第2話


 手塚漫画とか、あるいは”トキワ荘”の青春群像?の、様々な人物は、MANGA草創期の英雄であって、戦後の人物はそういうMANGAで、人格形成してきた人が多いかも。 

 マンガは普及率も桁外れで、インパクトも強い。 訴求力やら影響力も大きい。


 オレの中でも、児童期から青年期には少年漫画は花盛りであり、否応なしに影響された。

 梶原一騎の野球漫画、「あしたのジョー」や「仮面ライダー」、「ドカベン」、「がきデカ」、…etc

 が、もちろん玉石混交で、”俗悪マンガ”も多かった。 一番攻撃されたのは永井豪さんとかですが、? 面白いといえば滅法に面白いので、「キューティーハニー」などは今でもリメイクされたりする。 で、エログロナンセンスというのか、サブカルというのか、わりと頽廃堕落した世紀末的なマンガも多かったんですが、そういう風潮の中でも、その渦中にあってなお、手塚治虫さんだけは頑として「良識」とか、「人類愛」、あるいは平和やモラル、明るい未来への希求、そうした道徳的な枠を絶対に外さなかった。


 基調に、絶対的な手塚さんだけの「倫理コード」みたいなのがあって、どうやってそういうものが出来上がっていったかとかは、研究家でもないし曖昧。 が、そこのところが「原発のキャラクターにアトムを」と頼まれても「原発は未完成な技術」と、断ったとか、そういうストイックさのゆえんかと思います。


 「ジャングル大帝」という有名な名作漫画の主人公は、アルビノのライオン。

 アルビノではあってもライオン。

 そこのところの葛藤が、芸術的に昇華されていて、それで胸を打つのだと思う。


 さだまさしさんは、のちに東北大震災をテーマに「風に立つライオン」という小説を書いた。 読みかけやが、真っ向からこういうテーマを、こういう取り上げ方ができる、できたのはさださんだからかもしれない。


 宮沢賢治の「猫の事務所」は、「いじめ」がテーマですが、ラストで猫たちを掣肘するのは「金色のライオン」で、「こらあ、お前たち! そんなことをやっていて歴史も政治もあるもんか!」と怒鳴る。


 絶対的なものに、厭な、おかしなことを止めさせてほしい。

 人間が、そういう願望を抱いたときに、それは「ライオン」というイメージに向かうのだろうか。  


 孤独ではあっても、強い。 そうして、正義という言葉とダブる。 何となく悲哀を帯びていて? そして誰もが知っている「百獣の王」のアイコンとしての歴史や意味の深い重み。 深奥には黙示的な象徴があるのかとかなんだかモヤモヤした言いにくい何かがある。??


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