第3話

 曲がり角で、白い球状のなにかを拾い上げる女を見た。私は咄嗟にそれを首だと思った。それはきっと、私が身体のみの女と付き合っているからだと思う。後ろめたさは確かにあった。無性に気になるので近付くと、果たしてそれは首であった。私が思わず小さく息を吐くと、女はびくりと振り返った。

「あ……。違うんです。」

「違くはないんじゃない?」

女が弁明しようとすると、首は女の鞄に収まって、呑気な口調で言った。もともとショートカットにしていたが伸びたとみえ、色の抜かれた髪はやや膨らみながら、顎のラインの下に溜まっている。その下には女の荷物らしく、パステルカラーのハンカチや、シミができたポーチが覗いている。ほんものだ、と改めて思っていると、私の後ろからマツリさんがぬっとこちらを覗きこむ。

「うわあ、わたしだ。」

首が気の抜けた声で言うと、マツリさんがフードごと、据え付けたマネキンの頭を外していた。マツリさんは私が化粧した頭を大事に抱きしめて、デュラハンみたいだった。

「なんだか……見違えたね。フード深く被ってるの、洋画の主人公みたい。今度からやろうかな。」

首は変わらずべらべらと喋り続ける。

 「わたし」というのは、つまりこの首はかつてマツリさんにつながっていたということだ。マツリさんは喋ることができないというのはわかっていたけれども、できたとて静かなひとだと思っていたから、軽薄そうによく喋る彼女をみて驚きで何もいえず、口を開いたり閉じたりした。

 立ちすくんだ女が不安げにあたりを見渡したり、マツリと呟くのを見て、私は慌てて

「私の家、もうすぐなので、行きましょう。」

と二人、あるいは三人をいざなった。


 ユキと名乗った女はカップを両手で包みこみ、おろおろと周囲を見渡した。

「仕事とか部屋とかどうなってる?」

出し抜けに首がそう問うた。

 マツリさんが不動産屋に連絡して、ふたりで引っ越し作業をして、わたしが代理人として退去の立ち会いをした。仕事は飛んだのだと、マツリさんより常より遅めの入力で伝えられた。気まずかったのだろう。

「私たちで手続きとかはしたので、大丈夫……なはずです。」

「そっかあ。ちょっとだけ心配だったんだ。ありがとう。」

首は人の好さそうな笑みを浮かべた。

 マツリさんは不機嫌にむっつりと黙り込んでいる。不意にスマートフォンを取り出したと思うと、なにやら勢いよく文字を入力して、首に見せつける。

 首は大きく瞬きして、

「うーんでも……わたしが春生はるおさんにキスなんかしたら、ユキが怒るよ。」

と言った。私が動揺とともにスマートフォンを覗き込もうとすると、マツリさんが素早くすべてを消した。見なくていいという調子で、私をてのひらで制すると、そのまま頭を撫でてくる。反射的に目が細まるのを感じて、居住まいを正した。みだらだと思う。

「でもまあ、セックスができないのはわたしたちだって困ってはいたんだ。」

首があっけらかんと言うと、ユキさんは首を引っつかんで、ねえ! と声を上げた。

「ユキだって言っていたでしょう。」

「そうだけども……。」


 長い相談の末、私がマツリさんを縫い合わせてひとつに戻すことにした。そして、マツリさんがユキさんと私を相手にするのは浮気だとユキさんが不満を訴えるので、ユキさんと私も縫い合わせてひとつにすることになった。長いといったけれども、人の身体の処遇を決めるにしては短すぎる時間かもしれない。

 私はなにをつくるものか迷ってしまい込んでいた、とっておきの糸を取り出した。えんじ色をした、艶があって美しい糸である。一目惚れをして買ったものだが、それに合う濃い色をあまり使わないもので持て余していたのだ。裁縫は趣味に過ぎない素人で、大きなものをつくることなどそうそうないものだから、むろん不安はあったのだけれども、私は確かに高揚していた。

 うきうきとマツリさんをつなげると、首とマツリさんはそれぞれ意思が合わないときがあるようで、もともとひとつだったとは思えないくらいぎこちなかった。むしろ私たちのほうが自然に過ごしていたくらいである。ユキさんがマツリさんをふたつに切り分けた張本人だと聞いたときはずいぶん驚いた。それくらいユキさんはごく穏やかで、ふつうの人に思われた。マツリさんと、そして見た目についてのみこだわりがあるらしかったが、私たちはそれぞれに手足があるので、化粧は各々でしたし、さすがにふたつをつなげた身体では量産された服は着られないので、ユキさんの言うとおりに私が服を縫った。ユキさんは趣味がないらしく、私の向かうところにただついてきてくれたし、マツリさんもそれにともなった。変わらずマツリさんはスマートフォンで話してくれたし、マツリさんの唇に初めてキスをしたけれど、あまり実感が湧かなかった。ユキさんも同じようなことを言っていた。

 私たちは起きて、食べ、眠り、ときどきデートをした。そして、たわむれに恋人の首筋に舌を這わすと、糸の繊維が唾液をまとって張りつくのだった。

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針子 市街地 @shesuid

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