光の記憶 第3話 記憶の在処

 「この桜とそっくりじゃないですか?」

 澪から届いたメッセージに添えられた写真を見て、湊は思わず息をのんだ。

 封筒に残されていた一枚と、花のかたちも枝ぶりも酷似している。


 「……ほんとだ」


 「こんな写真も一緒に入ってたんですが、どこか分かりますか?」

 それは、巨大な吊橋だった。

 青い鉄骨が谷をまたぎ、湖面の上に長く伸びている。


 「竜神大吊橋かな。常陸太田にあるはずだ」


 「じゃあ、この桜も常陸太田にあるはずですね」

 二人の行き先は定まった。



 常陸太田に着いた二人は、桜を探して歩き始めた。

 湊は地図を広げ、川筋や地形を確かめながら歩を進める。

 一方で澪はスマートフォンを手に、画面を指で滑らせ、同じ写真が投稿されていないか確認していた。


 最初に声をかけた男性は、首をかしげて「そんな桜は知らない」と答えた。

 次に尋ねた若い女性は「桜なら観光パンフレットに載ってる名所がある」と教えてくれたが、写真とは違っていた。


 昼が近づき、二人は小さな食堂に入った。

 湊は常陸秋そばを、澪はけんちん汁を頼んだ。

 香ばしいそばの香りと、根菜の甘みが溶け込んだ汁の温かさが、冷えた体に染み渡る。

 「やっぱり土地の味って、旅の途中で一番覚えてる気がします」澪が笑う。

 湊も頷き、再び歩き出した。


 その後、道端で出会った年配の女性がふと口にした。

 「昔からあの邸宅に大きな桜があるよ。春になると見事でね」


 案内された先は、古い門構えの屋敷だった。

 応対に出た家人に事情を話すと、意外な言葉が返ってきた。

 「誠さんと……理音さんも、よくここに来ていましたよ」


 澪が思わず身を乗り出す。

 「ここで、どんなふうに過ごしていたんですか?」


 家人は少し考え、ゆっくりと答えた。

 「理音さんは桜の下に立つと、しばらく動かずに見上げていましたね。時々、地面にしゃがみ込んで花びらの影を覗き込んだりもしていました。誠さんは『そんなところ撮ってどうするんだ』なんて言いながら、結局は嬉しそうに見守っていましたよ」


 澪は目を輝かせた。

 「……素敵ですね」


 澪は小さく笑って、湊の方を振り返った。

 だが湊は返事をせず、ほんの短い沈黙が流れた。

 そして、翌朝桜を撮らせてもらうことになった。



 夜明け前。

 薄明の空に、一本桜が浮かび上がっていた。

 背景は霞に包まれ、枝先だけがかすかな光を宿している。


 湊はカメラを構えた。

 > 夜明け前、

 > 花びらの輪郭だけが目を覚ます。

 > 時が止まる前の一呼吸。


 シャッター音。

 画面には、静止した時間の中で息づく桜が映っていた。

 ――一枚目は、難なく撮れた。


 その横で澪が小さく息をつき、カメラを取り出した。

 「……私も撮ってみる」

 そう言って、好きな角度を探しながら何枚もシャッターを切っていく。

 枝の影を追ったり、花びらの重なりを覗き込んだり、まるで遊ぶように。


 「悪くない。でも、光が強いから少し絞った方がいい」

 湊は横から声をかけた。

 「あと、水平を意識すると落ち着いた写真になる」

 澪は頷き、設定を変えてもう一度構えた。

 「なるほど……確かに違う」

 ファインダーを覗く澪の目が、少しだけ真剣さを増していた。



 やがて陽が昇り、桜は満開の姿を見せる。

 見えない風が花びらを散らし、地面に淡い影を落としていた。


 湊はファインダーを覗きながら、手帳の余白に書かれていた言葉を思い出す。


 ――記憶がまだ息をしている。


 今までは二枚写真が揃っていたがここから先は一枚目しか入っていなかった。

 (二枚目は、どんな写真だったのだろう)

 散りゆく花を捉えればいいのか。

 それとも、誰かの気配を写し込むのか。

 構図を変え、角度を探し、何度もシャッターを切る。

 だが、画面に映るのはただの桜でしかなかった。

 光も、風も、記憶の温度も――どこかに抜け落ちている。


 (記憶の在処は、どこにある……)

 湊の胸に、その問いだけが残った。


 その横で澪は、夢中で何枚もシャッターを切っていた。

 「……あ、これ」

 撮った中の一枚を見つけ、目を輝かせて湊に差し出す。

 「これ、ぴったりじゃないかな?」


 差し出された画面を見た瞬間、湊の脳裏にキャプションが浮かんだ。


 > 散りゆく花が、

 > 見えない誰かの記憶を撫でていく。

 > 儚さは、まだ息をしている。


 「……確かに、その通りだ」

 思わず口にした言葉に、澪の顔がぱっと明るくなる。


 だが次の瞬間、言葉が口をついて出た。

 「でも、そんなのは偶然だよ」


 澪の笑みが消え、沈黙が落ちた。

 風に散る花びらの音だけが、二人の間を埋めていた。

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