶対、絶対ですよ! 隠しちゃダメですからね!」
「あー」
「約束ですよ。今日撮った写真、見せてくれるって!」
僕は自分の写真があまり好きじゃない。
だから撮った写真の中で、気に入らないものは誰にも見せないというのが常なのだが、それを仲原さんは見せてほしいらしい。
今日は人も物も撮った。物はいいとしても人の写真に、変なモノが映りこんでいる可能性がある。毎回、撮った瞬間に確認しているけれど、拡大したら微妙に入り込んでいたり、見落としだったのか、それとも時間の経過で写り込むのか――写っているものが、増えたり減ったりすることもある。
「あまりいい出来じゃないと思うから」
そう言うと仲原さんは急に困り顔をした。
「私、モデル変でしたか? きちんと笑えてませんでした? ぎこちなかったですか?」
「え、そうじゃないよ。仲原さんに問題があるんじゃなくて、知ってると思うけど僕の写真には――」
「頑張りますから! これからもっと、絶対、いいモデルになりますから! ……私、先輩の写真が見たいです! 今日はちょっとだけですけど、と、撮ってもらったし」
ぐっと距離を詰められ、眼前で力説される。このままだと膝上に乗り上げてきそうな勢いだ。
そんなに自分の写真が見たいということなのだろうか。
モデルなのだから、どう映っているのかチェックするのは当たり前といえばそうだなと、僕は肩を落とした。
「わかったよ、変なモノが映りこんでても知らないからね。……ほら、現像したものは見せるから。少し離れようか」
「へ? う、わわ、あの、ごめんなさい、近寄りすぎました」
白熱するあまり仲原さんは僕のジャケットを握りしめるほど近くに迫っていた。
顔は真っ赤で、耳まで染まっている。視線を泳がせながら、必死に距離を取ろうとしているのがわかる。
そして、こういう時には決まって――
「みーちまった」
にやにやしている聡。
「みーちゃったわ」
少しわざとらしく視線をそらしている部長。
二人は少し離れた席の端、トレーを置くカウンターの前に立っていた。
バーガーとジュースを人数分乗せたトレーを持ちながら、こちらの様子をしっかり見ていたらしい。
肩が震えているのは、笑いをこらえているからに違いない。
「聡に部長」
「あーも、比奈ちゃんってば積極的ー」
聡が気持ち悪い口調でしゃべったためか、僕の二の腕に鳥肌が立った。
「久住くん、そこは男として抱きしめてみせるべきよ」
「もう、先輩方、違います! そんなんじゃないんですー!」
泣きそうな顔で弁明に必死な仲原さん。
顔を伏せながらも、ちらちらと僕の方を見てくる。
そんな彼女を見て、僕はふと肩の力が抜けるのを感じた。
くだらないやりとり、からかう先輩たち、真っ赤になって慌てる仲原さん――
こういう日常が、案外嫌いじゃない。
少し騒がしくて、少し面倒で、でも確かにここにある時間。
僕は、たぶん、こういうのが好きなんだと思う。
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