第19話 開花の儀



――町での戦闘から数日後の夕暮れ。



要塞の回廊に橙の光が差し込み、白く磨かれた床を長く染めていた。



訓練の余韻を抱えたまま、しずくたち四人は並んで歩いていた。



「もう……あの教官、絶対ドSだよね!」


「ミカ、声が大きいです」


「ふふ……でも、本当にきつかったね」



束の間の笑い声。



だがその空気を切り裂くように、正面から三つの影が迫ってきた。



白銀の髪を揺らし、閉じた瞼に聖像めいた笑みを浮かべる―


【№1 セラフィナ・クレスト】。



目を白布で覆った女性、歩くだけで圧が漂う――


【№3 エリス・ハウンド】。




蒼銀の長髪を後ろに束ね、金糸を織り込んだ紺碧の騎士――


【№4 クラウディア・フォン・ノルデン】。



氷刃のごとき眼差しが、冷たく廊を掃いた。



圧倒的な存在感に、しずくたちは思わず足を止め、姿勢を正して敬礼する。



すれ違いざま、セラフィナが柔らかな笑みを浮かべた。



「……あら、しずくさん」



夕暮れの空気に溶ける、澄んだ声。



「ミラさんと協力して街に出たマガツを退けたと聞きました。

 そして――最初に異変に気づいたのは、あなた方だとか。

 人類を守る者として、すばらしい働きでした。ありがとうございます」



「……あ、ありがとうございます」



しずくは胸の奥が震えるのを感じ、思わず背筋を伸ばした。



その背後で、ミカが小さく息をのんだ。



「……№1が、私たちを褒めてくれた……」



興奮を抑えきれず声が漏れる。



すぐにアヤメが小声でたしなめる。



「ミカ、静かに。」



セラフィナは耳に届いているのか、ふっと笑みを深めた。



そして一歩近づき、しずくの耳もとへ顔を寄せる。



「……ミラさんから聞いています。例の件は、機密でお願いしますね」



しずくの心臓が跳ね上がる。



あの夜、マガツが――“声”を発したこと。



「……はい」



穏やかな笑みを浮かべるセラフィナに、クラウディアの冷声が割り込む。



「ふん。どうせ……ミラのおこぼれでしょう」



蒼銀の髪を揺らし、氷のような蒼眼がしずくを射抜く。



回廊の空気がぴんと張り詰めた。



だがセラフィナは微笑みを崩さず、首を傾げる。



「クラウディア。仲間の功績を認めることも――騎士の務めですよ」



クラウディアは顔を歪め、不満げに口を閉ざした。



――その瞬間。



閉ざされていたセラフィナの瞼が、ゆるりと開かれる。



覗く赤光が、しずくの右目を射抜いた。



「……その目」



しずくは息を呑み、思わず右目に手を伸ばしそうになった。



だがセラフィナは柔らかな声で続ける。



「リサさんから聞きました。魔素を得たときにできたものだとか? 赤い線が見える、と」



「……はい。たまに、なんですけど」



セラフィナは考えるように目を細め――やがて、慈愛を帯びた声音で告げた。



「来なさい。あなたの力を……開花させましょう」



「……え?」



彼女はしずくの手を取る。



その力は温かく抗えない。



戸惑う仲間たちをよそに、しずくは半ば引きずられるように歩き出した。



「しずく様!」



アヤメが慌てて声を上げる。



辿り着いたのは、照明の落とされた無機質な小部屋だった。



壁も床も白い合成材で造られ、光は魔素灯の淡い青だけが揺らめいている。



セラフィナに手を引かれ、しずくは部屋の中へと足を踏み入れた。



その背後から、冷ややかな視線を携えたクラウディアが静かに続いた。



「あなたたちは、ここまでです」



低い声が響く。



エリスが扉前に立ちはだかり、三人を押し止めた。



「なっ……エリス様、通してください!」



アヤメが必死に声を張り上げた。



「なりません。セラフィナ様の命令です。エクリプスは従いなさい」



エリスの声は揺らがない。



無慈悲に扉が閉じられ、重い金属音が廊に響いた。



「……セラフィナ様、いったいなにを?」



厳格なクラウディアでさえ、困惑を隠しきれなかった。



だがセラフィナは振り返らず、柔らかに告げる。



「クラウディア。あなたも見ていなさい。これは必要なことです」



温かな掌がしずくを椅子に導く。



逃れようとしても、抗えない。



セラフィナの指先が頬に触れる。



「大丈夫。……痛いのは、一瞬ですから」



次の瞬間――光が奔り、しずくの右目へと流れ込んだ。



「――ッ!?」



灼けつくような痛みが頭蓋を突き抜ける。



視界が白く弾け、無数の赤線が奔り、世界がひび割れる。



「――あああああッ!!」



喉の奥から迸る悲鳴が、部屋を突き破るほどに響いた。



叫びは長く尾を引き、鉄壁の扉をも震わせる。



「っ……はぁっ……あ、あああっ……!」



椅子から転げ落ちそうになりながら、苦鳴が喉を裂く。



扉の外では――。



「しずく様!!」



「やめろっ!!」



アヤメとミカが必死に叫び、ソラの瞳には涙が浮かんでいた。



だが、エリスは一言も発さず、彼女たちを遮る。



細身の彼女は、巨大な壁のように動かなかった。



クラウディアでさえ、目を見開き、声を失っていた。



無機質な小部屋、しずくの絶叫が響き渡る。





――痛みは、まだ終わらない。






訓練帰りの足音が響く中、二つの影が廊の端を通り過ぎていく。



マントを翻し、鋭い気配をまとったエリナ。



隣には、無骨な歩みで進むリサ。



ふたりは同時に足を止め、顔を見合わせた。



静かな廊下に、不自然な響きが混じっていたからだ。



「……今の声は――」



エリナが眉を寄せる。



リサは鋭く息を吐き、声のする方へと歩を速めた。



廊下の奥からは、低い言い争いと、押し殺された呻きが断続的に漏れてくる。



向こうで何かが起きている――。



角を曲がると、正面にその光景が飛び込んできた。



閉ざされた扉の前で、アヤメ、ミカ、ソラの三人が必死に言い募り、


立ちはだかるエリスと激しく押し問答をしている。



「……お前ら、いったい何やってんだ?」




リサの低い声が廊に落ちた瞬間、言い争いが凍りついた。



「リサ様! 中でしずく様が――!」



アヤメが叫ぶ。



扉の隙間から、痛ましいしずくの呻きが漏れている。




リサの表情が険しく変わった。



拳を握りしめ、一歩踏み出す。



「おい、エリス」



リサの低い声が、廊下に落ちる。



「そこをどけ」



包帯の下の表情は読み取りにくい。



だがその口元には冷たい確信が滲んでいる。



「どきません。セラフィナ様の命令は絶対です」



エリスの声は静かだが、揺るがない。



リサは唇を噛み、荒々しく言い放つ。



「なら、貴様をぶち殺してでも行くぞ」



一瞬の凍りつきが走る。



エリスは微かに首を傾げ、包帯の向こうで微笑むように応じる。



「――あなたに、できますか?」



両者の間でぱちぱちと火花を散らすように高まる。



そこへ、エリナが慌てて割って入った。



「ちょ、ちょっと、あなたたち! 落ち着いて! 

それより中でいったい何をしているのよ!」



エリスは振り向くことなく、落ち着いた声で答えた。



「セラフィナ様が――白封筒の能力を、開花させているのです」



その言葉が貫いた瞬間、リサの顔に短い閃きが走る。



エリナの唇が固く結ばれ、周囲の張り詰めた空気がさらに濃くなる。



「セラフィナが?」



リサが苛立ちを顔で出して詰め寄る。



「№1だからって、何をやってもいいってわけじゃねぇ。今すぐ止めさせる!」



エリスは淡々と返す。



だが、包帯の向こうの声は冷静そのものだ。



「セラフィナ様が行うことは、すべて正しいのです」



言葉の重みが、リサの拳を震わせる。



一瞬、戦場の前触れのように静まり返った。



リサは戦闘態勢に入り、

無骨な手を前へとかざす。



瞬間、空気が震え、光の粒子が凝縮して――

巨大な大剣が形を成す。



リサはそれを肩に担ぎ、鋭い眼光をエリスへ向けた。



引き金を引くように、リサが踏み出したその瞬間――。



扉の向こうから、セラフィナの柔らかく、しかし確かな声が鳴った。



「通してよろしいですよ」



声は落ち着いていて、命令にも希望にも聞こえた。



リサとエリスは、ぴたりと足を止める。



互いの目線がわずかに交差し、重い沈黙が覆う。



「かしこまりました」



エリスが静かに答え、その場を引くようにして一歩退いた。



リサが強く息を吐き、扉を押し開ける。



ぎい、と古い金属が鳴る音が響いた。



扉の向こう――小部屋の中で何が行われているのか。



扉がゆっくりと開くその瞬間、全員の視線が一斉に中へ吸い込まれていった。

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