第52話 聖女の微笑み



「ひ、ひぃぃぃ……ッ!」


世界を統べる者のよう振る舞っていたゼノン・レイブンが、


無様に尻餅をついて後ずさる。



迫りくる純白の聖女は、彼にとって死神そのものだった。



「ま、待ってくれ! 待て! 話を聞け!」


ゼノンが必死に手を伸ばす。



「エンドゼロがいれば……そう、あいつの核さえあれば、

世界中の全マガツを支配下に置けるんだ!

 人類にとって、これ以上の利益はないだろう!?

 だから殺さないでくれ! 私はまだ役に立つ!」



そのあまりに自分勝手な言い分に、



背後で聞いていたナンバーズたちの表情が冷たくなる。



「……今さら、何言ってんの」



ライラが軽蔑を隠そうともせず、冷たく言い放つ。



「散々仲間を実験台にして、殺しておいて……自分の命だけは助けてほしい?

 ふざけるのもいい加減にしろ」



リサも大剣を地面に突き立て、呆れたようにため息をついた。



「見苦しいぜ、総統閣下。悪党なら悪党らしく、最後くらい潔くしたらどうだ?」



その視線に、憐れみすら感じたのか。



追い詰められたゼノンの顔が、恐怖から逆ギレに近い憤怒へと歪んだ。



「ふ、ふざけるな……ッ! 貴様らごときが!」



ゼノンが懐に手を伸ばしながら叫ぶ。



「だいたい、お前ら魔法少女同士が殺し合い、共食いをしているのが真実じゃないか!それを有効活用してやった私に、感謝こそすれ――」



バシュッ。


乾いた音が、彼の言葉を遮った。


「――え?」



ゼノンが呆然と自分の右肩を見る。



そこにあるはずの腕が、ない。



ただ、断面から鮮血が噴き出しているだけだった。



「ぎ、ぎゃあああああああッ!!?」



遅れてやってきた激痛に、ゼノンがのたうち回る。



セラフィナは、指先から放った光の余韻を払うように、



優雅に手を振っただけだった。



「お黙りなさい。耳が汚れますわ」



「ぐ、うぅ……! ち、違……っ! ちょっと待ってくれ……!」



ゼノンが脂汗を流しながら、血走った目でセラフィナを見上げる。



「話が違うじゃないか……!約束では、私は……!」



「さようなら」



セラフィナの冷徹な一言。



再び、光が閃く。



「がっ――」



ゼノンの首が、ボールのように宙を舞った。



胴体がどう、と音を立てて崩れ落ちる。



あまりにあっけない、独裁者の最期だった。



「…………」



しずくは、その光景を息を呑んで見つめていた。



敵討ちは終わった。



けれど、胸に残るこのざらついた感覚は何だろう。



セラフィナの容赦のなさ。そして、ゼノンが最後に言いかけた言葉。



(話が違う……? 約束……?)



「ふぅ。これで一件落着ですわね」



セラフィナが何事もなかったかのように微笑み、振り返る。


「これから上層部の掃除やら事後処理やらで、大変なことになりますけれど……。

 まあ、それは生きて帰れた私たちの特権ということで」



リサが肩をすくめ、張り詰めていた空気が緩みかけた、その時だった。


「……あら?」


セラフィナの足が止まる。


彼女の足元。


何もないはずの空間に、ひとつだけ、転がっているものがあった。


カツン、と小さな音が響く。


それは、拳大ほどの大きさの結晶。


あれほど巨大だったエンドゼロの肉体が消滅したにもかかわらず、


その中枢にあった核だけが、傷ひとつなく残されていたのだ。


だが、それは以前のような禍々しい赤黒さではない。


極限まで圧縮された魔素は、まるで最高純度のルビーのように透き通り、


妖艶な紅色の輝きを放ちながら、ドクン……ドクン……と静かに脈打っている。


あまりに高密度な魔力の結晶。


見ているだけで吸い込まれそうなほどの、純粋な力の塊。


「……」


セラフィナはゆっくりと、その核に歩み寄る。


彼女は優雅に腰をかがめ、


落ちている核を、そっと手で拾い上げた。


「……温かい」


セラフィナの唇が、音もなく動く。


本来なら、即座に砕いて完全に消滅させるべきもの。


諸悪の根源。


けれど、彼女の瞳には、嫌悪感とは違う色が宿っていた。


まるで、長年探し求めていた宝石を見つけた少女のように。


あるいは、禁断の果実を手にした者のように。


彼女はうっとりと、その核を指先で愛おしそうになぞった。


「セラフィナ、さん……?」


しずくが戸惑いの声を上げる。


セラフィナはハッとしたように顔を上げ、


いつもの聖女の笑みを貼り付けた。


「ああ、すみません。

 これは危険ですので、ひとまず本部で厳重に保管・解析することにしましょう。

 わたくしの方で預かりますわ」


そう言って、彼女は核を懐へとしまい込んだ。


「……そうだな。それが一番安全か」


ギルベルトが納得したように頷く。


「皆さん、本当にお疲れ様でした。さあ、地上へ戻りましょうか」


セラフィナが歩き出す。


ナンバーズたちも、安堵の表情でそれに続こうとする。


だが。


(……おかしい)


しずくだけが、動けなかった。


今のセラフィナの表情。そして、核を見る目。


胸騒ぎが抑えきれない。


しずくは無意識に、右目に魔力を集中させた。


(視せて……真実を)


視界が色を変える。


物質の輪郭が消え、魔素の流れだけが浮かび上がる世界。


しずくの視線の先には、セラフィナ・クレストの背中。


そこには、№1の名に恥じぬ、太陽のように莫大な光の魔素が渦巻いていた。


しかし。


(……え?)


その圧倒的な光の奔流の中に。


わずかに、「色が違う」魔素が混じっている。


ほんの小さな、けれど決して見間違えることのない、独特な波長。


懐かしく、そして悲しい色。


しずくの記憶にある、あの人の色。



「――待ってください、セラフィナさん」



しずくの声が、静まり返った通路に響いた。



ピタリ、とセラフィナの足が止まる。


他のメンバーも驚いて振り返る。



「……どうかしたかしら? しずくさん」



セラフィナは背中を向けたまま、静かに問いかけた。



しずくは拳を握りしめ、震える声で告げた。



「どうして……」



「はい?」



「どうして……イザベラさんの魔素が、あなたの体内に流れているんですか?」



凍りつくような沈黙。



「……は?」



リサが呆気にとられた声を出す。



「おいおい、何言ってんだしずく。疲れすぎて幻覚でも見てるのか?」



ライラも心配そうに覗き込む。



「そうだよ、しずくちゃん。イザベラはもう……」



「見間違いじゃありません!」



しずくは叫んだ。右目を開き、セラフィナを射抜くように見つめる。



「私の目は誤魔化せない。

 あなたの魔素の中に、確かに混じっている……。

 死んだはずのイザベラさんの魔素が、まるで取り込んだかのように!」


その言葉に、


セラフィナ・クレストが、ゆっくりと振り向いた。


その顔から――聖女の微笑みは、消えていた。

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