13.今夜、部屋に…来ない?

夜になった。


窓の外は深紫色の空。この世界の黄昏は黄色じゃなくて、ピンクと紫のグラデーションらしい。なんか少女漫画みたいだ。


結局、あの合成獣改め可愛い生き物は「タコちゃん」と命名された。


「よーしよし、タコちゃん〜♪」


ペルフィが満面の笑みでタコちゃんを撫でている。完全に親バカモードだ。


「にゃ〜ん♪」


タコちゃんが嬉しそうに鳴く。触手——いや、今はヒゲか——をペルフィの手にすりすりしている。


俺はソファに座って、さっき買ってきた『シェフになろう!』をパラパラめくっていた。


もう二度と合成獣なんか作りたくない。このままだと心理カウンセリング店じゃなくて、錬金術師の店になってしまう。


「『竜の涙スープ』……材料:竜の涙、一滴」


無理だろ。


「『不死鳥の羽根焼き』……材料:不死鳥の羽根、三枚」


どこで手に入れるんだよ。


「『ユニコーンの角削り』……材料:ユニコーンの角、粉末状にして——」


犯罪じゃないか?


異世界の料理本、材料がヤバすぎる。でも意外なことに、調理法は普通だった。「塩コショウで味を整える」とか「中火で5分」とか、拍子抜けするくらい普通。


ページをめくっていると、33ページが妙に光っているのに気づいた。


なんだこれ。


いや、なんとなく察しがつく。きっとアレだ。


俺はそっとページを閉じた。


この先、一生このページは開かないことに決めた。


「なんでペルフィまだいるんだ?」


俺は小声で呟いた。


「聞こえてるわよ」


ペルフィが振り返った。


「だってレオンもルナもいないんだもん。一人で宿にいるの寂しいじゃない」


「でも、ここ俺の店だぞ」


「カウンセリングの続きってことでいいじゃない」


勝手に居座るなよ。


エルスはというと、例の光る繭——いや、魔法製の寝袋に入って、小説を読んでいた。時々チラッとタコちゃんを警戒しながら。


「但馬さん」


突然、エルスが俺を呼んだ。


「なんだ?」


「今日まだ何も食べてないでしょう?」


確かに。朝から合成獣騒動でバタバタして、昼も夜も食べてない。


「ちょうど料理本読んでるんだし、何か作ったら?」


エルスがにっこり笑った。


「例えば、その本の33ページとか」


「……は?」


「私、特別にマーキングしておきました♪」


俺は恐る恐る33ページを開いた。


『ゴールデンアップルパイ』


案の定だった。


しかもページ全体が神聖な光を放っている。眩しすぎて字が読めない。


「なるほど」


俺は本を閉じた。


「最近お前の背後から光が消えたと思ったら、魔力をこんな無駄なことに使ってたのか」


「無駄じゃありません!」


エルスが憤慨した。


「食は文化です!芸術です!」


「でも女神は食事しないんだろ?」


「しないけど、できます!」


なんだその理論。


「それに!」


エルスが身を乗り出した。


「ゴールデンアップルパイは特別なんです!神々への供物として最高級品で——」


「ちょっと待て」


俺は嫌な予感がした。


「まさか、教会の供物を——」


「ち、違います!」


エルスの顔が真っ赤になった。


「そ、そんなことしてません!」


嘘だ。絶対嘘だ。


「透明化魔法使えないくせに?」


「う……」


図星か。


エルスがもじもじし始めた。


「昔は使えたんです……透明になって、こっそり教会に忍び込んで、供物のゴールデンアップルパイをちょっとだけ……」


「泥棒じゃないか!」


「ち、違います!女神が自分への供物を食べるのは正当な権利です!」


「屁理屈だろ!」


俺は呆れた。


「で、今は透明化できないから俺に作らせようと」


「そ、そういうわけでは……」


エルスが目を逸らした。


「ペルフィに頼めばいいじゃないか」


俺がペルフィを見ると、彼女は完全にタコちゃんの世界に入り込んでいた。


「タコちゃん〜、誰が一番好き?私でしょ?ね?」


「にゃ〜」


ダメだ、完全に親バカモードだ。


「ペルフィがタコちゃんを離したら、またあの子が私のところに来るんです」


エルスが震えた。


「嫌です……虫みたいで……」


「虫じゃないだろ」


「じゃあ但馬さんが作ってください」


「なんで俺が」


「だって料理本読んでるじゃないですか」


「読んでるだけだ」


「作ってください」


「嫌だ」


「お願いします」


「知らん」


「最高の女神様として命令します!!」


「ポンコツ女神の命令なんて聞かない!!!」


「ひどい!!!!」


こんな不毛な言い争いをしていると——


「あら?」


ペルフィが急に顔を上げた。


「もうこんな時間」


彼女は壁の時計を見た。夜の7時。


そして、どこからともなく空の酒瓶を取り出した。


「うぉっ!」


ペルフィが瓶に手をかざすと、琥珀色の液体が満たされた。例の魔法だ。


「今日は色々あったわね」


彼女がにっこり笑った。


「レオンとルナは相変わらず仲良しだし、腹立つけど……でも、みんな頑張ったし」


ペルフィがどこからか酒杯を三つ取り出した。


「一緒に飲みましょう!」


「え?」


「お祝いよ!タコちゃん誕生記念!」


そんな記念日作るな。


「私、お酒飲みません」


エルスが慌てて断った。


「女神はアルコールを摂取しないんです」


「へー、そう」


ペルフィがじっと見つめた。


「じゃあ、カウンセリングの委託料払わないわ」


「え!?」


「だって、何も解決してないし」


ペルフィがにやりと笑った。


「レオンとの関係、全然進展してないもの」


「そ、それは……」


エルスが慌てた。


「で、でも、タコちゃんが生まれたじゃないですか!」


「それ、恋愛と関係ないわよね?」


ぐうの音も出ない正論だ。


「わ、分かりました……」


エルスがしぶしぶ酒杯を受け取った。


「で、でも、ちょっとだけですよ」


俺も酒杯を受け取った。前世でも仕事帰りによく飲んでたし、別に抵抗はない。


「かんぱーい!」


……


……


一時間後。


「うぃ〜……ひっく……」


エルスが完全に出来上がっていた。


光る繭の中で、ぐったりと横になっている。顔は真っ赤で、目がとろんとしている。


「も゛〜……但馬さんのばかぁ……」


なんで俺が悪いんだよ。


「ゴールデンアップルパイ……作ってくれないし……ひっく」


まだ言ってるのか。


「私だって……女神だって……美味しいもの食べたいもん……」


呂律が回ってない。


「タコちゃんより……パイの方が……ずっと可愛いのに……」


意味不明だ。


一方、ペルフィは——


「ふふふ……」


なぜか上機嫌だった。


酔ってはいるが、エルスほどではない。むしろ、適度に酔って気分が良さそうだ。


「ねえ、但馬くん」


くん付け?


「なに?」


「あのさ……」


ペルフィが俺の隣に座った。いつもより距離が近い。


「イケメンよね、あなた」


「まあ、そうらしいな」


エルスのおかげだけど。


「でもさ……」


ペルフィが俺の顔を覗き込んだ。酒の匂いがする。


「レオンとは違うタイプよね」


「そりゃそうだろ」


「レオンは爽やかで、正統派で、王道のイケメン」


ペルフィの目が妙に潤んでいる。


「でも、あなたは……なんていうか……」


彼女は言葉を探すように、少し間を置いた。


「ミステリアスな感じ?」


ミステリアス?俺が?


ただの引きこもり体質なだけなんだが。


「それにさ……」


ペルフィがさらに近づいてきた。


ちょ、近い近い!


「優しいわよね」


「え?」


「だって、私の相談、ちゃんと聞いてくれたし」


それは仕事だからだ。


「変な料理作っちゃっても、怒らなかったし」


いや、内心めちゃくちゃ怒ってたけど。


「タコちゃんも、可愛くしてくれたし」


あれは事故だ。


ペルフィが俺の耳元に顔を近づけた。


「ねえ……」


吐息が耳にかかる。ゾクッとした。


「今夜……」


彼女の声が、急に艶っぽくなった。


「部屋に……来ない?」


——は!?

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