第5話案内人とギルド

 アグナル王子がやって来た二日後の午後、石材倉庫に訪問者が現れた。

 

「初めまして、フィノン印章官。俺はクロウ。ウェルス侯爵から派遣された案内人だ」

 

 男はクロウと名乗った。

 アッシュグレーの髪に橙色した瞳。歳は四十歳くらいだろうか。居酒屋で昼間から酒を煽っていそうな、どこか崩れた雰囲気を持っている男だった。

 

 服装から彼が武官であることは知れたが、所属までは分からない。王城に居るくらいだから、身元はしっかりしているんだろうけども、それでも胡散臭さを感じて仕方が無かった。

 

 ウェルス侯爵が、後日、人を派遣すると言っていたが、それが彼なのだろう。侯爵の子飼いだと思うが、あまりにも雰囲気がアレなので驚いてしまう。


 僕は仕分けしていた手を止めて、クロウの元へ歩み寄った。その背後からディノスがついてくる。最初は慣れなかった背後の気配も、今や馴染んでいる。

 敵意のない視線とは、こんなにも穏やかな気持ちにさせるんだな。


「初めましてクロウ殿。私はセレスト=フィノンです。服飾ギルド長の件でしょうか」

「そうそう、その件。ギルド長の日程調整が終わったから、今から案内するぜ」


 ん、聞き間違いだろうか。今から? あまりにも急じゃないだろうか。僕にも残っている仕事がある。


「今からですか?」

「あぁ、事前に知らせてやれなくて悪かったな。ちょっと野暮用で今日まで登城出来なかったんだ。エリノア伯爵には話してあるから問題ない」


 上司の上司の許可があるなら、僕は何も言えない。

 それにしてもこの人は一体どんな属性を持っている人なのか。平民のようにも見えるし、貴族にも見える。まったく正体が掴めない。

 僕のそんな視線に気づいたのか、クロウはにやりと笑って僕を見下ろした。


「何か言いたい顔だな」

「いえ、特には……」

「嘘つけ。その顔は俺を不審者と思ってるだろう」

「そんなことはありません」

「ははは、構わないぜ。本来なら、城に上がれるような身分じゃないからな」

「ということは、貴方も平民側ですか?」

「そんなところだ。だから畏まらなくていい。仲良くいこうや」


 貴族ではないと聞いて、張っていた肩から力が抜けた。差し出された手を僕は握り返した。

 ゴツゴツとした大きな手。剣ダコが出来ている。ディノスと同じ、戦う男の手だった。


「そっちの護衛騎士さんも。よろしくな」

「ディノス=クロスターです。よろしくお願いします」

「クロスター……、あぁ、あんたが……」


 クロウが納得したように頷いた。

 ディノスが目を伏せる。

 僕の知らない暗黙の何かがあるようだ。僕はディノスとクロウを交互に見る。僕だけ事情が分かっていないのは、今の仕草で分かっただろうが、ディノスもクロウも説明はしてくれなかった。

 教えてくれないのなら、それでも構わないが、少しばかり寂しさ募った。


「さて、倉庫を閉めて行く準備をしてくれや。約束の時間に遅れちまう」


 クロウに言われ、僕は倉庫の鍵を閉めるために振り返った。僕よりも早く、ディノスが鍵のある場所に駆けだしている。本当に出来る男だ。

 ディノスの持ってきた鍵で倉庫を閉めて、僕たちは服飾ギルド長の所へ向かったのだった。


 □ □ □


 城から馬車に乗り、僕たち三人は商人街と呼ばれる王都の西部地区に入った。

 服飾ギルドはその名のとおり、服飾関係の商会が集まったギルドだ。服飾資材の調達から縫製、販売まで商会の業務は多岐にわたる。特に貴族の衣装関係もこのギルドで賄っていて、かなり大きなギルドといえた。


 針と糸の文様が施された看板がぶら下がる屋敷の前で、僕たちは降りた。

 事前に話が伝わっているらしく、ドアマンが恭しく扉を開けてくれて、僕たちは中に入った。


「ようこそおいでくださいました。クロウ様、印章官殿」


 玄関ホールで待ち受けていたのは、五十歳前後の豪奢な貴族風衣装を着た男性だ。

 ギルド長には下位貴族が就任している場合があるが、これみよがしな衣装を着ているこの男は平民だろうなと思った。


「私が服飾ギルドのギルド長、ルビアス=カルティナです。どうぞお見知りおきを」

「出迎え感謝します。こちらがウェルス侯爵推薦のフィノン印章官です」

 

 クロウの紹介を受け、僕が一歩前へ出る。

 侯爵推薦とは大きく出たものだな。その言葉の意味するところを考えて身震いする。ここで僕が何かヘマをすれば、侯爵の顔に泥を塗るという事じゃないか。

 何があっても鑑定にミスは許されないということだ。僕は気を引き締めた。


「よろしくお願いします、フィノン印章官」

「よろしくお願いします」

「さっそくですが、部屋を用意してあります。どうぞこちらへ」


 こういう場では、護衛騎士は裏方に徹するのだという。カルティナもディノスにチラリと視線を送るだけで、挨拶は特段しなかった。

 カルティナの後に続き、僕らは屋敷の二階の奥の部屋へ通された。

 ソファに座り、カルティナの言葉を待つ。


「本日は私どものためにお越し頂きありがとうございます。まさかこれほど早くご対応いただけるとは思ってもおらず、幸甚の至りです」

「カルティナ殿、私もフィノン印章官も平民出身です。そう身構えず話して貰えれば。ざっくばらんにいきましょう」


 クロウの言葉にカルティナの表情が明らかに変化した。なんだ平民か、という顔だ。そんなにわかりやすい顔で本当にギルド長が務まるのだろうか。服飾ギルドであれば、貴族との折衝もあるだろうに。

 そんな僕の心配をよそに、ソファの背もたれに背を預けたカルティナが、ふぅと息を吐いた。


「そうでしたか、ではお言葉に甘えましょう。正直、侯爵からの使いと聞いて心臓が縮む思いでしたから」


 まあそうだろうな。僕でも侯爵からの使いがくれば、何か粗相をしたのかと勝手に青くなると思う。


「今日来て頂いたのは、この書類を見て頂きたかったからです。この書類はうちのギルドに所属するアラギ商会のものです」


 カルティナが書類を僕の前に並べた。


「これはザーク帝国のバクラ商会から絹を購入した時の注文書の控えです。そしてこれがバクラ商会から受領した注文請書。大量に買い付ける際には、こうして互いに魔法承認のかかった書類を作成します」


 僕は書類をのぞき込む。

 注文書控えには発注側のアラギ商会印章が、注文請書には受注者側のバクラ商会印章が押されていた。どちらの商会も一定の規模を持つ商会のようだ。

 

 商会印章が持てる商会というのは、法律上規定がある。相応の取引実績があること、商会員が一定数いること、ギルドの推薦があることなどだ。内実の伴わない商会は印章を持つことができない。印章を持つことが出来るというのは、その商会の信用の証でもあった。

 

 そんな商会が作成した書類だ。どちらも魔法承認のかかった書類で、どこにも不審な点はない。

  

「問題ないように思いますが」


 僕が尋ねれば、カルティナが「これを見てください」と言い、さらに書類を差し出した。


覚書おぼえがき? また絹の取引に関連するものですか」


 契約書形式になっているが、内容は絹を発注するといったものだ。契約書の下部には発注側のアラギ商会印章と受注側のバクラ商会印章が押されている。

 これも正式な契約書と見て間違いないだろう。そしてこれにも魔法承認がかかっているように見えた。

 

「内容は先に見せた注文請書と同じものです。違うのは絹の単価だけ。それも不当に高く見積もられた値段です」

「追加発注ですか?」


 僕の質問に対して、カルティナが首を振った。


「納品状況から考えて、それはありません。同一取引とみて良いでしょう。つまり一つの取引に対して、二種類の書類が存在するのです」


 僕が答えに困っていると、クロウが身を乗り出した。


「この取引は誰が担当を?」 

「バクラ商会に関する取引は、アラギ商会の番頭が担当していたそうです。しかし先月に急死してしまいました」

「ふぅむ、それで商会長あたりがこの書類を発見したと」

「そのとおりです。これ以外にもバクラ商会との取引では、単価がおかしい取引が散見されました。それで商会長が私に相談をしたという経緯です」


 クロウは顎を撫でながら「横領ですかねぇ」と呟いた。カルティナが「恐らく」と頷く。

 僕は事情が分からずクロウを見た。


「簡単な話さ。例えばフィノン印章官が俺に絹を注文するとする。正当な金額は百ギルと仮定しよう。そして俺は百ギルの注文請書を二枚作成し、一枚は自分の所属する商会に売り上げとして報告する。もう一枚はフィノン印章官に渡す。だがここで、俺は二百ギルの覚書も作成してフィノン印章官に渡す」


 クロウが説明をしてくれた。僕が死亡した番頭役らしい。


「フィノン印章官の手元には百ギルの注文請書と二百ギルの覚書が揃うわけだ。そこでフィノン印章官は覚書に従って俺に二百ギル払う。そうするとどうなると思う? 俺はそのうち百ギルを所属する商会に売り上げとして納め、残りの百ギルをポケットに納める。納めたうちの何割かを通謀してくれたフィノン印章官に渡すのさ。それでフィノン印章官は、百ギルの注文請書を燃やして、残った二百ギルの覚書を証拠書類として残す。これで完全犯罪の完成といったところだったが、急死してしまい、証拠を燃やせなかった。今回の案件はそういうことだろう」

 

 なるほど。僕はその値段が不当だと知りながらも支払いをするのか。結局僕は僕の所属する商会のお金を、クロウ経由で貰うことになるので、横領にあたると。

 

「ですが問題が一つありました。その商会の印章指輪の管理は商会長が行っていたというのです。印章指輪を用いた契約の場合は、商会長も必ず目を通していたそうです」

「しっかり管理されていたのですね」

 

 僕がそう言えば、カルティナが困った顔をした。


「ですが、この覚書には覚えがないと言うのです。注文書控えの方は記憶にあるが、と。それで私どもは書類の鑑定を依頼しました。偽造なら魔法承認はかかっていないでしょうから」


 印章指輪は、印章院の印章官しか作成することが許されていない特別な物だ。だからこういった私人が行う書類の偽造には、ただの印鑑が使われるのが一般的だった。その場合、当然魔法承認はかかっていない。


「ところがどちらにも印章指輪を利用したものだという鑑定結果になったのです」


 偽造が疑われる覚書にも印章指輪が使われていた。つまり偽物の印章指輪がこの世に存在することになる。

 僕は唸る。

 それは印章制度を揺るがしかねない事態だ。印章指輪は厳密に管理され、この世に同じ物は一つとないとされている。その根底が覆るのだ。エリノア伯爵が帰り際に念を押した理由もこれが原因だろう。あの人はきっとこの話を知っていたのだ。

 

「魔石鑑定士からは、これ以上の解析となると印章官でなければ分からないだろうと。そこで手詰まりになっていたところを、つい妻に愚痴ってしまい、それが社交の場で………恐れ多くもウェルス侯爵のお耳にまで入ってしまったという経緯でして」


 カルティナが消え入りそうな声でそう言った。口は災いの元というが、まさしくその典型だ。いささか同情はするが、仕事の話を家庭に持ち込んだ罰だ。


「事情は分かりました。この書類を鑑定すればいいのですね」


 僕はまず覚書を掴む。

 やることが分かったならなば、さっさと終わらせるに限る。


「よろしくお願いします」


 一目見て魔法承認のかかった契約書だと分かってはいたが、改めて覚書を鑑定した結果、やはり印章指輪を用いた物だと僕も判定した。さらに言えば、これは鉱物由来の魔石で、風属性。北部地方の魔石だ。

 続いて注文書控えも鑑定をする。こちらも鉱物由来の魔石を利用したものだ。こちらは火属性で、南部地方の石だ。


「どちらも印章指輪を用いた魔法承認がかかっていますね。覚書は鉱物由来の魔石で、産地は北部。おそらくですがペロー産かと。注文書控えの方ですが、こちらも鉱物由来の魔石で、火属性南部地方。恐らくエリアート地方のものではないでしょうか」

 

 同一の商会印章に二種類の魔石の反応。これはどちらかが偽物の印章指輪だということだ。

 

「印章院の登記部で確認しておくか」


 クロウが独り言のようにつぶやいた。そして気づいたようにカルティナに向かって言った。


「ちなみにこの件は奥方に秘密にお願いしますよ。明らかに偽物の印章指輪が存在することが判明しましたので」

 

 クロウが釘を刺せば、カルティナが「もちろんです」と力強く答えた。


「その急死した番頭の自宅と職場を一応捜索する必要がありそうですな」

「そうですね。警吏に説明しましょう」

「いえ、私の方で人を手配します。あまり騒ぎを広げたくない」


 クロウの言葉に、カルティナが顔を硬くした。


「やはりそうなりますか……」

「印章院に関する事件ですからね。慎重に行きましょう」


 意気消沈したカルティナに、僕は同情する。印章院に関わるということは、王族にも関わるということだ。僕だって彼の立場なら、複雑な心境だっただろう。

 話は終わりということで、服飾ギルドの屋敷を僕たちは出た。すでに日は暮れていてた。クロウが馬車の御者に、印章官の兵舎まで行くよう指示をだしてくれる。


「ここからなら、歩いて帰りますが」


 僕が言えば、クロウは肩をすくめて見せた。


「侯爵が用意してくれた馬車だ。こういう時こそ甘えてなんぼだろう」


 そんなものだろうか。だが使って良いというのなら言葉に甘えてしまおう。馬車に乗り込んだ僕に続いて、クロウが乗る。最後にディノスが乗り込めば、馬車がゆっくりと発車した。


「それにしても魔法承認がかかった偽造書類なんて恐ろしいものを作りましたね」


 ディノスがぽつりと言った。


「場合によっては契約不履行になって、魔法がかかってしまう恐れだってあるわけでしょう」

 

 僕はディノスが貴族基準で考えていることに気づいた。

 

 「そこまで恐れる必要が無かったんだよ」


 僕がそういえば、ディノスは分からないと言った顔をした。


「商人が使う印章指輪の魔石はそう力の強くない物なんだ。貴族達が使う物とは別物だと思ってもらえれば。契約不履行になってもお腹を下すとか、軽い発熱があるとかその程度だと思う。そもそも商人が使う魔法承認がかかった契約書類は、なにか揉め事が起きたときに、裁判所に提示するための法的な証拠物といった意味合いが大きいんだ」

「そうなんですか」


 クロウが「そうだそうだ」と言いながら頷いた。


「商人の年間取引量を考えてみろ。それでいちいち命賭けてたら商売出来ないだろ」


 クロウの言葉にディノスが「それもそうですね」と納得していた。


「ま、それよりも偽物の印章指輪が存在する方が問題だ。諸々手配はするから、番頭の家の捜索もよろしく頼むぜ」


 クロウの言葉に、僕は眉をしかめる。


「僕は印章官で、警吏けいりではないんですが」

「指輪に関しては玄人だろう。お前さんなら、印章指輪がどこに隠されているか分かるんじゃ無いのか」

「やったことありませんよ。指輪の捜索なんて」

「あまり人を増やせるような事案じゃないとわかっているだろ。諦めてくれ」


 言外に「ウェルス侯爵に報告するんだぞ。結果どうなるか分かるよな」と言われては何も言えない。


「僕の上司達に説明はしといてください。僕の立場ってあんまり良くないので」

「平民出身だと苦労するよな。わかるぜ」


 任せとけというクロウを信頼するほかなく、僕は隣に座っていたディノスを見上げた。


「もちろん、私もついていきますから」

「それは頼もしいよ」


 僕の口からはそんな言葉しか出なかった。

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