第1話


 大侵攻グレート・インベイジョンから3ヶ月。

 東京の風景は一変した。渋谷を中心とした首都圏の一部は、異世界の軍勢によって占領され、「旧都きゅうと」と呼ばれる封鎖区域となっていた。空には時折、自衛隊の偵察機や、翼を持つ異世界の斥候が飛び交い、緊張が途切れることはない。

 人々は、終わりの見えない戦争という新たな日常を受け入れ始めていた。少なくとも、表面上は。


「……また、負けか」


 蒼き黎(あおき・れい)は、薄暗い自室で一人ごちた。

 17歳。都内の高校に通う、ごく普通の少年――であった、3ヶ月前までは。今は、学校は無期限の休校となり、彼の日常はディスプレイの中にあった。

 画面に映し出されているのは、『RTSリアルタイムストラテジー』と呼ばれるジャンルのゲーム。ユニットを生産し、資源を管理し、敵の拠点を破壊する、思考のスポーツだ。

 黎は、この世界では名の知れた天才プレイヤージーニアス・プレイヤーだった。彼の操作するユニットは、まるで一個の生命体のように有機的に連携し、誰も予測できない奇策で幾度となく勝利を収めてきた。

 だが、今の彼の顔に、いつもの自信と輝きはなかった。


レイヴンRei-vun、お前、最近スランプじゃないか? 動きが単調だぞ』


 ヘッドセットから、チームメイトの呆れたような声が飛んでくる。ハンドルネームHNは「Jester」。軽薄そうな口調だが、その実力は本物だ。

「……うるさい。ちょっと集中力が切れただけだ」

『集中力ねえ。ゲートのニュースでも見てたんだろ?』

「……」

 図星だった。黎はゲームの傍ら、タブレットで戦況ニュースを流し見していたのだ。今日は、旧都の奪還作戦が決行されたが、結果は芳しくなく、多大な犠牲者を出して撤退したと報じられていた。

 画面の向こうの戦争と、目の前のゲーム。

 どちらも「戦略」が鍵を握る。だが、その二つには、決して埋められない、あまりにも大きな隔たりがあった。


『まあ、無理もないか。こんな世界になっちまったんだからな』

 Jesterが、ふっと声のトーンを落とす。

『俺のダチもさ、こないだの召集で……』

「……やめろ」

 黎は、低い声で遮った。

「ゲーム中に、そういう話はしたくない」

『……わりぃ』


 重い沈黙が流れる。黎は「回線を切る」とだけ告げて、一方的に通信を切断した。

 ヘッドセットを外し、大きく息を吐く。部屋の空気が、鉛のように重く感じられた。


 ◆


 黎は、幼い頃から物事を俯瞰で捉える癖があった。

 人の動き、物の配置、時間の流れ。それらを、まるでチェス盤の上の駒のように認識し、数手先を読んで行動する。その特異な才能が、RTSというゲームで華開いた。

 だが、現実の戦争はゲームではない。

 そこには、リセットボタンも、やり直しも存在しない。一つの判断ミスが、取り返しのつかない「死」に直結する。


(俺に、何ができる……?)


 自問自答は、もう何度繰り返したか分からない。

 自分はただの高校生だ。兵士でもなければ、政治家でもない。卓越した戦略眼も、ディスプレイの中でしか役立たない、空虚な才能だ。

 無力感。それが、ここ3ヶ月、ずっと彼の心を蝕んでいた。


 その時だった。


適合者コンフォーマーを確認。最終認証シークエンスに移行します』


「――え?」


 凛とした、それでいてどこか無機質な女性の声が、直接、頭の中に響いた。

 部屋には誰もいない。幻聴か?

 黎が混乱していると、目の前のゲーム画面が、突然砂嵐に変わった。そして、その中心に、幾何学的な紋様が浮かび上がる。


『初めまして、蒼き黎あおき・れい。私は「ノアNOA」。人類存続のために設計された、次世代戦略補助ネクストジェネレーション・ストラテジー・アシスタンスAIです』


 声は、PCのスピーカーから発せられていた。だが、先ほど頭に響いた声と、全く同じ声質だった。

「……AI? 何の冗談だ。新型のウイルスか何かか?」

 黎は警戒を露わにする。大侵攻以来、サイバーテロも頻発している。

『冗談ではありません。私は、あなたを探していました。いえ……あなたのような「資質」を持つ人間を』


 画面の紋様が、複雑に形を変えていく。それは、まるで見たこともない戦場の地形図マップのようだった。

『あなたは、物事を俯瞰し、盤面全体を把握し、最適解を導き出す能力に長けている。それは、これからの世界を生き抜くために、最も重要な資質の一つです』

「何が言いたい?」

『単刀直入に申し上げます。あなたのその力を、貸してほしいのです。この、絶望的な戦況を覆すために』


 ノアと名乗るAIは、淡々と、しかし有無を言わさぬ力強さで告げた。

 画面には、一枚の画像が表示される。それは、旧都の地下深くに存在する、巨大な空洞の設計図だった。

『これは、政府が極秘裏に進めている「プロジェクト・ユニオールProject UNIOR」の拠点です。我々は、異世界の軍勢に対抗するための、新たな切り札カードを開発しています』


 次々と表示される、信じがたい情報の数々。

 ゲートから放出される未知のエネルギー「魔素エーテル」。それを応用した新兵器。そして、その兵器を運用するために選抜された、特殊技能を持つ民間人――司令官候補コマンダー・キャンディデイト


『あなたは、その候補者として、最高ランクの適性を示しました。あなたのRTSにおける戦闘データ、判断速度、戦略の独創性……全てを分析した結果です』

「俺が……司令官?」

 あまりに非現実的な話に、黎は言葉を失った。ゲームが上手いだけの高校生が、本物の戦争の司令官? 馬鹿げている。

『これは、ゲームではありません。ですが、あなたの能力は、この現実の戦場において、他の誰にもない武器ウェポンとなり得ます』


 ノアの声には、感情が込められていない。だが、その言葉の一つ一つが、黎の心の奥底に突き刺さった。

 無力感に苛まれていた自分。何もできないと、ただ諦めていた自分。

 だが、もし。

 もし、この空虚な才能が、本当に誰かを救う力になるのなら。


『選択してください、蒼き黎。このまま傍観者であり続けるか、それとも、運命せかいプレイヤープレイヤーとなるか』


 画面に、二つの選択肢が浮かび上がる。


【YES / NO】


 黎は、震える手でマウスを握った。

 窓の外では、夕暮れの空を、自衛隊のヘリが編隊を組んで飛んでいくのが見えた。サイレンの音が、遠くで微かに響いている。

 もう、平和な日常はどこにもない。

 ならば、自分で掴みに行くしかない。


 彼は、ゆっくりと息を吸い込み――そして、決意と共に、カーソルを動かした。


 カチリ、という乾いたクリック音が、少年の運命が、そして世界の運命が、大きく動き出したことを告げる合図となった。

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GATE UNIOR/XO+ @valensyh

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