25.真心と偽物カウンセラー

扉が開いた。


ルナが俺の肩を軽く叩いて、小さく微笑んだ。


「じゃあ、あとは任せるわ」


そう言って、彼女は踵を返して去っていった。青い髪が朝の光に揺れて、まるで水面みたいにキラキラしてる。


正統派ヒロインってこういうことか。気遣いができて、空気も読めて、余計な口出しもしない。エルスとは大違いだ。


俺は深呼吸をして、薄暗い倉庫の中へと足を踏み入れた。


埃っぽい。木箱が積み上げられていて、窓から差し込む光が埃を舞い上がらせている。なんか、廃墟探索ゲームの雰囲気だな。


「ペルフィ?」


返事はない。


まあ、そりゃそうか。今更俺が来たところで、何を話せばいいんだ。


でも、探すまでもなかった。


倉庫の一番奥、積み上げられた木箱の陰に、小さく丸まった金髪が見えた。


膝を抱えて、顔を埋めて、肩が小刻みに震えている。


泣いている。


レオンが初めて会った時と、全く同じ格好で。


「ひっく……うぅ……」


嗚咽が漏れる。


やばい。


俺の心臓が早鐘を打ち始めた。


どうする!?どうすればいい!?


普通なら「どうした?」とか「大丈夫か?」とか声をかけるところだろう。でも、そんな月並みな言葉じゃ何も解決しない。


むしろ逆効果かもしれない。泣いてる時に「泣くな」って言われても困るだけだ。


でも俺には武器がある!


昨夜エルスから無理やり読まされた心理学の本!あれさえ活用すれば——


俺は咳払いをして、ペルフィの隣に座った。距離は1メートルくらい。近すぎず、遠すぎず。本に書いてあった「適切な距離感」ってやつだ。


そして、できるだけ専門家っぽい表情を作って——


「ペルフィさん」


低い声。落ち着いた口調。これぞプロのカウンセラー(偽物)。


ペルフィがゆっくりと顔を上げた。涙で濡れた緑の瞳が、俺を見つめる。


「……但馬?どうして……ここに?」


声が震えている。鼻声だ。


「私、ちゃんと鍵をかけたのに……」


おお、タンタンって呼ばなかった!やった!


……いや、喜んでる場合じゃない。むしろ、いつものあだ名で呼ばれないってことは、相当落ち込んでるってことだ。


「それは、まあ……ルナさんに開けてもらったんだ」


「ルナが……」


ペルフィの表情が一瞬歪んだ。でも、すぐに俯いてしまった。


よし、ここで心理学の知識を披露する時だ!


俺は記憶を探る。確か、悲しみに関する理論があったはず……


そうだ!「悲嘆の五段階」!


キューブラー=ロスモデルだ!否認、怒り、取引、抑うつ、受容の五段階!


俺は咳払いをして、できるだけ権威的な口調で言った。


「ペルフィさん、鍵のことは今は重要じゃない。重要なのは……」


俺は指を立てた。まるで大学の講義みたいに。


「君は今、『悲嘆の五段階』の第四段階——つまり『抑うつ』の状態にある」


「……は?」


ペルフィが困惑した顔で俺を見た。涙が止まった。


よし、注意を引けた!


「君は『否認』と『怒り』の段階を飛ばして……いや、待て。もしかしたらもう経験済みか?まあ、それは置いといて」


俺は適当にごまかした。


「とにかく、これは正常なプロセスじゃない。だから、我々は段階を遡って、適切に処理する必要がある」


「遡る……?」


ペルフィが涙目のまま首を傾げた。


「何を……補充するの?もう、何も残ってないのに」


やばい、行き詰まった。


でも、ここで引き下がるわけにはいかない!


「そ、そうだな……まず『怒り』の段階から始めよう!」


「怒り?」


「そう!感情を発散させるんだ!例えば、『これは嘘だ!』とか叫んでみるとか……」


俺は必死に提案した。


ペルフィは数秒間、俺を見つめていた。そして——


「何言ってるの!?」


彼女が突然叫んだ。


「私はちゃんと分かってる!本当のことよ!みんな私を騙してた!私は余計者の馬鹿なのよ!」


お、怒りが出た!


俺は慌てて架空のノートにメモを取るふりをした。


「なるほど、怒りの段階はここにあったのか。標準的なプロセスだ。次は『取引』の段階だな」


「取引?」


「『もしあの時、もっと素直だったら』とか考え始める段階だ」


ペルフィが黙り込んだ。


そして——


彼女の手が光り始めた。


魔力が集まってる!やばい!


「ちょ、ちょっと!ペルフィさん、何してるの!?」


「あなたが怒れって言ったんでしょ?」


彼女の声が低い。めちゃくちゃ怖い。


「怒りを見せてあげる」


「いやいやいや!違う!そういう意味じゃない!」


俺は必死に手を振った。


「これは重要な治療プロセスなんだ!暴力じゃなくて、言語化が大事なんだ!」


「……」


ペルフィの手から光が消えた。そして、また俯いてしまった。


「……どうでもいい」


完全に気力を失ってる。


くそ、本の通りにやったのに、なんでうまくいかないんだ!?


次だ、次の手を考えろ!


そうだ、「認知行動療法」!CBTだ!


否定的な思考パターンを変えるやつ!


「ペルフィ、聞いてくれ」


俺は真剣な顔を作った。


「君の問題は『認知の歪み』にある」


「認知の……歪み?」


「そう。君は『パーティーから外される』ことと『自分に価値がない』ことを結びつけている。これは典型的な『白黒思考』だ」


専門用語を使えば、それっぽく聞こえるだろう。


でも——


「私が役立たずだから捨てられたのよ!」


ペルフィが叫んだ。


「もし私が戦闘魔法だけじゃなくて、ルナみたいに回復魔法とか、転移魔法とか、変身魔法とか使えたら、こんなことにならなかった!」


あー、それは誤解だ。


名簿の件を考えると、攻撃力が高い奴が狙い撃ちされてるんだから。


でも、今それを言うべきか?あのクラークって化物のことも考えると……


やめておこう。


「それこそが『自動的否定思考』だ!」


俺は指をパチンと鳴らした。


「今から認知の再構築を行う。君の核心的信念を『私は攻撃魔法しか使えない役立たずのツンデレ』から——」


「ちょっと待って!」


ペルフィが顔を真っ赤にした。


「今、ツンデレって言った!?」


やばい、つい本音が。


「い、いや、それは……とにかく!『私は強力な魔法を持つ、将来有望な独立した女性で、たまたま運が悪かっただけ』に変換するんだ!さあ、声に出して!」


ペルフィは俺を睨みつけながら、震え声で復唱し始めた。


「私は……強力な魔法を持つ……」


嗚咽が漏れる。


「独立した……女性で……」


涙がボロボロこぼれる。


「うわあああん!意味ないじゃない!それに、さっき『役立たずのツンデレ』って言ったでしょ!本当はそう思ってるんでしょ!?だから簡単に口に出せるのよ!」


彼女は頭を抱えた。


「それに、私が強力な魔法を使えるから、こうなったのよ!」


認知の再構築、大失敗。


むしろ悪化してるじゃないか!


ペルフィは膝を抱えて、また泣き始めた。


「……それに、本当のこと言うと」


彼女の声が小さくなった。


「パーティーから外されることは……もう受け入れてる」


え?


「受け入れてる?」


「……そう。反抗するつもりもない。そんなことしたら、二人に迷惑かけるだけだもの」


ペルフィが顔を上げた。涙で濡れた瞳が、俺を見つめる。


「私、性格悪いけど、人に迷惑はかけたくないの。ましてや、国家執行官まで出てきたんでしょう?」


「知ってたのか」


「なんとなく察してた。でも、まさか本当にあのクラークが来るなんて」


彼女は震えた。


「だから、もういいの。どうせ……森に帰るだけだから」


最後の言葉を言う時、声が激しく震えた。


森に帰りたくないんだな、本当に。


「でもね」


ペルフィが続けた。


「一番辛いのは、レオンが本当にルナを好きだってこと」


「……そうだな」


「但馬もそう思う?」


俺は苦笑いを浮かべた。こんな時、俺には理論も知識も役に立たない。ただ、思ったことを言うしかない。


「ああ。だって、君が最初に来た時の相談内容、パーティーの問題じゃなくて恋愛相談だったろ?それが本題だ」


俺は少し間を置いて——


「正直、NTRは俺の趣味じゃないけどな」


「NTR……」


なぜかペルフィが顔を赤くした。


「ちょっと、今赤くなったろ!?こんな時に何照れてるんだよ!つーか、なんでNTRなんて言葉知ってるんだ!?」


「う、うるさい!」


ペルフィが俺を睨んだ。


「それより、但馬こそ何なのよ!最初から今まで、あなたの提案、一つも成功してないじゃない!」


彼女の声が震え始めた。


「最初にカッコつけて『任せろ』って言ったのはあなたでしょ!?なのに、何一つうまくいかなくて、今になって変な理論持ち出して……何の役にも立たない!」


ペルフィは立ち上がった。拳を握りしめて。


「私がダメだから、レオンとルナはもう一緒!私はもうすぐ森に追い返される!結果は最悪じゃない!」


彼女は俺を指差した。


「あなた、一体何考えてるの!?何もできないなら、なんでカウンセラーなんてやってるのよ!?」


その言葉が、俺の肺に突き刺さった。


何も言い返せない。


だって、事実だから。


俺は偽物のカウンセラーだ。最初から今まで、何一つ成功してない。


この状況、俺のせいじゃないとは言え……でも、なぜか怒れない。反論もできない。


最初に適当な約束をして、意味不明な恋愛三段階療法を提案して、今も付け焼き刃の心理学知識で誤魔化そうとして……


全部、失敗だ。


でも——


彼女が言ったことで、一つだけ間違ってることがある。


俺は姿勢を変えて、ペルフィの方を向いた。


「……君の言う通りだ」


ペルフィが驚いた顔をした。俺が怒らないで、素直に認めたから。


「怒らないの?私、ひどいこと言ったのに」


「正直に言うとな」


俺は苦笑いを浮かべた。


「俺は他人の悪口には反撃するタイプだ。でも……この状況で、俺も正直になりたい」


深呼吸をして——


「実は、君が来た時、俺はカウンセラーになって一日目だったんだ」


「一日目!?」


ペルフィが目を丸くした。


「しかも、何の準備もなしに、いきなり始めたんだ」


「なにそれ……」


「ひどいだろ?俺もそう思う。だから後でエルスと一緒に文句言ってくれ。全部あいつが悪い」


「……分かった。でも、それなら最初から断ればよかったじゃない」


「正直、断りたかった。俺には何の得もないし」


「……」


「でも、二つ理由があった。一つは金」


「お金のため……まあ、理解できるけど」


「この世の中、何をするにも金が要るからな」


「でも、まだ私からお金もらってないでしょ?」


「ああ。なんか、それじゃ申し訳ない気がして。委託が終わってから貰おうと思ってた」


「終わったわよ。失敗したし。お金もあげない」


「ちょっと待て!」


俺は慌てた。


「まだ終わってない!俺が終わってないって言ったら、終わってないんだ!」


「何それ、悪徳商法?やっぱり最初の判断は正しかったのね」


「違う!君も聞いただろ?レオンはまだルナの告白に答えてないんだ」


俺は真剣な顔で続けた。


「もし彼が君のことを全く気にしてなかったら、昨夜うちに来る必要なんてない」


「……」


「レオンがルナを好きなのは、元々好感を持ってたからだ。君が悪いわけじゃない」


俺は肩をすくめた。


「今回の件だって、道徳的に間違ってるわけじゃない。ただ、生活の方が大事ってだけだ」


「ぷっ……」


ペルフィが吹き出した。


「なにその理屈……まあ、いいけど。で、もう一つの理由は?」


俺はペルフィの肩に手を置いた。そして、ずっと俯いていた彼女と目を合わせた。


緑の瞳には、まだ涙が残っている。


「……単純に、放っておくのが嫌だったんだ」


「……」


「少しでも、誰かの役に立てるなら、一人で暗闇に落ちていくのを見過ごすよりマシだろ?」


ペルフィは俺の目を見つめた。見下ろして、また見上げて。


「……本心?」


「本心だ」


俺はにっこり笑った。


「金の部分もな」


なぜか、ペルフィが笑い出した。


「あははは!」


涙を流しながら、でも笑ってる。


「本当にお金のことばっかりね!」


「真剣だぞ。金のために、絶対に君の問題を解決する」


ペルフィは涙を拭いて、俺を見た。


「……分かった」


「分かればいい」


彼女は立ち上がって、深呼吸をした。


「私、何をすべきか分かった」


「何を?」


ペルフィは振り返って、笑顔を見せた。涙の跡が残ってるけど、その笑顔は眩しかった。


「……タンタンみたいに、本心を伝える。それだけよ」

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