6.影の功労者
「た、但馬さん、心理学で『暴露療法』っていうのを学んだはずですよね……?」
暴露療法?
ああ、確かに昨日読んだ本に載ってた気がする。
恐怖症の人を、段階的に恐怖対象に慣れさせるやつだろ。
でも——
「お前のやったことは、暴露療法じゃなくて、傷口に塩を塗り込む拷問だろ」
暴露療法って、例えば高所恐怖症の人に、まず写真を見せて、次に窓から外を見せて、最後に屋上に連れて行く、みたいな段階を踏むもんだろ。
いきなり屋上から突き落とすのは治療じゃない。殺人だ。
「で、でも……」
「いいか、エルス。もしクモ恐怖症の人に暴露療法をするなら、どうする?」
例えば、「まずクモの写真を見せます」とか。
「え?それは……クモを……顔に投げつければいいんじゃないですか?」
「よし、分かった。お前がそう言うなら、ペルフィ!タコちゃんを連れてこい!」
「ひいいいい!!ま、待ってください!冗談です!冗談ですから!私が間違ってました!間違ってましたから!だからそれだけはやめて!」
……土下座してる。
……女神が土下座してる。
「私も嫌よ!なんでいつもタコちゃんを変な虫みたいに扱うのよ!こんなに可愛いのに!」
タコちゃんへの愛が深すぎる。
というか、この子、失恋したばかりなのに、タコちゃんに全ての愛情を注いでないか?
代償行為ってやつか?
「あ、あの……すみません……」
おお、泣き止んだ。よかった。
「その……タコなんとか、というのは……一体何なんでしょうか……?」
ああ、そうか。
デュランはタコちゃんを見たことないんだ。
「ああ、それね。ペルフィ、連れてきてくれ」
見せた方が早い。
言葉で説明するより、実物を——
「うん……でも、さっきから探してるんだけど、見つからないのよ。いつもならエルスにべったりなのに」
あれ?
いない?
確かに、さっきから姿が見えない。
いつもなら、エルスに纏わりついてるはずなのに。
「あ……吾、多分理由が分かります……」
「え?なんで?」
「その……吾、なぜか小動物に嫌われるんです……」
ーーまたかよ!
「以前、野良猫を見かけて……可愛いなと思って近づこうとしたら……」
やめろ、もう分かった。
分かったから言うな。
「毛を逆立てて、全速力で逃げて行きました……」
やっぱりな!
知ってた!
絶対そうだと思ってた!
でも、聞くと辛い!
なんでこの人、こんなに不幸なんだ!
……
……
三人とも、デュランを見つめた。
誰も何も言えない。
何を言っても、慰めにならない気がする。
「はぁ……タンタン、本当はペットショップの面接練習もさせようと思ったんだけど、これじゃ無理ね」
確かに無理だ。
小動物に嫌われる奴が、ペットショップで働けるわけない。
面接の時点で、店中の動物が逃げ出すだろ。
いや、それどころか、店長が「帰ってください」って言う前に、動物たちが先に帰れって訴えるだろ。
「……そうだな。じゃあ、俺がやるか。でも……」
何をやればいいんだ?心理カウンセラーの面接?
いや、それは無理だ。俺自身が偽物なのに。
それに、デュランに「心の悩みを聞く仕事です」とか説明したら、絶対「そんな大役、吾には無理です!」って泣き出すだろ。
じゃあ、何の面接をさせればいいんだ。
受付?
でも、受付もコミュニケーション能力いるし。
清掃員?
いや、この店、そんなに広くないし。
というか、そもそも客が来ないから、掃除する必要もない。
……あれ?
「そういえば、デュランさん」
「は、はい!」
デュランがビクッと震えた。
「デュラン……どうして冒険者になれたんですか?」
だって、政策で落とされた冒険者って、火力担当ばかりだろ?
ペルフィみたいな、バカみたいに強い魔法使いとか。
でも、デュランは——
どう見ても、そんなレベルには見えない。
「あ、それは……その……別に大したことじゃないんです……当時のパーティーが、吾に呪いの能力があると聞いて……試しに連れて行こうと言ってくれて……」
呪い?
ああ、デュラハンだから、呪いとか使えるのか。
でも、それって——
「はい……でも、吾は大した貢献もしてませんよ。ただ、呪いで敵を弱体化させて倒してもらうだけで……あはは、あはは……」
……
……
待て。
今、何て言った?
敵を弱体化?
それって——
めちゃくちゃ重要じゃないか!
RPGで言えば、デバフ専門キャラだろ!
そういうキャラ、パーティーに一人いると、めちゃくちゃ楽になるんだぞ!
ボス戦とか、デバフかけるかけないで難易度が全然違うし!
「大した貢献もしてません」って、何言ってるんだこいつ!
完全にMVPクラスの働きだろうが!
「さすがアンデッドね。呪いって能力、冒険者たちにとっては諸刃の剣なのよ。強度は凄まじいの。武器に対しては鈍化、人に対しては虚弱化……」
武器鈍化!?
虚弱化!?
それ、チートスキルじゃないか!
敵の武器を鈍らせて、さらに虚弱化って、もう勝ち確定だろ!
「え!?それってめっちゃ強いじゃん!」
「そうよ。でも欠点は……まあ、分かるでしょ?みんな、やっぱりアンデッドは魔王側だと思ってるから……実は私も、ちょっとそういう偏見あるし……例えば、自分のパーティーにそういう存在がいるって、あまり公言しないわよね……」
ペルフィが少し声を落とした。
ああ、なるほど。
つまり、デュランは——
完全に影の功労者だったのか。
表には出さないけど、裏で重要な役割を果たしてた。
そして、本人は「大した貢献してない」と思い込んでる。
これは——
これは完全にブラック企業の構図じゃないか。
有能な社員を、評価もせずに、こき使って、本人には「君は大したことしてない」って思わせる。
そして、いざとなったらポイ捨て。
まさか異世界でも同じことが起きてるとは。
「あの、デュランさん……なんでアンデッドなのに、こっち側で働こうとしてるんですか?魔王側に行けば——」
「!」
体が硬直した。
「す、すみません……その話は……」
デュランの声が震えている。
いつもの緊張とは違う。
心理学の本に書いてあった『相談者が話したくないことは、無理に聞き出してはいけない』
これ以上追求するのはやめよう。
「分かりました。無理に聞きません」
「あ、ありがとうございます……」
デュランが安堵の息を漏らした。
よし、話題を変えよう。
もっと軽い話題に。
「そういえば、友達とか……いるんですか?」
これなら大丈夫だろ。
友達の話なら、楽しい話題になるはず——
「友達ですか?」
デュランが少し考えてから——
「はい、います!鉄君とか、銅君とか、銀君とか……」
……
……
は?
今、何て言った?
ちょっと待て。
それって——
鉱物じゃないか!
「……それって」
俺は恐る恐る聞いた。
声が震えている。
怖い。
答えが怖い。
「もしかして……鉱石……ですか?」
頼む。
頼むから違うと言ってくれ。
「はい!」
デュランが嬉しそうに答えた。
ああああああああ!
「鉄君は頑丈で頼りになるし、銅君は柔らかくて優しいし、銀君は綺麗で——」
もういい!
もう聞きたくない!
これ以上聞いたら、俺の心が壊れる!
俺は頭を抱えた。
エルスとペルフィも、完全に固まっている。
三人とも、何も言えない。
何を言えばいいのか分からない。
「……あの、あのですね、やっぱり、外に連れ出した方がいいわね」
「そ、そうだな……」
これは緊急事態だ。
このまま放っておいたら、デュランは金君とか、プラチナ君とか、ダイヤモンド君とか、どんどん友達を増やしていくだろ。
「さっき新聞で見たんだけど、明日の夜七時、広場で何かイベントがあるみたいなの。そこに行きましょう」
イベント?
何のイベントだ?
まあいい、とにかく人間と交流させないと。
「あ、俺は別に構わないけど。ちょうど、この世界で——」
やばい!
つい口が滑りそうになった。
「この世界で」って、完全に異世界転生者の発言だろ!
慌てて口を閉じる。
「え?汝も……イベントに参加したことがないんですか?」
その声には、明らかに共感が込められている。
でも——
ペルフィとエルスが、俺に「演技しろ」と目で合図している。
くそ。
仕方ない。
「あ、ああ……そうなんだ……」
前世では、会社の飲み会とか、無理やり連れて行かれてたし。
あれも一種のイベントだろ?参加したくなかったけど。
「俺も、人が多い場所とか……ちょっと苦手で……」
「おお!汝、吾の気持ちが分かるんですね!」
「そうなんだ!人混みとか、一人じゃ怖くて……」
こうして、明日の夜七時、みんなで広場に行くことが決まった。
そして——
俺はデュランを店の外まで送った。
彼は何度も振り返って、躊躇している様子だった。
何か言いたそうだ。
でも、言えない。
前世の俺も、こんな感じだったかもしれない。
そして、ついに——
「あの……」
来た。何を聞かれるんだ。
「その、店の中にいた銀髪の方……あの人、祭司か何かですか?」
ああ、エルスのことか。
「え?なんでそう思うんか?」
「その……吾、あの人から、とても不快な気配を感じたんです……」
不快な気配?ああ!分かる分かる。
「ああ、それ普通ですよ?俺も不快ですから」
毎日一緒にいて、毎日不快だ。
魔法は失敗するし、金は持ってないし、ゴールデンアップルパイのことしか考えてないし。
「え!?汝も、そう思いますか!?」
「ええ。見た目は可愛いし、別に悪い人じゃないんですけど……なんか、ゴールデンアップルパイみたいな感じで……」
ゴールデンアップルパイ。
見た目は綺麗だけど、中身は——
「そうなんです!ゴールデンアップルパイみたいなんです!吾も、あの人を見た瞬間、ゴールデンアップルパイと同じ感覚になって——」
良かった。
俺だけじゃなかったんだ。
エルスの不快感は、万国共通なんだ——
「あの方、神聖な気配が溢れ出てるんです……本当に……近づいた時、全身に冷気を感じました……」
……
……
あ。
ああ、そうか。
デュランはアンデッドだから、神聖な力に弱いんだ。
そして、エルスは——
女神だからな。
神聖な気配、そりゃ溢れてるわ。
むしろ、溢れすぎて漏れてるわ。
「……確かに、あいつは特殊ですね」
ポンコツ女神すぎる。
「でも、悪い奴じゃないんで。我慢してください」
まあ、本当に悪い奴じゃない。
ただ、ポンコツなだけだ。
「は、はい……頑張ります……」
デュランが小さく頷いた。
そして、ゆっくりと帰っていった。
俺は店に戻りながら、ため息をついた。
明日のイベント、大丈夫かな……
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