第20話 悪夢の予兆

光が奔り、しずくの右目へと流れ込んだ。


「――あああああッ!!」


しずくの絶叫が小部屋を震わせる。


白い床を爪で引っかきながら逃れようとするが、


その肩は温かな掌で押さえつけられ、動けない。


「だ……だめ……やめ……っ」


顔を上げた瞬間、セラフィナの瞼が開かれた。


聖女のように澄んだ赤の瞳――


その奥で、ほんの一瞬だけ、


異質な影がぎらりと揺れる。


その光に射抜かれ、しずくは身体を硬直させた。


セラフィナの口元が、わずかに歪んだ。


女神の微笑とは似ても似つかぬ、黒い笑みに。


「……大丈夫。あなたは、るりの妹だもの」


吐息のような囁きが落ちた瞬間、


痛みはふっと遠のいた。



光が消え、しずくの身体から力が抜ける。



「――っ……。」



がくりと膝が崩れ、しずくは床へ倒れ込んだ。



セラフィナはやわらかく声をかける。



「通してよろしいですよ。」


ぎい、と扉が開かれる。


リサを先頭に、アヤメ、ミカ、ソラ、そしてエリナが飛び込んできた。


「おい、セラフィナ! お前、何やってんだ!」



リサが声を荒げ、大剣を握る手に力を込める。



アヤメとミカがすぐにしずくへ駆け寄った。



「しずく様! ご無事ですか!」


「しずくちゃん!しっかりして!」


ソラは膝をつき、震える手で彼女の肩を支えた。


そんな慌ただしい空気の中、


セラフィナはいつもと変わらぬ微笑みを浮かべていた。



「彼女の右目を開花させようと思いまして。」



リサの怒号も意に介さず、穏やかな声音で続ける。



「彼女は必ず、るりのように人類の救世主となるはずです。そのための種をまきました。

……開花させるかどうかは、彼女次第ですが。」



そう告げると、セラフィナはくるりと背を向ける。


「それでは、失礼します。

――行きますよ。エリス、クラウディア」


「おい、待てセラフィナ!」


リサが叫び、足を踏み出す。



クラウディアは一瞬だけ足を止めた。

その蒼眼に迷いの色が差す。



「クラウディア! お前、これが正しいと思っているのか!」


リサの声が鋭く突き刺さる。


クラウディアは振り返りかけ、


わずかに唇を震わせた。



だが――意を決したように顔を上げる。


「……私はセラフィナ様を信じている。

セラフィナ様のなさることは、すべて正しい。」



その言葉を残し、


クラウディアはセラフィナの後を追った。



エリスも無言で付き従い、

三人の背は静かに遠ざかっていく。


――残されたのは、荒い息をつくしずくと、

怒りを押し殺したままの仲間たちだった。



リサが駆け寄り、しずくの肩に手を置いた。


「しずく……大丈夫か。」


しずくは荒い息のまま、かすれた声を絞り出す。


「リサさん……わたしは……大丈夫ですから……」


エリナが眉をひそめ、小さく息をのむ。



「……あんなセラフィナを見るのは初めてよ」


リサも視線を落とし、歯を食いしばった。


「あぁ……どうしちまったんだ、あいつ……」


「しずく。目はどうだ。大丈夫か?」



リサが覗き込む。


しずくは右目にそっと手を当て、

ゆっくり瞬きをする。


「……異常はないです。

特に変な感じもありません。…大丈夫そうです」


「そうか。ならよかった」

リサは安堵の息を吐く。


「ただ……セラフィナさんが、この目の能力を開花させる“種”は撒いたって……」


「ん。まぁ、言ってたな」


リサは短くうなずき、声を和らげる。


「だが、そんな気にするな。今はゆっくりしろ」



「……分かりました」


その瞬間、ミカが勢いよくしずくに飛びついてきた。



「しずぐちゃぁぁん!! ころされだかと思ったよぉぉ!!」


頬をぐしゃぐしゃにして、声にならない嗚咽をあげる。



「ミカちゃん……大丈夫だよ。セラフィナさんがそんなことするわけないでしょ」


しずくは力の抜けた声で、それでも微笑んだ。



「そ、そうだけどぉ……! 

ひぐっ、ぐぅっ……!」


ミカは涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、なおもしゃくり上げた。


ソラが困ったように笑って、そっと肩に手を置く。


「ミカ……もう泣き止んでよ……」


アヤメは冷静に姿勢を正し、静かな声をかける。



「しずく様、お部屋までお送りします。今日はもうお休みになられては」



「……うん、そうする」


しずくは立ち上がり、仲間に支えられながらゆっくり歩き出した。


回廊の光はもう薄れ、夜の色が迫っていた。



部屋に戻ったしずくは、ベッドに身を沈める。

全身がまだじんじんと痺れている。



右目を閉じると、脈打つような光が網膜の奥にちらついた。


やがて意識が沈み、夢が始まる。


――暗い水の中。

深く、冷たく、底が見えない。


「……お姉ちゃん?」


そこに、るりの背が見えた。

白い光に包まれて、遠くに浮かんでいる。

手を伸ばしても、届かない。


水の中に声が響く。


(……たすけ……)

(……まだ……はじまり……)


囁きが濁流のように押し寄せた瞬間――

闇の水面から無数のマガツが這い出してくる。

口を裂き、叫びを上げながら、しずくに群がる。


息ができない。

視界を赤い線が奔り、無数の影が襲いかかってくる。


しずくは必死に叫んだ。


――そして、闇に呑み込まれていった。


しずくはうなされていた。

暗い水の中で、無数の影に呑まれ――


「はっ――!」


がばっと上体を起こす。


額を冷たい汗が伝い、胸は荒く上下している。


まだ耳の奥に、あの水の中の囁きが残っていた。


「……悪い夢……」


かすれた声でひとりごち、右目を押さえる。


脈打つ光がまだ奥でちらついていた。


そのとき――。


コン、コン、と控えめなノック音が響いた。


「えっ……?」


しずくは慌ててシーツを払い、髪を整えながら扉へ駆け寄った。


勢いよく扉を開けると、そこには姿勢正しいアヤメが立っていた。


「おはようございます、しずく様!」

涼しい声に、しずくは思わず瞬きをする。


「え、アヤメちゃん?……今、何時?」


「昼過ぎですが……」


「えぇぇっ!? そんなに!?」

しずくの声が裏返る。


アヤメは微かに苦笑し、眉を下げた。


「本日はお姿が見えなかったので、なにかあったのかと心配して……お迎えに参りました」



「ど、どうしよう……リサさんに怒られる……!」


しずくは頭を抱え、慌てふためく。


「大丈夫です、しずく様。リサ様もナンバーズの方々も、ただいま遠征任務の打ち合わせ中です」


アヤメが静かに説明する。



「え、遠征?」

しずくは目を瞬かせた。



「……聞いておりませんか? 数年に一度、マガツ側領域への掃討遠征があります。

 今回、その準備が始まったとのことです」



しずくは無意識に右目へ手を当てた。

夢の残滓が、まだ脳裏にこびりついている。


(……なんだか、正夢になりそうだよ……)


「しずく様、何かおっしゃいましたか?」


アヤメが首を傾げる。


「いや、なんでもないよ、アヤメちゃん」


しずくは慌てて微笑み、頭を振った。


「では、ご一緒に行きましょう!」


アヤメが一歩前に出る。


しずくは頷き、彼女の後に続いた。


二人は部屋を飛び出し、白い回廊を駆ける。



――この先の任務の先に、


何が待ち受けているのか。


その恐ろしい光景を、


しずくはまだ知らなかった。

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